次女が、運転免許証の更新のために平針まで行くというので、「じゃあー、送っていってあげるよ」と一緒に出かけた。次女は昨年の7月までが更新の期限であったけれど、ダンナとタイのバンコクに住んでいて、タイミングよく免許の更新のために日本へ帰ることができなかった。今回は長期に休みが取れたので、この機会に免許証の更新手続きをしようというのである。
「2時間の講習を受けないといけないから、先に帰っていいよ」と言うので、時間をつぶす場所もないから、「じゃー何かあったら連絡して」と帰ってきた。次女は4時ごろに戻り、「日本は海外生活者に不親切だ」と不満を言う。どうしてなのかと理由を聞くと、「やむをえない事情がある場合は、失効日から3年以内なら学科試験と技能試験が免除で、運転免許証は発行してもらえるけど、ゴールドではなくなっちゃうし、若葉マークをつけないとダメなのよ」と言う。「国内にいるなら、そりゃー手続きもできるけど、海外にいたのでは、免許の更新だからと帰国できると思う?その費用はどうするの?」と、憤懣やるかたない様子だ。
ダンナの方は、こちらの友だちや昔の職場の仲間、取引先の方などとのゴルフと宴席が続いている。その合間を縫って、我が家の家族とも付き合ってくれているから、相当に疲れてきていると思うけれど、いやな顔もせずに「頑張ってるナ!」と思う。私は高校生の時に父親を亡くしているので、父親と一緒に酒を飲む機会は無かったが、カミさんの父親とは1対1ではないものの、酒を飲むことは度々あった。
自分が娘のダンナと付き合うようになって、カミさんの父親もこんな風に娘婿と酒を飲んでいたのかなと思うことがある。世代が違うということは関心事も違うから、当然ながら何を話題に話しようと惑うことがある。カミさんの父親はよく自分の子どもの頃や若い頃の話をしたし、自分が何になりたかったかというようなことも話してくれた。自分を語ることで自分自身を、強いては自分の娘を、理解してほしかったのではないかと思う。
私は、私の考えや価値観を自分の娘たちに押し付けてきた。娘たちは反発し、自分なりの考えや価値観を持つようになってくれたと思う。それは親子という血のつながりがあり、子育てという時間があったからだが、娘婿たちにそれを押し付けるようなことは絶対にしてはならないと思っている。私が何を言い、何をしても、「それはお父さんのこと」くらいの受け止めでいいと思う。
人はいろんな人と出会い、そしてその人から学び、自分を形成していく。年寄りの範疇に入るようになった今、しかし、決して完結しないこともわかった。人生はいつも新しいことばかりで、完了することのないものなのだ。
「2時間の講習を受けないといけないから、先に帰っていいよ」と言うので、時間をつぶす場所もないから、「じゃー何かあったら連絡して」と帰ってきた。次女は4時ごろに戻り、「日本は海外生活者に不親切だ」と不満を言う。どうしてなのかと理由を聞くと、「やむをえない事情がある場合は、失効日から3年以内なら学科試験と技能試験が免除で、運転免許証は発行してもらえるけど、ゴールドではなくなっちゃうし、若葉マークをつけないとダメなのよ」と言う。「国内にいるなら、そりゃー手続きもできるけど、海外にいたのでは、免許の更新だからと帰国できると思う?その費用はどうするの?」と、憤懣やるかたない様子だ。
ダンナの方は、こちらの友だちや昔の職場の仲間、取引先の方などとのゴルフと宴席が続いている。その合間を縫って、我が家の家族とも付き合ってくれているから、相当に疲れてきていると思うけれど、いやな顔もせずに「頑張ってるナ!」と思う。私は高校生の時に父親を亡くしているので、父親と一緒に酒を飲む機会は無かったが、カミさんの父親とは1対1ではないものの、酒を飲むことは度々あった。
自分が娘のダンナと付き合うようになって、カミさんの父親もこんな風に娘婿と酒を飲んでいたのかなと思うことがある。世代が違うということは関心事も違うから、当然ながら何を話題に話しようと惑うことがある。カミさんの父親はよく自分の子どもの頃や若い頃の話をしたし、自分が何になりたかったかというようなことも話してくれた。自分を語ることで自分自身を、強いては自分の娘を、理解してほしかったのではないかと思う。
私は、私の考えや価値観を自分の娘たちに押し付けてきた。娘たちは反発し、自分なりの考えや価値観を持つようになってくれたと思う。それは親子という血のつながりがあり、子育てという時間があったからだが、娘婿たちにそれを押し付けるようなことは絶対にしてはならないと思っている。私が何を言い、何をしても、「それはお父さんのこと」くらいの受け止めでいいと思う。
人はいろんな人と出会い、そしてその人から学び、自分を形成していく。年寄りの範疇に入るようになった今、しかし、決して完結しないこともわかった。人生はいつも新しいことばかりで、完了することのないものなのだ。