友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

坂の上の雲

2010年12月01日 20時55分47秒 | Weblog
 果たしてやり切れるだろうかと心配していたことが実現できれば、人は充実した気持ちになれる。「成功体験の多い人の方が幸せだろうか」と聞かれた。「おそらくは、そうだと思うけど」と答える。「成功体験の数と失敗体験の数は伯仲しているのだろうか」と続けて聞かれた。「多分、成功体験の方が多いのではないのか」と言うと、「成功と失敗の絶妙のバランスの上に人は生きているのだろうか」とさらに聞かれた。「うーん、人はきっと、成功体験はよく覚えていても失敗体験は忘れてしまうのではないだろうか」。

 もし仮に、成功と失敗が同数であったとしても、実際はそんなことはありえないだろうけれど、人は失敗したことをいつまでも留めておかないようにと努めていると思う。悲しかったことや悔しかったことは決してなかったわけではないだろうけれど、そのことにいつまでもしがみついていれば精神の病に冒されてしまう。失敗は成功の母と言う。失敗は成功へのエネルギーになるかも知れないが、悲しさや悔しさだけでは人生を前向きに生きることはできないだろう。

 失敗続きで、そのことが頭から離れなかったなら、人は希望を持って生きていけるだろうか。絶望の先にあるのは死でしかない。この世に69億の人が生きている。絶望し、自殺してしまう人もいる。けれども圧倒的多数の人は生きている。虚しい死に突然追いやられてしまう人もいるけれど、人が生きていられるのは、「まだ生きられる」という希望があるからだろう。成功したことは少ないかもしれないが、全く皆無ではないはずだ。その成功体験が知らないうちに強力なエネルギーとなっているのだと思う。

 失敗は乗り越えるための教材にすればいい。悲しさや悔しさをエネルギーに換えられる人は数少ない。人は褒められ認められてやる気を増す。貶され馬鹿にされたなら、自分の存在そのものを否定したくなるものだ。だから、子どもは褒めて育てなさい、人は認めて使いなさいと言う。自分の子どもを立派な人にしたければ、子どもの特性を引き出し認めてやることだ。自分の部下によく働いてもらいたければ、部下の資質を認めて引き出してやるべきだ。どんなに年齢を重ねても、たとえ老人といわれる歳の人でも、褒められたり認められたりするのに嫌な気持ちになる人はいない。みんな嬉しくなる。

 坂本竜馬や秋山兄弟や正岡子規のように、歴史に名を残した人だけが「成功した人」ではないと思う。生きている人の全ては生きているという意味で、もう成功した人である。人が生きているということはそれだけで価値がある。どういう価値かといえば、「あなたを必要としている人がいる」ということだ。必要とされなくなれば人は人生の幕を閉じるだろう。それを決めるのは神様であり、運命であろう。人は神様や運命を勝手に動かすことなどできないのだから、受け入れる以外ない。

 皆、素晴らしい人生を生きている。だからこそ最後まで自分らしく生きるべきだろう。自分らしくって、何?と思いながら。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする