【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

伊勢神宮

2015-12-25 | デジカメ紀行
「お伊勢さん」「大神宮さん」
と親しく呼ばれる伊勢神宮は、正式には「神宮」といいます。

神宮には
皇室の御祖先の神と仰ぎ、私たち国民の大御祖神(おおみおやがみ)として崇敬を集める天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りする内宮(ないくう)皇大神宮(こうたいじんぐう)と、衣食住を始め産業の守り神である豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祀りする外宮(げくう)豊受大神宮(とようけだいじんぐう)を始め、14所の別宮(べつぐう)、43所の摂社(せっしゃ)、24所の末社(まっしゃ)、42所の所管社(しょかんしゃ)があります。これら125の宮社全てをふくめて「神宮」といいます。

11月21日、内宮へ。
内宮、皇大神宮(こうたいじんぐう)
神路山(かみじやま)、島路山(しまじやま)の麓、五十鈴川のほとりに鎮座する皇大神宮は、皇室の御祖神であり日本人の大御祖神である天照大御神をお祀りしています。
今から二千年前、皇位のしるしとして受け継がれる三種の神器の一つである八咫鏡(やたのかがみ)をご神体として伊勢の地にお祀りし、国家の守護神として崇める伊勢信仰は平安末期より全国に広がりがみられました。現在でも全国の神社の本宗として特別に崇敬を集めます。

内宮おかげ参道

駐車場から「内宮おかげ参道」と名付けられた地下道を通って、
おはらい通りへ向かいます。


地下道の壁面には屏風が並べられています。


「おはらい通り(旧参宮街道)」を進みます。
宇治橋から五十鈴川に沿って800mほど石畳の通りです。切妻・入母屋・妻入り様式の町並みが軒を連ねています。
土産物店や飲食店や商家が建ち並び、歴史的建造物なども見られます。

旧慶光院客殿(現、神宮祭主職舎)


五十鈴川郵便局



レトロな雰囲気がたっぷりです。

この辺りでは、猫がのんびり・・・。




汚水管マンホールの蓋

「おかげまいり」と呼ばれる、江戸時代のお伊勢まいりをする人々が
描かれています。


中部電力株式会社の社章が入っています。

おはらい通りを通り抜けると、宇治橋(うじばし)が見えてきます。

域内地図


内宮の入口である宇治橋をわたり、玉砂利を敷き詰めた長い参道を進むと、神域。
「心のふるさと」と称される日本の原風景が広がります。

宇治橋鳥居

聖界と俗界との架け橋といわれる宇治橋は、五十鈴川に架けられた全長101.8mの純日本風木造反り橋。宇治橋の外側と内側に立つ鳥居は、外宮・内宮それぞれの旧御正殿の棟持柱(むなもちばしら)が使われています。
内宮のお参りは宇治橋の前で一礼し、緑豊かな神路山(かみじやま)、島路山(しまじやま)の四季の移ろいを感じながら宇治橋を渡ることから始まります。




モミジも少し色付き始めています。


神苑を見ながら進みます。





第二鳥居

奥の方に見えているのが神楽殿。

神楽殿
銅板葺、入母屋造の建物が、内宮神楽殿です。お神札授与所、御饌殿、神楽殿等が並んでいます。







第一鳥居を抜けてきました。


五十鈴川御手洗場



*正宮(撮影は階段の下までです)へ

*御正殿(ごしょうでん)
「唯一神明造」(ゆいいつしんめいづくり)という日本古来の建築様式を伝える御正殿。屋根は萱葺きで、10本の鰹木(かつおぎ)がのせられ、先端が水平に切られた4本の千木(ちぎ)が高くそびえています。
唯一神明造は檜の素木を用いて高床式の穀倉の形式から発展したものといわれ、現在まで脈々と受け継がれています。

*古殿地(こでんち)
御正宮(ごしょうぐう)には東西に同じ広さの敷地があり、20年に一度の式年遷宮(しきねんせんぐう)ごとに社殿が新しく造り替えられます。

お参りをすませ・・・。
外幣殿( げへいでん)
 
神明造の高床式の建物。内宮は正宮御垣の外にあります。

四至神( みやのめぐりのかみ)

内宮神域の守り神、四至とは神域の四方を意味します。社殿や御垣はなく、石畳の上に祀られます。神様をお祀りする場所ですので「二拝、二拍手、一拝」の作法でお参りくださいと。

伊勢うどん

お昼にピッタリ。

昼食を済ませおかげ横丁へ。
お蔭参り(お伊勢参り)で賑わった江戸時代末期から明治時代初期の門前町の町並みを再現しています。

おかげ横丁案内版


おかげ横丁の風景

屋根の上には偶然にも来年の干支の「猿」が。









十月桜



宇治橋から撮りました。






紅葉には少し早かったようです。

伊勢神宮公式サイト、伊勢市観光協会ホームページを参考にしました。


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元伊勢籠神社

2015-12-25 | デジカメ紀行
お伊勢さまのふるさと「 元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)」

