今日はホテルで宴会である。昭和19年4月から20年3月まで生まれた同年者の会を開く。平成17年に社会福祉協議会の呼びかけで、「60歳の集い」が開かれた。その参加者が中心となって、翌年に『第1回シクラメンの会』が開催され、以後毎年行なわれてきた。地元の者ばかりではなくということで、私は6回目からお手伝いしてきた。今日はその記念すべき10回目なので、副市長や協議会長にも出席していただき、祝辞をいただくことにしている。
先日、その打ち合わせをしていて、幹事のひとりが「テレビなどで高齢者がどうのこうのと言うのを聞いていても、自分より年上だったのに、最近じゃー年下だもの、やんなるよ」と嘆く。「そういえば、来賓のふたりも俺たちより年下じゃーないか。来賓といえば年上だったのになあー」。「60代の時は年取った気がしなかったが、70代に入ると60代とは違う気がする」。「そんなにぼやいてどうするの。気持ちだけでも若くないと、本当にボケるよ」などと言い合った。
世の中は、定年を70歳まで延ばしたらどうかなどと言う。もちろん、60歳で定年となっても本人は充分まだ働けるだろう。働かざるを得ない状況の人もいる。ただ、余生を楽しむ時間が合ってもよいではないかと思う。働いていた時も、旅行や趣味など楽しんできた人はいいけれど、そんな余裕のあった人ばかりではないはずだ。それに地域でのふれあいというかつながりも必要だろう。自分のため、他人のため、地域のため、そんなボランティアが出来る社会こそが「輝く社会」だと思う。
夫婦であっても、忙しいばかりではすれ違うし、かといって「定年だから、さあーどうぞ」と言われても、急に仲良くという訳にもいかない。そんな可笑しさの川柳が流行っているらしい。
耳とおく トークはずまず 妻とおく
長生きは したくないネと ジム通い
帰宅して うがい手洗い 皿洗い
このオレに 暖かいのは 晩座だけ
やられたら やりかえせるのは ドラマだけ
ボケたふり してでも妻を そばに置く