友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

小学校のクラス会

2008年05月11日 22時19分29秒 | Weblog
 昨日の誕生日会に続いて、今日は小学校のクラス会だった。次女夫婦がバンコクから帰り、ダンナがいない夜も次女がいるので、食事の時はついついお酒の量が増えていたのに、さらに飲み会が続くことになった。ところが今日のクラス会は昼間に開かれたこともあるが、出席者の男性たちの中に「医者に止められて」というものもいれば、「あの世へ寸前のところまで行ってきて」、「アルコール依存症だった」、「胃もすい臓も採られて」というものもが何人もあった。女性たちの中にも「アレルギーでダメ」「車に乗ってきたから」というので、お酒の消費は少なかったように思う。

 私の隣に座った女性は二人とも間接の病気があり、一人は膝の手術をしたと言う。もう一人は手の指が曲がらないので、包丁が持てないこと、ダンナが退職して家に居るから3度も食事を作らなくてはならず、ストレスで一時やせてしまったと話してくれた。また、その隣の男性は、40代の時にイスから立とうとしたのに立ち上がれなくて、大学病院で筋ジストロフィーと診断されたと言う。毎朝1時間歩き、午後はマッサージを受ける毎日を送っていると。

 小学校のクラス会は7年ぶりだ。本当は還暦の時にやることになっていたらしいが、結局出来なくて今日になってしまったらしい。私は、前回は都合がつかなくて出席していないので、9年ぶりの同級生との再会となった。先生も毎回、5年と6年の担任が出席してくださるが、おそらく他に例がないと思う。5年の担任は女の先生で、鼻が高くキレイな人だった。多分その頃は25~6歳くらいで、白いブラウスがまぶしかった。6年の担任は大学を出たばかりの熱血漢だった。

 私が自分に目覚めることになったのもこの時だ。それまでは授業中に手も上げられない内気な引っ込み思案の子どもだった。通信簿にはいつも「積極性が欲しい」と書かれていた。これではイカンと思い始めていた。手が上げられないのは自信がないからだと気がついたから、それまでは家で予習などしたことがなかったのに、教科書だけは読んでおくようになった。クラスの男の子たちとも気が合ったのかもしれない。自分を出せるようになったのは、この小学校の高学年だったと思っている。

 女の子のことは余り覚えていないが、男の子はよく覚えている。私はこの小学校の校区外から通っていたから、いろんなところへ立ち寄りして家に帰った。クラスの男の子の家にも寄ったことを思い出す。我が家は板の間に家族10人が揃って大きな机を囲むように座って食事をしていた。同級生の家は既に核家族で、食卓はテーブルでイスの生活だった。冷蔵庫やトースターがあり、ステレオもあった。私にはアメリカ人のような生活に思えた。

 話題が子どもたちのことになった。驚いたことに同級生のほとんどが「まだ子どもが家にいる」と言う。30代でありながら結婚しない子どもが多いのだ。2次会でカラオケに出かけたが、私たちが歌う曲は演歌が多い。結婚した子どもは、その子どもの授業参観に行っても子どもそっちのけで私語する世代である。先生の悪口を子どもの前で平気でするし、子どものことで理不尽な要求もする。私たちこそが諸悪の根源のようだ。
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