友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

本を買い求める人

2010年12月21日 22時35分54秒 | Weblog
 角川学芸出版から出ている『角川短歌12月号』の新聞広告を見て、買っておこうと思ったのに、近くの書店にはどこにも置いてなかった。最近、流行の大型書店に行けばあるだろうと出かけたけれど、やっぱり置いてなかった。『角川短歌12月号』は石川啄木が特集されている。啄木の歌には心引かれたけれど、国語の授業の中に出てくる作品のひとつくらいでしかなかった。大学に入って親しくなった友だちに啄木ファンがいて、彼の話を聞くうちに、啄木の生涯を知りたくなった。人物を知ると作品も分かるように思う。それで、新聞広告を目にした時は買って置きたい衝動に襲われた。なのに、どこを探してもない。「ない!」となると余計欲しくなる。

 どうせ取り寄せてもらうのだからと、旧知の友人の書店に出かけた。「角川短歌の12月号が欲しいけれど、取り寄せてくれる?」と聞いてみた。すると彼は「12月号は確かなのか?」と言う。「12月なら1月号になるはずだ」と言うのだ。「石川啄木を特集している号だけど」と言うが、「中身まではわからない」と言われてしまう。いったい何時、新聞広告を見たのか、話していると何だか自信がなくなった。「図書館に入れているから、確かめてからの方がいい」と教えてもらう。けれど、私の記憶では置いてないように思ったので、恐る恐る「図書館にはなかったように思うけど」と言った。私が行く大きい方の図書館ではなく分館の方にあると分かった。

 そんなこんなで今日、やっと『角川短歌12月号』が手に入った。「最近、何か注目の本はある?」と聞くと、やはり幕末から明治にかけての書籍が売れているとの話だった。そんな話の最後に「これはどう?」と『週間ポスト』を見せてくれた。「小沢一郎激白120分」の見出しが大きく載っている。「これからどうなるんですかね」と彼は言う。しばらく政治論議だ。この店の5倍くらいの大きさの書店が深夜遅くまで営業していて大変なところへ、さらに近くに大型書店が2つもできた。老舗の彼の店はお客が少なく、だから私的な話もできる。「絶対に置きたくない」と言っていたコミック本も置くようになっていた。理想的な書店を目指していたのに、時代の波には逆らえないようだ。

 パソコンは情報なら何でも手軽に手に入る。私たちの子どもの頃は書店に行けば、いろんな情報が目に入ってきた。私は小学生の頃から、町にある3軒の本屋をはしごして家に帰るのが常だった。別に本を買うわけでもなく、立ち読みするわけでもなく、並べてある背表紙を見て歩くのが好きだった。本の表題を見ただけで満足していたが、自分で稼ぐようになると、買って置きたい気持ちが強くなった。知らぬ間に書棚がいっぱいになり、「どうして読みもしない本を買うの」と非難を浴びることになる。「いつか読むだろう」と言うのは口実で、ただ並べて置きたいだけのことだ。図書館の司書の資格も取ったけれど、だからといって働く場所もない。わずか2メートル四方の書棚に買ってきた本を並べて満足している。ああ、これが自分の人生なのだと今は感じている。

 明日は「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク」の合宿のために休みます。
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