ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

いにしえからの京都の女性のたしなみ・・・江戸時代創業の匂い袋の専門店「石黒香舗」。

2014-02-28 | 老舗

美しい女性を表現するのに、香り立つほどの美しさという言葉があります。女性の美しさは、芳しい香りに表現されます。日本の文化には、香りは欠かせないもの。源氏物語の登場人物には、匂宮(におうのみや)、薫(かおる)という青年が登場します。いずれも香りに関係する名…その名からも、芳しい香りが漂ってきそうです。平安時代、高貴な人々は、男女を問わず、香りを衣類などにたきこめることが、身だしなみのひとつ。その人らしい香りを漂わすのが、教養の証でもありました。

さて、そんな雅な香りの文化を、今に伝える香のお店が、三条通にある「にほひ袋 石黒香舗」です。

  

ミモロは、食べ物の匂い以外にも、いい香りには、関心を抱いているよう…。真剣にお店を覗いています。

「石黒香舗」は、安政2年(1855)の創業という香りの老舗。長年、お香、線香などを扱っていましたが、平成になり、匂袋の専門店に。
洋館やファッションビルの立ち並ぶ三条通で、古い風情ある町家の構えが、目を引きます。棚に並ぶさまざまな種類の匂袋。奥には、畳敷きのスペースが…。
 
「わーいい香りがする~」店に一歩入ると、芳しい香りが立ち込めています。
ミモロは、鼻をピクピク…。

棚には、動物や花、干支、季節の風物をテーマにした種類豊富な匂袋が並んでいます。
 
「いろんな匂袋があるんだねー」と、その種類の多さにビックリ。贈り物やおみやげにも人気の匂袋です。

「わーこの匂袋、上品…」と、ミモロが関心を抱いたのは、昔ながらの巾着タイプのもの。

ちりめんや錦の布製のふっくらとした見るからに福々しい姿です。

舞妓さんや芸妓さんと道でそれ違うと、一瞬、ふわーっといい香りが漂ってきます。おしろい、鬢付油などの甘い香りだけではなく、着物にたきこめたり、また袂になどに忍ばせた匂袋の香りでしょうか…。思わずうっとりする香りです。

いい香りのする人…それは、そばにいるだけで、心癒されるよう…。源氏物語の時代は、女性の顔を直接見る機会はなく、御簾の奥の女性から漂う香りに貴公子たちは、心ときめかしたのです。もちろん女性だって、いい香りのする男性が、訪れるのを心待ちにしていたのです。

現代のように頻繁にお風呂に入れなかった昔の人々にとって、香りは、悪臭をカモフラージュする役割も。また、お寺などのお香や線香は、厄を寄せ付けないためのものともいわれます。

さらに、天然香料のお香には、防虫効果もあるものも…。大切な着物を守るために、欠かせないものだったよう。正倉院の宝物の衣装収納箱にも、匂袋が入っていたそう。


匂袋の香りは、天然香料です。最近は、生活のあらゆる場面に合成香料の品々があふれています。でも、やはり天然香料ならではの、穏やかな香りは、いっそう心を癒すように思えます。

「ミモロもいい香りのネコになるのー」と、香りのサンプルを嗅ぎながら、真剣に品選びをしています。

「お好みの香りで、匂袋が作れるんですよー」と、このお店の娘さんである石黒さん。
「え?匂袋の香りと袋が選べるの?」と、目を輝かせるミモロ。さっそく作って頂くことに…。
まずは、好みの香りを選びます。選べるのは、並香、特製香、極品香という丁子、龍脳、桂皮、白檀など10種類の香木をブレンドしたものや、白檀の香りを中心にしたものなど、全部で4種類あります。
ミモロは、スパイシーなスッキリとした香りの並香の小さな匂袋(367円)を作ることに。
「では、袋を選んでくださいねー」
「わーどうしよう…いろんな種類があって、迷っちゃう~」匂袋用に作られた袋は、しっかりと2重の布で縫われています。カゴいっぱいの袋の中から、やっとひとつ選んだミモロです。
「では、中に香を詰めましょうね」

ギュギュっと詰め終わったら、口を紐で固く縛ります。
「はい、できました」。製作時間は、5分ほど、あっという間に完成です。
さっそくできた匂袋を首からさげて…匂袋のいい香りがミモロの体にも移って行きます。

その日、家に帰っても、ミモロの周りからはいい香りが…。まるでミモロ自体が匂袋になったようでした。
きっと虫も寄りつかないことでしょう。

*「石黒香舗」京都市中京区三条通柳馬場西入ル 075-221-1781 10:00~19:00 水曜休み 匂袋は、インターネットからも注文できます。




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みんなで守ろう「二条城」の文化財。国宝・重文の修復の募金をすると、いろんな特典が。

