友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

オバマ氏は大統領になれない?

2008年05月21日 20時21分40秒 | Weblog
 どうやらアメリカ民主党の大統領候補はオバマ氏になりそうだ。アメリカの初代女性大統領の誕生はまだ先へ押しやられてしまった。4年前に、ヒラリー・クリントンが名乗りを上げていれば、ブッシュ氏に勝っていたかもしれない。歴史は「たら・れば」が通用しない。ヒラリーの敗因はアメリカ政治を知りすぎていたことだと思う。

 若い時の彼女は、自分の信念を前面に出して、古い制度や習慣と戦ってきた。しかし、政治の世界を知るに従い、理想だけでは「地位」に着けないことを熟知する。ベトナム反戦運動の先頭に立ってきた彼女なのに、ブッシュ大統領のイラク侵攻に反対できない。より広い層からの支持ばかりを考え、私の理想はこれですと訴えられない。誰もがする穏健で具体的で現実的でちょっと良心的な政策しか打ち出すことができない。

 彼女は「私はワシントンに行く用意がある」と言うけれど、そこには人々の心をとらえる理想や情熱がない。オバマ氏の「私たちで政治を変えよう」がどんどん力強くフレッシュに感じられる。「私」ではなく「私たち」は一体感を与えてくれる。それでもヒラリーが、「最後まで予備選挙を戦う」と宣言したことは、立派だと私は思う。初代女性大統領の誕生を夢見て応援してくれた人たちのためにも最後までやるべきだろう。そして、なぜ勝てなかったのか、よく考えた方がいい。

 オバマ氏はアメリカの初代黒人大統領になれないと評論家は見ている。大統領になれば、暗殺されるだろうとも言われている。アメリカという国はまだそんな国だと私も思う。白人の黒人への差別意識はまだまだ強いものがある。女性への偏見どころではない。黒人を人間と思っていない連中の意識改革はまだできていない。「反戦」を掲げて大統領になった者もいない国だ。「打ち殺せ!やっつけろ!」にはすぐにみんなが共鳴するが、「全ての人々とキスを!」と口で言ってもなかなか行動できない人々だ。

 再び共和党大統領の誕生になれば、アメリカの軍事力、アメリカの「正義」は世界を支配続けるだろう。アメリカが大きく変わるならば、世界もまた少し変わるだろう。人々の意識がどのようになっていくものか、アメリカ大統領選挙は示してくれるだろう。
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テレビドラマ「CHANGE」

2008年05月20日 23時23分16秒 | Weblog
 昨夜、「月9(げっく)を見なくちゃー」とカミさんが言うので、フジテレビ系列で午後9時から放映された『CHANGE』を観た。題名からすればオバマ氏のような物語なのかと思うけれど、実はそうなんだというところが実にふざけている。

 「総理大臣にまでなるのよ」とカミさんは、韓国ドラマを見るようにウキウキとしていたのに、ドラマが始まると、やはり腹時計どおり正確に居眠りをはじめ、先回も今回もほとんど始まりの3分ほどしか見ていない。

 主人公の木村拓也は小学校の先生だが、政治家だった父親の急死で、無理やりにその後釜を務めることとなる。選挙を実際に戦ったことのある私からすれば、選挙ほど嫌なものはないのだが、キムタクはそれを知る以前に、父親の地盤を受け継いだことで前知事と互角の選挙を戦うことができた。

 選挙では、全くの素人のキムタクは、選挙参謀の言うとおりに動いているに過ぎない。学校の先生といえども大人が相手なので演説だってうまくできない。私もあんなんだったなあーと思いながら、それでもやはり「若いキムタクは格好いいよな」なんて思いながら観ていた。

 事前の意識調査で、対立候補に大きく差をつけられていた。ドラマだからだが、父親の収賄疑惑を相手陣営がマスコミに流し、これでもうこの選挙派相手の勝利なるところだったが、起死回生の一発が炸裂し、キムタクは国会議員に当選する。

