12月に入ったのに、今日は格別暖かかった。朝のうちは風が少しあったけれど、午後からは無風だったので思わずルフバルコニーへ出て、鉢に肥料をやったり、雑草を抜いたり、余分な枝を切ったりしてしまった。それは本当に暖かな日差しで、何だか幸せな気分だった。なぜかふと、人の終末のことを思った。人の人生はよく春夏秋冬にたとえられる。春に生まれ、冬に死んでいく。けれど、冬に向かっているのに今日のように、小春日和以上の穏やかな日があるのだから、人生もきっと季節外れというか狂った時もあるのではないかと思った。
新聞広告だったかに、『余命18日をどう生きるか』という書籍の題名が載っていた。著者はホスピス病棟の主任看護師で、NHKテレビの「プロフェッショナル」でも取り上げられていた人だ。広告のコピーでは「ホスピスの平均入院日数は18日」とあった。今日、本屋で「週刊朝日」を立ち読みしていたら、この主任看護師さんの記事があった。パラパラと読むと死を恐れない潔い人たちとの出会いが書かれてあった。余命18日か、それはちょっと短すぎるけれど、いざという時は慌てたり取り乱したりすることのないようにしなくてはと思う。
私は66歳だけれど、若い時は65歳で死ぬように思っていた。それがこうしてまだ生きていると、70歳までは生きていてもいいかなと思うようになった。父親が残していった写真や日記やノートがまだ押入れにある。これらは私以外の誰が見ても何も分からないだろう。処分した方がいいと思っているのになかなか出来ずにいる。押入れの中には私の中学からの日記もあるし、手紙もずーっと残してある。子どもたちも私がそうであるように、父親が残しておいた写真や日記など何の意味もないものに違いない。
今日、テレビ「笑っていいとも」で、捨てられないものを取り上げていたけれど、人は結構捨てられないものがある。古いアルバムならまだ見る機会があるけれど、働いていた時のワイシャツやネクタイや背広などはもうどれも使うことはないだろう。これらを処分するようになった時は自分で最後の時と思うのかもしれない。よく身の回りのものを片付け出した時は、「あの世へ行くよ」と言われている。そう思うとまだ片付けない方がいいのかとも思ってしまう。
私の友人の中に、たまたまハイキングで出会った女性が忘れられないという人がいる。彼は鉄道会社が主催したハイキングだったので、それから鉄道会社の企画には必ず参加し、その女性との再会を待っていると言う。彼は還暦を過ぎているのにまだそうした恋心が捨て切れないようだ。私の中学からの友だちの中に、17歳も年下の女性と13年間以上も付き合っている男がいる。けれども彼のブログには彼女とどこへ行ったという記事がなくなった。彼は彼女を捨て去ったのだろうか。
人は欲深いから、いろんなものが捨てにくい。それが当たり前だと思う。捨てられないものをいつまでも愛し、自分にしかわからない世界を持っていたとしても、それはそれでいいように思う。
新聞広告だったかに、『余命18日をどう生きるか』という書籍の題名が載っていた。著者はホスピス病棟の主任看護師で、NHKテレビの「プロフェッショナル」でも取り上げられていた人だ。広告のコピーでは「ホスピスの平均入院日数は18日」とあった。今日、本屋で「週刊朝日」を立ち読みしていたら、この主任看護師さんの記事があった。パラパラと読むと死を恐れない潔い人たちとの出会いが書かれてあった。余命18日か、それはちょっと短すぎるけれど、いざという時は慌てたり取り乱したりすることのないようにしなくてはと思う。
私は66歳だけれど、若い時は65歳で死ぬように思っていた。それがこうしてまだ生きていると、70歳までは生きていてもいいかなと思うようになった。父親が残していった写真や日記やノートがまだ押入れにある。これらは私以外の誰が見ても何も分からないだろう。処分した方がいいと思っているのになかなか出来ずにいる。押入れの中には私の中学からの日記もあるし、手紙もずーっと残してある。子どもたちも私がそうであるように、父親が残しておいた写真や日記など何の意味もないものに違いない。
今日、テレビ「笑っていいとも」で、捨てられないものを取り上げていたけれど、人は結構捨てられないものがある。古いアルバムならまだ見る機会があるけれど、働いていた時のワイシャツやネクタイや背広などはもうどれも使うことはないだろう。これらを処分するようになった時は自分で最後の時と思うのかもしれない。よく身の回りのものを片付け出した時は、「あの世へ行くよ」と言われている。そう思うとまだ片付けない方がいいのかとも思ってしまう。
私の友人の中に、たまたまハイキングで出会った女性が忘れられないという人がいる。彼は鉄道会社が主催したハイキングだったので、それから鉄道会社の企画には必ず参加し、その女性との再会を待っていると言う。彼は還暦を過ぎているのにまだそうした恋心が捨て切れないようだ。私の中学からの友だちの中に、17歳も年下の女性と13年間以上も付き合っている男がいる。けれども彼のブログには彼女とどこへ行ったという記事がなくなった。彼は彼女を捨て去ったのだろうか。
人は欲深いから、いろんなものが捨てにくい。それが当たり前だと思う。捨てられないものをいつまでも愛し、自分にしかわからない世界を持っていたとしても、それはそれでいいように思う。