友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

デイ・アフター・トゥモロー

2008年05月18日 22時04分56秒 | Weblog
 昨夜、テレビで映画『デイ・アフター・トゥモロー』を見た。2004年のアメリカ映画で、その撮影技術にばかり感心してしまった。未だに、どうやって撮影したのだろうと思う。映画のストーリーは簡単で、地球温暖化により世界各地で異常気象が連続し、ついに地球は氷河期を迎えるというもの。北で発生した巨大な低気圧は瞬時にマイナス200度近くになって、あらゆるものを凍らせていく。

 気象学者の警告に耳を貸さないアメリカ政府も、異常気象が現実に目の前に迫ってきて、あわてて国民の移動を発する。それでもアメリカの北半分の人たちは避難する時間もなく、氷の世界に閉じ込められ、多くの人々が凍え死んでいく。大自然の猛威の前ではいかなる最新兵器を備えていても無力だ。

 巨大な高津波がニューヨークを襲うシーンはどうやって撮影したのだろう。私の関心は最後までその撮影技術にあった。もちろんテーマはおもしろいだろう。しかし、地球環境への警告なら、クリントン時代の副大統領、ゴア氏の記録映画でも充分説得力はあるようだ。朝日新聞がヒマラヤの写真を持ち出して、何十年前の様子と今日との差を説明している。地球環境が大きく変化してきたことは、先進国に住んでいる人々なら既に気がついているはずだ。

 しかし、現実的な対応となると全く進まない。今年は洞爺湖サミットで、わが政府は地球環境を前面に出して取り組む姿勢を示すというが、果たしてどうなることやらわからない。どうもマズイと感じてはいても、開発をやめることはできない。プラスティック製品は作らない、使わないと決めることはできない。車はできる限り乗らないと決めることもできない。

 消費が経済成長の柱である限り、消費を止めることはできない。人口が減少すれば、必ず消費は落ち込むはずなのに、消費が落ち込むと人間社会は成り立たないように言われるうちは地球環境を守ることなど無理というものだ。映画では、異常気象の次に氷河期がやってくるというが、まずその前に水そして食料危機がやってくるだろう。賢い数学者ならこのあたりの計算はたやすくできるだろう。

 この地球に希望はない。宇宙ステーションだってあるし、今その建設をしているとのんきなことを言う人がいる。既にアメリカは宇宙開発から撤退しようとしている。宇宙は軍事的に必要だったに過ぎない。あんなところに人は住めない。仮に住めるとしても60億人の人間が移住できるわけではない。

 金融を考え出した人は、右肩上がりの社会しか想定していない。そこで国の予算も、そうお金にかかわるものは全て、右肩上がりの上に成り立っている。お金に利息がつかない、物をつくっても売っても利益が出ない、そういう社会の仕組みがそのうち出来上がるだろう。その時は、地球環境も保全されるのかもしれないが、もう私は生きてはいないだろう。
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