 その起死回生の一発とは父親の不正を認めることだった。実際にこんなことは起こらないことだが、キムタクは問い詰められて言う。「よいことのためだから、少しくらい悪いことをしてもいい。そんなことを子どもに教えられない。たとえ目的がよいことであっても、悪いことをしてはダメなんです」。

 現実の選挙で、キムタクの主張を有権者の皆さんが受け入れてくれるならば、本当にこの国は素晴らしい社会を築いていくだろう。政治は汚い(私は汚いような政治は政治ではないと言いたいが)。政治には金がかかる(私は金がかかるようにしてしまっている誰なのかと言いたいが)。本当にそうなのか、そう思い込まされているのではないのか。

 現実の政治の世界を全く知らないキムタクが国会に登壇する。「なんにもわかんない」と告白するが、実際そのとおりだ。多分、議員の経験のないものが国会での審議に出ても何もわからないだろう。そこでキムタクはどうでもいい陳情を聞いてしまう。秘書が「そんなことは国会議員でなくてもできます」と言うのに、キムタクは「じゃー国会議員は何をする」と自問する。

 ウブでとんまなキムタクを、これはいい、こいつを使ってこの難局を乗り越えようと考える政治家がいる。実際に、自民党の中にこういう政治家がいたら「こわい」と思うが、私が自民党の政治家だったら、小泉さんが出てくる前だったけれど、この難局を乗り越えるためには野田聖子を総理大臣にするのが一番だと思ったことがある。

 そんな風に考える脚本家がいるのだと思いながら、次回の展開を楽しみにしている。
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思い込みとすれ違い

2008年05月19日 19時03分58秒 | Weblog
 中学のクラス会に来られなかった女友だちのところへ、みんなで行こうかということになった。なったというのは、みんなでお酒を飲んでいた時の話だったので、誰がどのように計画するか、何も決めていなかったのだ。私が友だちに、そちらの二人の都合の良い時を決めて、来られなかった友だちがその日でOKなら、他の人には私が連絡するからと伝えた。その友だちが、「彼は都合が悪いんだって」と言うので、「じゃー、もう一度都合の良い日を聞いてみて、行ける人だけで行くことになるけれど、仕方ないじゃーないの」と話したつもりだった。

 あれから、いくら待っても友だちは何も連絡してこない。なかなか調整が難しいのかなと思っていたら、友だちも「ミニクラス会はどうなっているんだろう」と言う。思い違いというか、すれ違いというか、こういうことが多くなってきた。カミさんは「あなたはホントに思い込みが激しいのだから」と、たいていの悪いことは私の思い込みのせいだと、非難する。言われてみると確かに私は確認もせずに思い込んでいることがある。

 高校時代の初恋が悲しい結末となったのは、正しくその思い込みだったのに、未だに学習できていない。単なる連絡事項の場合なら、間違って恥をかくより、前もって恥をかいておいた方が傷は小さくてすむから、「ごめん。アレはどういうことだったケ」なんて聞いて確かめることができる。しかし、人の気持ちとなるとそういうわけにはいかない。私が彼女を好きであることは間違いないからというので、彼女と会って話もしないで、彼女だって私が好きに違いないといい気になっていた。彼女から「あなたが見ているのは私ではなく、あなたが作り上げている私なのよ」と指摘されて、愕然とした。私はトータルな彼女を好きになっていたはずなのに、全く彼女を見ていなかったのか。地獄に突き落とされる思いだった。

 大切な人との関係は、なかなか仕事の時のように割り切って「確認」をするわけにはいかない。人のコミュニケーションの取り方は微妙で難しい。自分では「誠意」を尽くしているつもりでも、その判断基準は受け取る人で違ってくる。12年間、友だち以上恋人未満を続けている友だちが彼女との間が修復できて、「『彼女.の気持を大切にしなければ、』 私は、知らず知らず、何度も自分に向かい、その言葉を呟いていた。」とブログに書いていた。彼は彼女の気持ちをどのように確かめているのだろう。これも余計な私の思い込みかもしれない。
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デイ・アフター・トゥモロー