京都府宮津市にあり、有名な天橋立の北付根に南向きにあります。

籠神社の創建は奈良時代の養老三年(719年)。
伊勢神宮に奉られる天照大神、豊受大神がこの地から伊勢に移されたという故事から元伊勢と呼ばれています。

奈良時代に丹後の国の一の宮となり、平安時代の「延喜式」には名神大社となり、山陰道唯一の大社であり、最高の社格と由緒を誇っています。

真名井神社境内地であった真名井川の川辺に一旦遷宮し、その後奈良時代元正天皇の御代に、二十七代目当主海部直愛志(あまべのあたええし)が、現在の籠神社の地へと遷宮、それを契機に主祭神を籠神社海部家の祖神である彦火明命とし、相殿に豊受大神・天照大神・海神・天水分神を併せ祀り創祀されました。

<天の浮橋神話>
神代の時代、天にいたイザナギノミコト(男神)が地上の籠神社の奥宮眞名井神社にいたイザナミノミコト(女神)のもとに通うために使っていた梯子が天橋立であったというお話で、現在は男と女を結ぶ良縁成就の地として伝えられています。


境内見取り図(パンフレットより)




境内社は、恵美須彦火火出見命之社、天照大神和魂社、春日大明神社、猿田彦神社、真名井稲荷神社。

お百度石


さざれ石


手水舎


神門


神門の左右にある狛犬





神門をくぐると、正面に拝殿。その後方に本殿があります。

パンフレットより


本殿は伊勢神宮と同じ「唯一神明造り」です。柱は丸く棟持柱や心御柱があります。
社殿は高床式の素木造りで全て直線的です。

屋根は前後二方向に勾配を持つ「切妻造」で、棟と平行して入り口がある「平入り型」になっています。屋根の両端には屋根を貫いた千木(ちぎ)が天に向かって聳えています。
御本宮である籠神社の本殿の千木は天に対して水平に切る「内そぎ」となっており、千木と千木の間にある勝男木(かつおぎ)は十本(偶数)です。

神明造の本殿高欄上に、「五色の座玉(ごしきのすえたま)」という飾りがあり、五行を示す、青(緑)・黄・赤・白・黒の五色。
伊勢神宮御正殿と、籠神社のみに許されているものだそうです。元伊勢宮として、又山陰道第一の大社として昔から祀られてきた証で、神社建築史上特に貴重なものとされています。

神明造りのお社は他にもありますが、規模、様式とも伊勢神宮に近似しているお社は籠神社以外になく、籠神社と伊勢神宮が古代から深い繋がりがあったことを物語っているとのこと。

境内を出て・・・。
亀石



亀石の上にも本物の亀がいました。

籠神社から真名井神社へ。

真名井神社は飛鳥時代の初め頃まで「与謝宮(吉佐宮)」と呼ばれていました。

籠神社の奥宮 真名井神社は、別名を久志濱宮(くしはまのみや)ともいいます。
〝くし〟とは霊妙なる不思議なパワーの源を意味し、この地に神代の昔、豊受大神が天降られ、五穀と養蚕を丹波地方に伝えられた。 この丹波という地名は豊かに稔る田を豊受大神がご覧になって、「あなにえし田庭」(なんとすばらしい田の庭よ)と喜こばれた事から名付けられ、水気根源、五穀豊穣の大神として崇敬が厚い。
養老三年(719年)以前の本宮がこの眞名井神社で、本殿の裏に縄文晩(2,500年前)からそのままの形を残す磐座(いわくら、社殿が造られる以前の斎場) があり、豊受大神、天照大神を始めとする神々が祀られています。人々の純真な祈りが捧げられ、あたりは清らかな空気に包まれた聖地になっています。





  

真名井神社境内案内図



鳥居の両脇には狛犬ならぬ、狛龍?。奥には本殿が見えています。

狛龍




本殿

真名井神社の本殿は一間社神明造で、屋根は桧皮葺です。真名井神社の千木は天に対して垂直に切る「外そぎ」となっており、
勝男木は五本(奇数)となっています。
本殿は参道から直接磐座が見えないように建っており、本殿裏手には神様が磐座から社にお移りになるときに使われる
神様用の出入り口があります。


磐座 (いわくら)は本殿の後ろにあります。
約2,500年前からそのままの形で祀られている古代の祭祀場。特に気が強く集まる場所。

真名井原波せき地蔵堂

説明板


真名井の水

天の眞名井の水というご霊水が湧き出ています。
この霊水は、三代目祖神(そじん)天村雲命(あめのむらくものみこと)が高天の原(天上の神々の住む世界)にまいのぼり、琥珀(こはく)の鉢に天上のお水を持ち帰って、やわした(合わせた)と伝えられるご霊水です。
霊験あらたかなこの眞名井の水を汲みに、近隣府県はもとより全国各地から訪れる人が絶えず、
眞名井神社は知る人ぞ知る日本最古の
「パワースポット」となっています。

おみくじ

扇子、傘とも開くと・・・。


汚水管マンホールの蓋

日本三景の一つ、天橋立のデザイン。

仕切り弁ハンドホールの蓋

天橋立と文殊の智恵の輪。

京都府宮津市の仕切弁

中央に描かれてる宮津市章はみやづの頭文字「ミ」のMを中心に円の先端は「ヤ」全体を通して「ツ」を表し、Mを天橋立に見た波状で観光と海港をイメージしたものです 。

籠神社公式ホームページ、パンフレット等を参考にしました。

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