友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

今年の夏は会を開くことが出来そうだ

2023年04月19日 18時20分37秒 | Weblog

 マンションの隣りの私名義の部屋は、ゴールデンウィーク中は人の出入りが多くなる。27日から30日までは先輩のお姉さんと娘さんが、5月2日から6日までは次女一家が、隣りの部屋で寝起きする予定だ。

 北側の2部屋に置いてある娘や孫の荷物を整理し、玄関から南の台所と居間、洗面所と浴室を掃除し、寝起きする和室をきれいにした。また、寝具のカバーを取り替えた。ベランダも掃除をして、余分なものは無くした。

 明日、先輩夫妻に見てもらい、足りない物や要らない物を見定めてもらう。先輩と我が家は上下に位置しているから、お姉さんたちも気楽に行き来できるだろう。そう思っているが、ご本人たちに満足してもらえるかは分からない。

 次女たちも、こちらでどんな計画なのか、「近くなったら連絡する」というが、まだ分からない。カミさんは3・4・5・6日の食事のことを心配しているので、「あの子たちの予定が決まってからでいいのでは」と私。

 私は次女のダンナと久しぶりに、ワインでも飲みながら話せればいい。ダンナの父親の病状も心配だから、元気なうちに顔を見せてあげて欲しい。だから、小学校3年生になった孫娘が来てくれるのは大きな楽しみだ。

 孫娘たちにすれば、従姉妹に会えておしゃべりすることが最大の楽しみだろう。親戚が少ない現代では、従姉妹がいるだけでも幸せなことなのかも知れない。子どもの頃、家で行事があると父方の親戚が集まって来た。子どもたちの相手は私の役目だった。

 母の実家へ行けば、母の弟や妹の子どもたちが、私や妹の相手をしてくれた。海の傍の叔母の家には従兄弟が3人いて、海で泳いだり、貝や蟹を捕まえて七輪で焼いて食べさせてもらった。私のすぐ上の従兄は中央大学に進み、60年安保について熱心に語ってくれた。

 今は、親族の付き合いもすっかり途絶えてしまった。私は兄に代わって、兄や姉の子らと妹夫婦との食事会を行ってきたが、コロナ禍で中断している。今年の夏は会を開くことができそうに思うが‥。

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それで波風が立たなければ、ヨシとしよう

2023年04月18日 17時13分25秒 | Weblog

 最近、映画を観に行ってない。コロナ禍になって、ますます家に閉じ籠っていた。映画を観に行かなくなったのは、新聞から映画館の広告が載らなくなったからだ。どこで何が上映されているのか分からないので、出かけることが無くなったのだ。

 話題の映画が新聞記事に掲載されると、パソコンで上映されている映画館を調べていたが、そんなにまでしなくてもという思いが先に立って行かなくなっていた。映画館の数は少なくなっているし、私が興味がある文芸物は観客の入りもよくないようだ。

 映画館で映画を観る時代では無くなった。我が家の大型テレビで、有料配信の映画が見られるように、長女のダンナがセットして行ってくれたけれど、長女が支払者になっていたので、その期間が切れると観られなくなる。

 今度、我が家に来たなら、私の口座から引き落とすようにセットしてもらおう。私は子どもの頃、父親が連れて行ってくれた洋画『ジャンヌダルク』が衝撃的で、映画好きになってしまった。小遣いが溜まると、ひとりで映画館に出かけていた。

 高校生の時は、新聞記者か映画監督になりたいと思っていた。私が撮りたい映画は、日常をそのまま再現する超リアルな物語だ。アメリカ映画のようなハッピーエンドではなく、フランスやスェーデンでそんな映画が流行していた。

 テレビドラマはどこの局も、笑えるような、幸せ感いっぱいのものが多い。子どもから老人まで、みんなが観るから仕方がないとは思うが、私には物足りない。だからと言って、そんなにテレビを見てもいない。

 本ならば自分が関心のあるものを読むことができる。カミさんはテレビを、私は本を、見ていることが多くなった。これも年老いた夫婦の典型である。それで波風が立たなければ、ヨシとすべきだろう。

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いろんな人がいて、いろんな活動をしている

2023年04月17日 17時55分54秒 | Weblog

 岸田首相が応援に訪れた和歌山市の漁港で、爆発物が投げ込まれる事件があり、警備の有り方や選挙の仕方までテレビで取り上げられている。警備が強化され、政治家と有権者が触れ合える機会が無くなれば、民主主義国家では無くなる気がする。政治家は命を懸けて、政治活動を行う。もし、テロで命を落とすなら本望であろう。

 漁港の名前を耳にした時、あれ、どこかで聞いたと思った。雑賀(さいか)が珍しい名称だったこともあり、初めてこの名前を見た時は「ざっか」と読んでいた。確か、雑賀衆は織田信長や豊臣秀吉と戦った地侍集団で、鉄砲と忍者活動が得意だった。その雑賀衆の中に、鈴木という名前があった。

 私は三河の刈谷の生まれだが、家康の家来の中に鈴木という名前は出てこない。石川、平岩、鳥居、本多、酒井、榊原など、高校の同級生に多くいた。ところが三河には鈴木の姓が多いのに、三河武士には居なかったのだ。一般の人々に苗字が許されるようになったのは明治になってからだから、鈴木はやっぱり平民だったのだろう。

 私が気になっていた「月城龍二」さんの短歌が、日曜日の中日新聞「中日歌壇」に掲載されていた。随分長い間載ることが無かったので、どうしているのだろうと思っていた。同じ市内の人というだけで、会ったこともなく知り合いでも無いが、短歌を作る人は居ても新聞に掲載される人は少ないので、どんな人なのか興味があった。

 「てのひらのスマホの画面ほどのビル 夏の光があふれ出してる」。これは月城さんの歌だ。スマホを操る人だからまだ若いだろう。市内の電話帳を見ても、月城という姓は無いから、歌を作る時のペンネームなのだろう。いろんな人がいて、いろんな活動をしている。それがコミュニティーだと思う。

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庭園の女性たちはとても美しく

2023年04月16日 18時54分53秒 | Weblog

 「誕生日のお祝いに、木曽路の焼肉弁当はどう?」と、カミさんが言う。木曽路から誕生日祝いのハガキが来ているので、行きに頼んでおいて帰りにもらってくる、その間に『ぎふワールド・ローズガーデン』の話題になっているネモフィラ庭園を観に行こうという計画である。

 ネモフィラは茨城県の『ひたちなか海浜公園』が有名で、次女たちに連れて行ってもらったことがある。『ぎふワールド・ローズガーデン』では、どんな庭園に仕上がっているのだろうと興味もあったし、バラがまだ咲いていない時期の公園がどうなっているのかも知りたかった。

 午後から出かけたのに、たくさんの人で賑わっていた。日曜日なので家族連れや若い人たちが多い。それにもう春なので、若い女性たちのミニスカートや短パンで姿が目を引く。東側に整備されたバラ園で、とっても脚のきれいな若い女性に出会った。カミさんに「すっごくきれいだね」と言うと、「脚ばっかり見ているのね!」と叱られた。

 『ぎふワールド・ローズガーデン』では、バラがまだ咲いていないこの時期に、客を呼ぶための工夫を凝らしていた。もうチューリップは終わっていたが、もう少し前に来たならチューリップが見事だっただろう。咲き揃ったネモフィラ庭園も秋はコスモスが植えられていたし、ヒマワリやケイトウの花壇も作られていた。

 ネモフィラ庭園では写真撮影が行われていた。結婚したカップルや子どもを抱いた夫婦をモデルに、プロのカメラマンが記念写真を何枚も撮っていた。傑作だったのは男性が女性をおんぶしたり、女性がのけぞり男性がその腰を抱えてキスしているような場面を、カメラマンの指示に従って行っていた。

 その様子を見ていた若いふたりの女性のひとりが、「ウチの彼氏は恥ずかしがり屋だから、ようせんわ」と笑った。けれど、あんな写真が撮れたらいいなと、羨ましそうな顔だった。バラ園はどこも手入れが行き届いていて、蕾も大きく膨らみ、開花を待っている。庭園の女性たちは美しく、既に春が到来していた。

 

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ゲーテは何を思うだろう

2023年04月15日 17時17分05秒 | Weblog

 朝から雨がシトシト降っている。卒業生の近藤君が教えてくれた稲垣栄洋氏の著書を書店で訊いたら、5冊の文庫本を探してくれた。とりあえず、5冊とも買って来た。その時、新聞で紹介されていた村山由佳さんの『花酔ひ』も買った。