2008年05月18日 22時04分56秒 | Weblog
 昨夜、テレビで映画『デイ・アフター・トゥモロー』を見た。2004年のアメリカ映画で、その撮影技術にばかり感心してしまった。未だに、どうやって撮影したのだろうと思う。映画のストーリーは簡単で、地球温暖化により世界各地で異常気象が連続し、ついに地球は氷河期を迎えるというもの。北で発生した巨大な低気圧は瞬時にマイナス200度近くになって、あらゆるものを凍らせていく。

 気象学者の警告に耳を貸さないアメリカ政府も、異常気象が現実に目の前に迫ってきて、あわてて国民の移動を発する。それでもアメリカの北半分の人たちは避難する時間もなく、氷の世界に閉じ込められ、多くの人々が凍え死んでいく。大自然の猛威の前ではいかなる最新兵器を備えていても無力だ。

 巨大な高津波がニューヨークを襲うシーンはどうやって撮影したのだろう。私の関心は最後までその撮影技術にあった。もちろんテーマはおもしろいだろう。しかし、地球環境への警告なら、クリントン時代の副大統領、ゴア氏の記録映画でも充分説得力はあるようだ。朝日新聞がヒマラヤの写真を持ち出して、何十年前の様子と今日との差を説明している。地球環境が大きく変化してきたことは、先進国に住んでいる人々なら既に気がついているはずだ。

 しかし、現実的な対応となると全く進まない。今年は洞爺湖サミットで、わが政府は地球環境を前面に出して取り組む姿勢を示すというが、果たしてどうなることやらわからない。どうもマズイと感じてはいても、開発をやめることはできない。プラスティック製品は作らない、使わないと決めることはできない。車はできる限り乗らないと決めることもできない。

 消費が経済成長の柱である限り、消費を止めることはできない。人口が減少すれば、必ず消費は落ち込むはずなのに、消費が落ち込むと人間社会は成り立たないように言われるうちは地球環境を守ることなど無理というものだ。映画では、異常気象の次に氷河期がやってくるというが、まずその前に水そして食料危機がやってくるだろう。賢い数学者ならこのあたりの計算はたやすくできるだろう。

 この地球に希望はない。宇宙ステーションだってあるし、今その建設をしているとのんきなことを言う人がいる。既にアメリカは宇宙開発から撤退しようとしている。宇宙は軍事的に必要だったに過ぎない。あんなところに人は住めない。仮に住めるとしても60億人の人間が移住できるわけではない。

 金融を考え出した人は、右肩上がりの社会しか想定していない。そこで国の予算も、そうお金にかかわるものは全て、右肩上がりの上に成り立っている。お金に利息がつかない、物をつくっても売っても利益が出ない、そういう社会の仕組みがそのうち出来上がるだろう。その時は、地球環境も保全されるのかもしれないが、もう私は生きてはいないだろう。
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ミミズの求愛

2008年05月17日 22時12分47秒 | Weblog
 朝から午後3時半まで、鉢の土の入れ替えをした。本当は午前中で終わるつもりだったのに、やりかけができてしまい、これをやってしまうまでは終われないと思いながらやっていたら、とうとうこんな時間になってしまったのだ。もちろん、途中で昼食は取ったけれど、ホンの少し休んですぐにまた仕事を始めた。今は、腰が痛くて背筋を伸ばすのが億劫になっている。

 ミミズのいる土は花にいいというので、鉢には何匹かのミミズを入れている。このミミズはたまたま買ってきた苗の土にいたものから増やした。今ではきっと千匹はいると思う。初めは1つの鉢に3~4匹くらいであったが、今では10匹は入っているだろう。土の入れ替えの時に、ミミズも入れ替えてやるが、土を混ぜ合わせる時にミミズを傷めてしまうことがあるので、できる限りミミズを見つけたら別の容器に入れておき、後から鉢に10匹ずつくらい入れるようにしている。

