寒い時の法事は芯から身体が冷える。日曜日の法事は寺で行なわれた。本堂には石油ストーヴが何台も並べられ、赤々と火炎が燃え上がっていたが、とても追いつく状態ではなかった。ストーヴの周りに座るけれど、炎に当たる面は暖かくても反対側は凍りつくように冷たい。僧侶のお経が長々と続く。最初のお経の時、「‥と申す」と言ったのは分かった。最後のお経も、文語体のものを読み上げていることはわかった。
けれど、何を説こうとしているのかと耳を傍立てって一生懸命で聞いたけれど、さっぱり分からない。初めと終わりの候文も、人は誰でも死を迎えるということのようだがよく分からない。イスラム教がどういうものか知らないが、少なくともキリスト教はルーテルの宗教改革で、一般人も聖書を手にすることができるようになった。聖書は世界中の言葉に訳され、誰でもキリストの言葉を直に知ることができる。
仏教もキリスト教も儒教も、弟子たちが「先生はこう言われた」という記録が経典になっている。仏教はサンスクリット語を漢字に置き換え、音声で伝達されたはずだ。日本に伝来した時も、漢字の意味ではなく音声で覚えたのだろう。確かに、音は声を出して繰り返した方が覚え易い。文章は忘れてしまっても、歌詞は意外に覚えている。声を出して、みんなで合唱して、1文字も間違えずに覚える。寺はその修行の場であっただろう。
しかし、意味も分からない合唱を聞かされて本当に人々は仏教を信じたのだろうか。親鸞の時代の小説を読むと、平安から鎌倉にかけて庶民の間に今様という歌が流行している。坊主の中には「声がいい」と評判の者もいたという。日本ではかな文字が生まれている。ならば、意味が分からないサンスクリット語で合唱するより、庶民の言葉で経典を書き直そうとした者もいただろう。ところが経典を見ると漢字である。どうして和文にしなかったのか。なぜ、聖書のように口語訳の経典を作らなかったのだろう。
仏教が本当に信仰を目的とするなら、当然人々に理解される工夫が必要だ。このままでは葬式だけの仏教になってしまう。寺院は潰れていくだろう。仏教は日本で、哲学として大きく発展したのに、僧侶はなぜ原点に戻ろうとしないのだろう。