 稲垣氏の『面白くて眠れなくなる植物学』、村山さんの『花酔ひ』を同時に読み始めた。確かに近藤君が、「稲垣氏の本は面白いですよ」と教えてくれただけのことはある。「はじめに」の書き出しが面白い。

 「『天には星がなければならない。大地には花がなければならない。そして、人間には愛がなければならない』 これは、18世紀のドイツの詩人、ゲーテの言葉です」で始まる。文学の話?と思うと、「『花は葉の変形したものである』。これが、1790年にゲーテが記した”植物変態論”です。これは、本当でしょうか?」と続く。

 葉には葉脈があり、花にも花脈がある。花びらは葉が変形したもので、雄しべも雌しべも葉が変形して出来たもので、ゲーテの主張は分子生物学で照明されているとある。さらに、「なぜ、植物は葉から花を作り上げたのでしょう?なぜ植物の花は美しいのでしょう?なぜ、タンポポの花は黄色く、スミレの花は紫色なのでしょう」と問いかける。

 問いに答えようとすると分からないことばかりだ。問いに答えるために、先へと読み始めてしまう。近藤君が「面白い」と教えてくれた意味がよく分かった。それなのに時々、区切りがつくと、『花酔ひ』も手にしてしまう。

 愛って何か、夫婦って何か、こちらも答えが分からない。男と女の間に進化は無いが、不思議なものがあることは確かだ。ヒマな人間にはもってこいの本だ。明日は私の79歳の誕生日、「シャンパンでお祝いしようか」とカミさんが言う。投稿しようとしたら、「#植物変態論」はダメとなった。ゲーテは何を思うだろう。

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静かにそっと旅立てればそれでいい

2023年04月14日 17時38分59秒 | Weblog

 娘の保育園の父母会の会長を務めていた時、他の園の会長だった男も同じ歳だったことから友だちになった。しかし、彼は何年か前に亡くなり、カミさんは息子夫婦と暮らしている。カミさんは今も商売を息子と続けている。

 「私をこき使うばかりで、本当にいたわりが無い」と零す。「孫が大学と高校に入学したのでお祝いを上げなきゃーならないし、もう出る一方。私に何か買ってくれたことも、祝ってくれたこともないのによ」と嘆く。

 母と息子だから、オヤジに代わって、仲良くしているのかと思ったが、なかなかそうはいかないようだ。「息子の嫁さんとはうまくいってる?」と尋ねると、「口もきいてくれない。そのくせ、あれをやってとか、これはどうしたとか、命令ばっかり」と愚痴る。

 家族が揃っていても、傍目では分からないそれぞれの事情がある。「仏壇の前で、お父さんが先に逝ってしまうから、私は苦労ばっかりと愚痴を言ってるの」と言う。他人に零すことで少しでも和らぐなら、聞くのも友だちの役目だろう。

 何が幸せで、何が不幸なのか、それは一概に言えることでは無い。どんなに仲良し家族のように見えても、本人にしか分からないこともあるだろう。でも逆に、傍目に仲良し家族と映るのなら、演じていれば本当にそんな家族になれるのかも知れない。

 今朝の朝日新聞の書籍広告欄に、松井久子さんの『最後のひと』が載っていた。読者の声として、「まるで私と彼のことのようで驚いています」「自分たちの関係を後ろめたく思っていましたが、燿子と理一郎のように堂々としていていいですね」とあった。

 老いた男と女が、最後に求めるものは何だろう。まだまだ分からない。ということは、見極めるまで生きなくてはならないということか。いやいや、そんなもの見極めなくてもいい、静かにそっと旅立てればそれでいい。

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故郷は遠くなるばかり

2023年04月13日 17時27分50秒 | Weblog

 刈谷市立亀城小学校の同級生が、「千載一隅のプレゼントを贈る」とメールしてくれたので、何が送られてくるのかと楽しみにしていた。昭和28年(1953年)に発行された「刈谷市地籍図」とその裏面の「刈谷市商店街の図」を、プリンターでスキャンしたA4を何枚も貼り合わせたものだった。