 別の容器にミミズを入れておくと、ミミズはお互いに絡み合い、赤く染まっていく。それを見て、私はこんなことを推測した。ミミズはずぅーと土の中で暮らしている。目はないのだから、ただひたすら前進し、全く偶然にミミズに出会わなければ、子どもをつくる機会もない。ミミズには雄雌の区別はないから、出会った瞬間に雄雌に別れ、繁殖行為となる。滅多に出会うことのないミミズに出会い、互いに絡み合い、興奮した繁殖行為が赤く染まるような色になるのではないかと思う。

 人間だって、目はあり耳も聞こえ判断できるはずなのに、最愛な人に出会うのは稀だと思う。だから人は恋に夢中になるのではないだろうか。ミミズと人間を一緒に見たのでは叱られそうだから、この推測は長い労働で少々へばったためのたわごとと聞いて欲しい。例の12年間、友だち以上恋人未満の関係を維持してきた友だちがやっとデートした。私は素直に喜びたい。私の教え子は、絶対に許さないと言うけれど、できることなら大目で見て欲しい。

 友だちのところに、女性から「泣いてしまった」とメールが入った。夜遅くに「大好きだ」などとメールしたために大騒動にでもなったのかと、彼はうろたえ慌てた。どんな結果が待ち受けていようと、全ては自分がしたことなのだから、自分が引き受けるのが人間社会のきまりだ。ミミズは相手に出会い熱烈に絡み合うことができるが、人は好きだからというだけでは許されない。ミミズと人間を同じように見ること自体が間違っているのだ。
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北村透谷の自殺

2008年05月16日 23時05分57秒 | Weblog
 孫娘は来週の火曜日から中間試験となるというのに、2年生になってからは真剣に勉強をしている様子がない。どちらかといえば、大好きな水泳はこれまでどおりに一生懸命で取り組んでいるが、勉強の方は甘く見ているように思う。この頃は、朝一番に新聞のテレビ蘭ばかり見ている。「そんなに見て、何か変わったことがあるの?」と聞いてみたら、「WOWOWで真央ちゃんが出てないか、録画しておく番組はないかを見ているの」と言う。「録画しても見る暇なんかないんじゃない」と言えば、「時間は作るものなの」と答える。

 そんなことを言うものの、実際は録画する番組はほとんどないし、あったところでテレビを見る時間はわずかしかない。少しくらい好きなことに夢中になってもいいのではと私は寛容に見ている。ところが、これでは試験勉強が間に合わないと思ったのか、昨夜はひとりで遅くまで勉強をしていた。お風呂に入ったのも12時近かった。私は孫娘に付き合ってからフトンに入ったから、午前1時を回ってしまった。ところが、朝5時に孫娘は起きて、「朝食まで勉強する」と言う。結局、私は彼女に付き合ったために睡眠時間を極端に奪われることになった。

 佐藤毅氏の『新一日一言』の今日の蘭を見たら明治の詩人・北村透谷の「人間の力には限界がある。僕は世を破るつもりでいて、自分の心を破ってしまった」が掲載されていた。透谷は明治27年5月16日、25歳と6ヶ月の若い生命を絶った。政治家を志して自由民権運動に飛び込んだが挫折し、激しい文章で古い日本と対峙した末の自殺だった。私は透谷の作品を知らないが、透谷が私の歳まで生きたなら、彼が得た結論もまた違ったであろうと思う。

