京都に住む滋賀県出身者が集う「京都滋賀県人会」のバスツアーに参加しているミモロ。
”滋賀県を再発見!東近江市をめぐる旅”を楽しんでいます。

東近江の食材を使った郷土料理を頂いた後、古い町並みが残る「五箇荘」を歩きます。



グルリを板塀をめぐらした大きな屋敷…その前には、水が流れ、「なんか素敵な雰囲気のところだね~」とミモロ。
「この雰囲気ほかでも見たことある~…う~そうだ、津和野に似てる…」
黒っぽい板塀は、船材を使ったものだそう。

家の前を流れる水は、とても澄んでいて、そこを大きな鯉が悠々と泳いでいました。


この五箇荘は、近江商人の故郷です。
近江商人とは、滋賀の近江を拠点に、地元の特産品をメインに全国各地を行商に出かけた人たちで、その商才から財を築いた人たちです。
日本の産業を牽引した実業家も多く輩出。例えば、伊藤忠商事や丸紅、ワコール、西武グループ、トヨタ自動車、ヤンマー、高島屋などの創業者は、みな滋賀県の出身者です。
「滋賀県ってすごいね~。地味なイメージの県って言われるけど…」
五箇荘は、そんな商才にたけ、剤をなした「近江商人」の屋敷が並んでいるのです。


入口のそばに、外の水を引き込んだ「川戸」という水場がある「外村宇兵衛邸」。


外村家は、江戸時代、呉服商として成功。明治には、全国長者番付に名を連ねた豪商です。広大な敷地には、なんとお蔵が十数棟並んでいたそう。


「お蔵もいっぱいあるね~」


昭和初期、朝鮮半島や大陸で百貨店などを手広く商いを行った「中江準五郎邸」




まるでタイムスリップしたような古い町並み…「ここでは映画やテレビの撮影なども行われるんですよ」案内してくれたボランティアガイドさん。

「あ、なんか立ってる…なんだろう~」街歩きの途中に見つけた空き地に立つコンクリートのもの。


「わ~滑らない…お尻痛い~」

そこから、ガイドさんの案内で訪れたのは、「金堂まちなみ保存交流館」です。
2階からは、五箇荘の町並みが一望できます。



町並みを表す模型も展示。「こんな感じだったんだ~」
町の周囲には、麦畑が広がります。


「ミモロ、麦畑大好き…なんか解放感あるんだもの…」と、もうすぐ収穫され、その後、稲が植えられ、秋にはお米が実ります。
鎌倉・南北朝時代にその起源があると言われる「近江商人」。信長から秀吉に受け継がれる楽市楽座という城下町での自由営業。また通行税を徴収する関所の撤廃で、商人たちの動きは活発になってゆきます。江戸幕府になると、近江は幕府の天領となり、近江商人は、葵の御紋入りの通行証で、優位に全国へ商いに行けるようになっていました。
そういう体制の後押しだけでなく、「三方よし」という近江商人の精神が商いをより発展させたのです。「三方よし」は、いい品を揃え、売り手、買い手が満足でき、そして世間である社会が発展してゆくことを目指すもの。この精神は、今も、ビジネスには欠かせないものと言われるもの。
近江商人が栄えたのは、ものづくりだけでなく、それを売り歩くという営業、販売に力を注いだことにあるとも言えます。
「これ商社の精神なんだって~」。近江商人のこの姿勢は、今もビジネスの基礎として多くの企業が社是にしています。
「しまつ…って?」近江の人々の暮らしぶりも、徹底して無駄を省き、お金を無駄遣いしないことが基本。
質素、質実剛健な暮らしぶりが、財の蓄積につながります。
「いろいろ見習わないと…」とミモロ。
「五箇荘」へは、京都からJR琵琶湖線新快速で41分、「能登川駅」から「八日市駅行」で約10分。
東京からは、新幹線で「米原駅」で琵琶湖線に乗り換えます。
車なら、京都からは、湖周道路(さざなみ街道)などを経て、近江八幡をめざし進めば、割と近い感じ…。
「では、次に『藤井彦四郎邸』に行きますよ~」と促されるミモロです。
「藤井さんって、京都でも有名な資産家さんのご一族だよね~。どんなお家なんだろ?」と、ミモロは、ツアー参加者の後に続きます。

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