 同級生は「このところ身辺整理を進めています、書棚整理で懐かしい地図を発見しました」と、手紙が添えてあった。「私たちが小学校2年生当時の町の地図です、商店の配置図は小学校の通学路に存在した各商店の名前が懐かしいです、個々のお店を思い出します、多種多様な多くの商店が存在していました。」

 彼の家は「万灯祭り」の会場となる秋葉神社の近くだったから、小学校へ通う道は刈谷で一番賑やかな商店街だったと思う。私は亀城小学校の学区の外から通っていたので、いろんな道を通って通学し、帰りはまた、気の向くままあちらこちらと彷徨い歩いて帰った。送られてきた地図を見ながら、店の名前を確認し懐かしく思った。

 刈谷市駅から西へ少し行ったところに「鈴木材木店」はあった。駅に近いところに「水産市場」があり、朝早くには勇ましい掛け声が響いていた。市場の入口に従業員の長屋があり、そこの女の子は「お医者さんごっこしよう」と言うおませな子だった。市場の午後は人影もなく、紙芝居のおじいさんがやって来ていた。

 遠くから見ている子がいると、「金を払っていない子は見ちゃダメ」と追い払った。私の家の前には八百屋があり、その隣には菓子屋があった。何時の頃からか、クリスマスにはケーキが売り出され、父が買ってきてくれた。家から更に西へ行くと、銭湯があった。我が家には風呂はあったが、中学生になった時、友だちに誘われて銭湯に行った。

 風呂上がりに牛乳を飲み、銭湯を経営していた家の開かれた窓からテレビをみんなで見た。まだ貧しい時代だったのに、何か活気があり、みんな忙しそうだった。過日、孫娘に私の母校である亀城小学校を見せてあげようと行ってみて、こんなに狭い運動場だったのかと思った。故郷は遠くなるばかりだ。

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「さすがだ。よく決心した」と感心した

2023年04月12日 18時35分25秒 | Weblog

 4月末に先輩のお姉さんが娘さんとアメリカから帰国されるので、我が家の隣の部屋を使ってもらうことにしている。隣りの部屋は長女一家が住んでいたが、自分たちの家を建てたので今は空き家になっている。次女一家が遊びに来る時は、長女の娘たちもやって来て、従姉妹の結束を強める場になっている。

 しかし現実は、娘たちの不要な物を置いておく倉庫になっている。「何とかしなさい」とカミさんは言うのだが、「ウン、ウン」と返事をするが一向に片づけに来ない。今朝はカミさんとふたりで、捨てていいものと置いておくものとをより分けた。

 昼食後、「中華鍋を買いたいからイオンモールへ行こう」とカミさんが言う。中華鍋は高島屋で買った高い品物だったが、料理の後の始末が悪くて焦げ付く。せっかくイオンモールまで来たからと思い、私の夏の上着とシャツをねだってみた。

 「いっぱいあるじゃーない」と拒否されるかと思ったら、「そうね」とユニクロでシャツを、無印商品で上着を買ってくれた。いい気分になって家に帰ったので、コーヒーを沸かしケーキをふたりで食べた。

 パソコンに向かうと、昔、「無党派市民派の学習会」に参加してくれていた刈谷高校の後輩で、今は東浦町の町長になっている神谷君が、4期目は立候補しないと宣言していた。「自分は多選批判で立候補しました。長くて3期までと最初に公約しています。約束はまもらねばなりません。」とある。

 「同じ職を3期続けると、さすがに慣れてきます。役場の中にも自分の考えが浸透してきて、特に指示を出さなくても、物事がスムーズにまわっていくようになります。一方で、多選を繰り返すと、マンネリや反対意見を言い辛い状況が生まれやすくなる恐れがあります」。

 「継続発展させるべきところはさらに充実・発展させ、改めるべきこと、新たに付け加えるべきところは、勇気を持って変えていく。そうすることによって、これまでの土台を固めた上で、さらに上に新しい価値を積み上げていって欲しいと思います」。

 「人はそれぞれ、個人の哲学や価値観を持っています。こだわりや得意分野があります。モノカルチャーのみではなくて、適当な期間を持って、町長が入れ替わり、まちに必要な文化や価値を積み増していくことが、良いまち、強いまちにつながっていくと私は信じています」。