 電車の中にはいろんな人がいて観察するには事欠かない。先日も私の向かいのベンチに80キロはあろう30代の女性が座った。彼女は左手にケイタイを持ち、右手の小指を鼻の穴に入れて鼻糞を掘り出し始めた。小指だけではうまくいかないのか、人差し指に入れ替えたり、全く周りの人のことなど気にする様子もなく続けていた。掘り出した鼻糞を丸めて、ひょっいと親指で飛ばしたが、その行方にも関心は示さなかった。続けて鼻糞を掘り出していた小指と人差し指を口に入れ、歯茎をこすり始めた。そうかと思うと、背中の半分を露出した10代のキレイな肌の女の子が、立ったまま、いきなりバックから道具を取り出した。世の中には危険なことをする若者が多いから何事かと見ていると、その道具で自分の金髪にカールをかけ始めたのだ。

 透谷がこんな光景を目にしたなら、理想と現実の狭間で苦しむことなど馬鹿馬鹿しく思い、死をもって答えようとすることを放棄したに違いないと、私は勝手に推測している。若い時は、死など恐れるものではないし、死は自分が生きる最高の形であるように思う。けれども、還暦を過ぎてなお生きている私には特別なものという意識はない。愛することも生きることも死すことも、同様に一生懸命でありたい。
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名演「足摺岬」を観る

2008年05月15日 23時23分42秒 | Weblog
 名演の5月例会は田宮虎彦原作、堀江安夫脚色の『足摺岬』だった。前半はなんともテンポの悪い芝居だなあという印象だったが、後半はまあそれなりに面白くなってきたように思われた。しかし、つまらない演劇なら睡魔に襲われそうなものだが、なぜか眠りにつくことはなかった。私の周りの人たちは疲れのせいか、初めから終りまで眠っている人が結構いたから、私のテンポが悪いという感じ方も間違いではなかったかもしれない。

 生きることに絶望し、岬から身を投げ出すつもりでやってきた主人公の帝大生は、お遍路さんらが宿泊する宿屋の人々のおかげで命を救われる。彼は自殺するつもりで来たのに、怒涛が打ち寄せる断崖から身を投げ出すことができなかった。「意気地なし」と笑っているのではないか、そんな思いが彼を襲う。

 「死ぬ理由はいろいろつけたがるが、生きる理由は一つあれば充分だ」と老遍路が言う。「生きたいと願う人が死に、死にたいと願う人が死ねなくて、自分の弱さを隠そうとして、なぜ死なせてくれないと言う。死にたければ死ねばいい。こうして周りの人たちが懸命に助けてくれたことを恨むがいい」と、宿屋のカミさんに突っぱねられ、若い娘からは「生きていて欲しい。命を粗末にするものではありません」と諭される。

 彼が生きようと決意するのは、この若い娘の存在が大きい。人を愛したものは生きる、生きようとする。だから舞台で、戊辰戦争の時に官軍に囲まれ、女や子どもまで全員が討ち死にしたのに自分だけが生き残ってしまった人、つまりは老遍路の物語は少し不似合いな気がした。この侍は愛するがゆえに妻と子どもを殺してしまうのに、自分は生き残ったのだ。時代が死ぬことを善とし、生きることを悪としたのだからそれは仕方がないことだ。であるなら、逆説的になるがたとえ傷を負っていたとしても、妻子の後を追うべきであったろう。

 薬売りもまた、自分の責任で家を焼かれ、妻子を死なせてしまった。過去にとらわれて生きていなくてはならない人がいる一方で、宿屋のカミさんは亡くなった亭主が残した借金を背負い、網元のところへ通うという現実に縛られている人もいる。娘が「どうして化粧をし、着飾って行くのか」と母親を責める。「お金のためだと言いながら、本当は自分もそうしたいんじゃないのか」と。現実はそういうものだろう。お金のためも本当なら、男の肌が恋しいことも真実だろう。

 生きることは希望に満ちてばかりいないし、いろんなものを背負い込むことでもある。全てをありのままに受け入れ、最後は神様の審判を仰ぐ以外に人は生きられないのだ。
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夫婦のかたち

