友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

時代は変わっていくが

2017年06月08日 17時33分07秒 | Weblog

 大学の定員と受験者がほぼ同数になるという。大学受験も様変わりしていて、高校が持っている「推薦枠」に入るためだけに勉強している生徒が多くなっているそうだ。無理して難関の高校に入らなくても、「推薦枠」で入れる大学に行くために高校を選ぶと聞く。「苦労」したくないと本人は思い、親も子どもに「苦労」させたくないと思っているらしい。不思議な時代になってきた。

 私は高校生の時に両親を亡くしたので、大学は行かなくてもいいと思った。たまたま兄が「入学金くらいは出してやる」と言ってくれたので、国立なら授業料も安いから何とかなるだろうと1校だけを受験した。たまたま合格できたので、私の人生は恵まれたものになった。授業料は免除され、奨学金はもらい、家庭教師もしていたから小遣いもあった。将来のことなど考えずに、「生きている意味とは何か」などと青臭い論議ばかりしていた。

 私の学生時代は60年安保と70年安保の間だったので、学生運動も激しくはなかった。街頭でのデモもベトナム反戦くらいで、それもそんなに多くの学生が参加することはなかった。社会人になって組合の動員で、ベトナム反戦に参加する程度だったが、学生たちの過激な街頭デモに拍手する一方で、「こんなことをしていてどうなるのだろう」と懐疑的になっていた。

 1989年6月、中国の天安門に学生たちが集まり民主化を要求した。70年代に日本やアメリカやヨーロッパで学生たちの過激な行動が起きたが、とうとう中国でも起き、世界は新しい時代に向かっていると思った。でも、不思議に思うのは、全共闘の人たちも中国の天安門デモの指導者も、その後どうしているのか活躍を聞かない。私は担い手ではないから分からないが、彼らは彼らなりに、立つべきところに立って時代に向かっているのだろうか。

 今の若い人たちもまた、私たちとは違う次元で、時代を見つめているのだろう。

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