 まだ63歳の若さなのに惜しいと思いながら、「さすがだ。よく決心した」と感心した。

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世界を花で埋め尽くせば

2023年04月11日 17時46分53秒 | Weblog

   

 胡蝶蘭が4鉢、咲き揃ったので玄関の靴箱の上に並べてみた。白色が最初に咲き、次に赤紫色が咲き、黄色がやっと咲いてくれた。まだ咲かない2鉢が残っている。いつもは南側の陽当たりのよい場所に置いていて、玄関には1鉢づつ交代で置いている。

 私は胡蝶蘭をうまく育てられなかったので、先輩にそのことを話すと、「手をかけ過ぎてダメにしている人が多い。水遣りを控え、場所も陽当たりのよいところから動かさない」と教えられ、その通りにしていたら今年は見事に花開いた。

 けっこう寒い時から咲き始めた胡蝶蘭だが、こうして蕾が全部花開くと、春というより初夏という感じがする。知多半島は胡蝶蘭の栽培が盛んで、過日に行った佐布里池の傍の温室でも多くの胡蝶蘭が育てられていた。

 私が中学生になった頃、「バラ園を作りたい」と父に話すと、「愛知県の西尾はバラづくりが盛んなところだ。一度見に行くか」と言ってくれた。父に連れられて見に行ったことが、よりバラつくりへの関心を高めた。

 映画の内容は全く記憶にないのに、西洋庭園が見事だったためか、題名の『昨年マリエンバートで』は覚えている。日本庭園の枯山水とは全く趣が異なり、変化しない永遠を現している。日本人と西洋人の美意識の違いがハッキリと分かる。

 可児市の『ぎふロールド・ローズガーデン』に行った時、バラの歴史や庭園のどこにどんなバラを植えているかを聞いた。西洋庭園にバラは欠かせないが、原産地は中央アジアのチベットから雲南省の高地で、各地でそれを改良したと教えてもらった。

 私はフト、現代の中国でもバラの栽培は行われているのだろうかと思った。バラはこれだけ世界中に広がっているのだから、中国でもロシアでもきっと育てられているだろう。何の根拠もなく、そう思ってしまった。

 世界中の人々が花を愛するなら、花を枯らしてしまうような戦争はしないはずだ。世界を花で埋め尽くせば、戦争はしなくなる気がする。

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選挙は当選者に権力を与える

2023年04月10日 17時29分52秒 | Weblog

 選挙って何だろう。私は社会人となってからは、白票を投じたことはあっても、投票所へ行かなかったことはなかった。選挙を権利というより義務と思っているからだ。だからかも知れないが、選挙結果にはいつもガッカリする。

 誰が当選したかでも、どの政党が得票を伸ばしたかでも無く、投票率がどうだったのかが気になってしまう。維新が知事と市長を当選させた大阪の選挙も50%を切っている。知事選には6人が立候補し、市長選にも5人が立候補したのにである。

 大阪以外で維新候補が知事に当選した奈良県は、保守分裂の危機感からか54%の投票率だったが、それでも半数近い人が投票していない。どんなに真面目に投票所へ足を運び、1票を投じても世の中は少しも変わらない。

 こんなことが何十年と続いているから、1票で世の中が変わると思えないのだ。選挙でガラッと世の中が変わる経験が無いから、選挙に希望が見えてこない。誰がやっても一緒だと、諦めた気持ちが強く働いてしまう。

 小学校、中学校、高校、大学と、児童会や生徒会さらに自治会の役員選挙を行ってきた。みんなの声を代表するはずだったが、何も変えることは出来なかった。一人ひとりの声を反映させる仕組みは選挙しかないはずなのに。

 それは義務だったからか。それとも権利だと思えば、違う世界をつくりだせたのだろうか。近代はフランス革命が掲げた「自由・平等・博愛」をスローガンに、国民が主人公の政治を目指して来た。

 一人ひとりが1票を投じる民主主義が定着しているのに、どうして国家を自分のものと感じられないのだろう。投票率50%はそれを象徴している。選挙は当選した者に権力を与える制度でしかない。人々はたとえ奴隷のような存在でも、毎日食べられ、遊ぶことができ、楽しい日々ならそれで良いのかも知れない。

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