2008年05月14日 19時50分11秒 | Weblog
 今朝7時、次女夫婦を空港に送る。2週間の滞在だったが、終わってみればアッという間だった。「よく2週間も休暇が取れましたね」と次女のダンナに聞くと、「タイにも祝日があり、5月は特に多くて、実質は1週間程度の休暇届です」と言う。「それに今週末も祝日なんですよ」と話してくれた。彼は接待ゴルフで忙しくなるのだが、そうなると次女はご機嫌斜めになるから困ったものだ。

 滞在中も、一足先に実家のある故郷に帰っていたダンナから朝早く次女に電話が入った。話しの内容は分らないが、「またやったの」「私は知りません」「自分でやったら」ときわめて冷たい返答をしている。タクシー会社に全部電話しろというようなことを言っているから、友だちと飲んで酔っ払い、タクシーに大事なものを忘れてしまったらしい。

 「どうしたの?」と次女に尋ねると、「いつも同じことの繰り返し。放っておく以外ないの!」と手厳しい。それでもさあ、わざわざ朝早く電話をしてきたのだ。この意味を受け取ってあげるべきではないのか。「あなたに助けを求めているのじゃーないの」と言いたかったけれど、「わざわざ電話してきたのだから」と言うと、「後でいろいろ聞かれるのがイヤだからよ」ともっと冷たい言い方をする。

 ちょっと待ちなよ。どうしてあなたはそんなにエライ人なの。あなたは間違いをしないの?私は頭に来たので、「ボクなら黙って知らん顔しているね」と言う。「パパは何も知らないんだから、黙っていて。(ダンナは)パパとは違うの!」とやられてしまった。もちろん彼の方が私なんかより純粋な人柄だ。私のように隠し立てをする人物でないこともわかる。けれど、そんなつっけんどんな言い方はないだろう。彼だって何も好きで無くしたわけではなく、困ったどうしようと思うからこそ電話をしてきた。助けて欲しいし、慰めの言葉の一つでも聞けばそれでホッとできるはずだ。

 あのさ、自分だけの価値観や判断基準で考えずに、もう少し相手を受け入れていいんじゃないか。次女を見ているといつもそんな思いがする。友だちが「夫婦はみんな形が違う。こうでなくちゃーいけないことはないのだから」と私に言う。確かにそのとおりだ。「近頃の夫婦はセックスレスが多いそうだ。それだから夫婦じゃーないとは言えないだろう。どんな夫婦になるかは二人の問題なのだから、やはり放っておくのが一番」とも言う。夫婦でありながらセックスもないということが私には理解できないが、確かにいろんな形があるとは思う。

 まあ、喧嘩だけはしないように。これだけはお願いしておきたい。
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薔薇が咲き始めています

2008年05月13日 21時36分11秒 | Weblog
 台風の影響で、さつきの空は曇っています。少し肌寒いくらいにさわやかな風でした。しかし、日が傾くとともに風は強さを増し、時折大粒な雨が降ってきます。街路樹のケヤキやクスノキ、ポプラなどは今が新緑で、これからますます緑の深みを増す気配です。家々の庭にはバラが少しずつ花を咲かせています。

 私の友人でかつての同僚は、花が好きで、バラを庭のあちこちに植えているうちに、人々が見学にやってくるくらいのバラ園にしてしまいました。確か昔、彼女は映画で見た『秘密の花園』を自分の庭に作りたいと言っていたように思います。バラたちは実によく手入れされ、つるバラは見事なアーチや棚を作っていますし、白色の美しいものや真っ赤な若いバラから妖艶なビロードのバラなど、色も香りも豊富に揃っています。

 彼女のバラ園の「オープンガーデン」が5月17日と地域新聞に告知されていました。「濃厚な香りで人々を魅了するオールドローズ、華やかな雰囲気のモダンローズ、今年も薔薇の花が咲き誇ります。ゆっくりと至福のひとときをお楽しみください」とある。彼女がバラ園を一般の人々にも告知するようになったのはいつごろからだろうか。口コミで「庭を見せて」と尋ねてくる人が増え、それならばと公開日を決めたのだろう。90歳を過ぎたお母さんの介護をする彼女はバラと話す時が一番の気晴らしなのかも知れない。

