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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

再会

2008年05月01日 16時20分05秒 | Weblog
 今日、バンコクから次女夫婦が2週間の休暇を取って戻ってくる。久々に男同士でお酒を飲みながら話ができる。それはとても嬉しいのだが、「またやかましくなるよ」と長女が私の方を見て冷やかす。次女とはいつの間にか、些細なことから意見の違いが膨らんでいき、ぶつかってしまう。「熱い二人だからね」と長女は笑う。

 そんなわけだから、こうしてブログに向かう時間も制約を受けそうだ。そこで(関係ないけど)、今日は一昨日に続いて友だちの「恋」について書いておこう。友だちは17歳下の女性にスナックで出会い、心引かれ、気が合って、12年間「友だち以上、恋人未満」の関係を続けてきた。しかし、健康診断で肺に腫瘍が見つかり、落ち込み、女性との付き合いを続けることはできないと思うようになっていった。

 そんな時期に、女性が彼の一番嫌いなタイプの男性の誘いに応じ、スナックに飲みに行っていることを耳にする。まだ女性がスナックでアルバイトをしていた頃、その男性が彼女の名前を呼び捨てにしたり、彼女の携帯電話を開いてメールをチェックする様子を見たことがある。しかも男性はカードをちらつかせて彼女をデートに誘っていた。これ見よがしにチップを彼女に渡してもいた。彼女がアルバイトを辞めてからも、その男性の誘いに乗って、彼女は飲みに行ったとも聞いた。

 「誰も分っていないんです。ありふれた男と女の皮相しか見ていないんです。その先にある人間と人間の友情を誰も分かろうとしないんです」と言い、「(私たちの)12年間には、男と女の関係を超越した愛が間違いなく存在していた」と断言する。ところが一方で、「友だち以下にするか、恋人以上にするか、決断をどこかでしなくてはならないと思うようになった。彼女はおそらく、恋人以上の関係を承諾しないだろう。そんな我儘を許すとは思えない」と不安を口にする。

 そんな葛藤の末に破局は突然にやってきたのだ。彼が「尻軽女!」とののしってしまったのは、「女の隣にその男の影が見えたからだ」。彼女は怒り、そして去った。彼女を失って、彼は空気が抜けた人形のようになってしまった。「女友だちとの完全な断絶を覚悟し踏み切る勇気など持ち合わせてはいない」。「寂しくて、夜中に涙が止まらなくなる」。そんな日々が続いた。失ってしまったものを取り返したい気持ちが日ごとに大きくなっていく。ブログで悲しみを吐露し、メールで「会いたい」と呟く。

 再び、彼に急展開が訪れる。夜中の2時に女性から、「飲みに行っては、『オレの女になれ』としつこく口説いているってウワサだけど、本当なの?」と詰問する電話が入る。彼は懸命に謝る。ここから二人の総括が始まる。明け方の4時半頃まで、時には涙をためて、言葉を詰まらせながら、とことん話し合う。「言葉の抑揚と息遣いから」「やり直せるかもしれないと思えてきた。それは12年間、彼女を見つめ続けてきた私にしか、分り得ない感触で、直感であった」。

 そして、「これからも二人で、いい思い出を作ることに、私は異存ないわよ」という彼女の言葉を受け取るのだ。彼女の心変わりの原因はどこにあったのだろう。そもそも心変わりなどは無かったのか。
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