 私も小学高学年の時、バラに凝ったことがある。我が家の裏に100坪くらいの畑があり、柿の木が3本と棕櫚の木が2本植わっていたが、そこを耕していたおじいさんが具合を悪くして荒地になっていた。私は学校から帰る時、あちらこちらブラブラしながら帰ってきていたが、その途中の医院の庭のバラを眺めるのが好きだった。そこで父親に頼んでこの畑を借りて、バラ園を作ろうと思った。しかし、日当たりが悪かったこと、私にバラを育てる知識がなかったこと、そして何よりもお金がなかったのでバラの苗を買い集めることができなくて、結局中学3年まで続かなかった。

 岐阜県可児市の「花フェスタ」は世界一のバラ園だが、6日に出かけた時はまだつぼみは小さかった。やはり6月にならないと花盛りにはならないのだろうか。例年なら今月末が見ごろかな、何時見行くか思案のしどころである。
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道路財源特例法

2008年05月12日 22時30分15秒 | Weblog
 参議院本会議で、道路財源特例法改正案が反対多数で否決された。自民・公明の与党は、憲法の規定に基づき、明日の衆議院本会議で3分の2以上の賛成で再可決し、成立させるという。自民党内には一般財源化方針の担保がなければ反対すると言っていた議員もいたはずだが、「福田総理が記者会見で一般財源化を公言した」、さらに「一般財源化を閣議で決定した」と評価し、「造反はない」と言われている。

 おそらくそのとおりだろう。道路財源特例法が道路建設の不透明性の根源になっている。国家予算の2・5倍の特別会計は国会での審議を必要としていない。たとえ国会での審議が必要であっても、これまでのように参議院が衆議院と同じように、与党が圧倒的多数を占めているなら、ウヤムヤの審議で終わってしまっただろう。「ねじれ国会」だからこそ、道路公団のカラクリも明らかにされてきた。地方の道路建設が進まないと嘆くのであれば、しばらく嘆いてもらってもいいのではないかと思う。そうすれば、本当に必要な道路建設なのかも皆さんの目で確かめることができる。

 自治ネットの仲間がこんなことを書いていた。
▽私は、借金だらけになりながら、これからも道路をつくり続けようとする自民党の考えにも、ガソリンの超過税率を下げればみんなが喜ぶという民主党の考えにも、賛同しかねます。道路特定財源は高度成長期の遺物だと思います。地方を旅行すると、とんでもない辺鄙なところに不釣り合いに立派な道路が活用されずにいるのをしばしば目にします。山奥の山を削り谷を埋めて、広い歩道付きの2車線道路、入口に壁画や彫刻のあしらわれた立派なトンネルや橋、建設費やこれからの維持費の無駄だけではなく、自然や景観まで破壊しています。これらは国土に刻まれた痛ましい傷跡です。ほかにやるべきことはたくさんあるはずです。
▽一方、ガソリン税の暫定成立を下げれば確かにガソリンは安くなるのでしょうが、ただでさえ、地球温暖化の問題や石油資源の枯渇問題で世界中が頭を抱えている時に、ガソリンの消費をあおるような政策を持ち出すのは疑問です。ヨーロッパ先進国などでは環境税をかけてガソリンの値段を高くしているくらいです。ガソリン税で道路を造り、さらにガソリンの消費をあおっている日本は、環境政策に逆行しているとも言えます。
▽私は、ガソリン税は高い税率を維持し、その税収は福祉や環境政策に充てるべきだと思いますが、皆さんはいかがお考えでしょうか。

 同感である。ただし、税はどうしても歳出額が先にあって、そのためにどうするかという考え方になってしまうが、本当に必要なものはいったい何か、ここから洗い直さなければ、現状維持の政策から抜け出せない。税を遣う役人の数、審議する議員の数、仕組みそのものの点検の時が来ていると思う。
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