2014-02-26 | 歴史・史跡

先日、模擬天守閣が聳える伏見桃山城へ出かけたミモロ。「やっぱり本物が見たくなっちゃた~」ということで、出掛けたのは、世界遺産でもある「二条城」です。
 
「本物は、迫力がある…」と当たり前のことに、いたく感激しています。ここには、以前、訪れたことがあります。

伏見桃山城が豊臣秀吉が築城したなら、こちらは、徳川家康の築城。慶長8年(1603)に京都御所の守護と江戸から京都にやってきたときの将軍の宿泊所として造営しました。完成したのは、三代将軍家光の時代の寛永3年(1626)。伏見城の遺構などを使って作られた、華やかな桃山文化を映しています。
「かつて戦った相手のものでも、使えるものは、使うんだ~」とミモロ。確かに、今の感覚で考えてみると、変な感じもしますが、二条城に限らず、日本全国、滅ぼした相手が使ったものを、結構再利用しています。なかでも、石垣や立派な建造物は、その例が多く、おそらく資材の調達などが簡単ではない時代、リサイクルは、経費節約のためにも必要だったのかも…。

話し変わって、家康が二条城の二の丸を完成させた後の慶長16年(1611)に、家康は、ここで、関ケ原で破った西軍の豊臣家の19歳になる秀頼と初めて会見。その際、堂々とした威厳を漂わす若き武将を見て、将来、徳川家を危険にさらすと感じ、豊臣家の滅亡を決めたと言われています。豊臣家が滅亡する大阪夏の陣は、その会見から4年後のこと。その戦いの前に、軍事会議を開いたのは、二条城です。

また、それから約250年後、最後の将軍となる徳川慶喜が、慶応3年(1867)に大政奉還を発表したのも、二条城。
日本の歴史の転換点が、この京都にあり、二条城にあるといえるかもしれません。


京都に観光に来たら、風情ある寺院や神社を訪れると共に、一度は、日本の歴史を変えた場所、この二条城へ。

大政奉還が発表された大広間のある二の丸御殿。そこには、江戸という時代を率いた徳川家の文化を物語る多くの障壁画などを見ることができます。徳川家の居城だった江戸城は、廃城され、そこは皇居で、徳川家の文化を東京では、見ることができませんから…。

さて、二条城には、国宝の建造物が二の丸御殿6棟、重要文化財の建造物が、東大手門や唐門など22棟、二の丸御殿の障壁画など美術工芸が、なんと1016面もあります。それらを維持するのは、なかなか大変なこと。常に、どこかを修復修理することに。

そのなかで、平成23年から保存修理工事を行った、二の丸御殿の南側築地塀の唐門が、平成25年8月に完成。再び美しい姿を見ることができるようになりました。
檜皮葺切妻平入りの屋根を、極彩色の彫刻が飾ります。


「あ、獅子…ストレッチしてるのかな?毛づくろいしてる子もいる」と、ミモロは、唐門の彫刻に興味津々。

この門は、寛永2年(1625)に建てられたもの。木部は、すべてケヤキ材で、漆や金箔が施され、見事な錺金具が、多用されています。

これらの重要文化財を次ぎの世代に伝えるためには、修復・修理などが欠かせません。でも、それには多額の費用が必要に…。

そこで、現在、二条城を管理する京都市は、多くの人に修復募金を呼びかけています。
それが「二条城一口城主募金」です。二の丸御殿の東側の休憩所の中に、申込み所が設置されていました。
寄付金額は、もちろんいくらでもOK。例えば1万円以上なら、1年間有効の入城証や非公開の場所や修復現場が見学できる『1日城主』になれる抽選権などの特典が。

「うー、募金に協力したいけど、ミモロのお小遣い少ないし~」と。寄付したい気持ちは十分あるのですが…。

申込み所のデスクには、絵はがきや小タオル、缶バッジなどが並んでいます。
「これなんだろ?」 牡丹や徳川家の紋章、障壁画の虎などがデザインされたを5種類のオリジナル缶バッジです。
「それは200円寄付してくださった方への記念品ですよ」と係の方。「えー200円寄付すると、これがもらえるの?」と目を輝かせます。「これなら、ミモロでも寄付できる…」とさっそく背中のリュックからお小遣いを出して、募金箱へ。
「ご寄付ありがとうございました」と言われ、缶バッジをひとつ選びます。ミモロが選んだのは、金色の牡丹の花がプリントされた赤いバッジ。
さっそく胸につけて…「どう?」と嬉しそう。

二条城に行ったら、ぜひ修復のための募金にご協力ください。「よろしくお願いします」とミモロ。

このバッジは、二条城のオリジナル。「訪れた記念に、またお土産にもいいかも…だって200円だもの…」と。500円寄付すると、絵はがきセットや小さなタオルが記念品に。
インターネットからも「二条城一口城主募金」に参加できます。でも、缶バッジなどの記念品は、二条城でのみ。

「次の時代に、素晴らしい文化財を残さなくちゃね~。みんなで二条城を守りましょう!」


*「二条城一口城主募金」の詳しい情報は、「二条城」のホームページからどうぞ…。


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「京都市学校歴史博物館」。明治維新、人材教育に力を注いだ京都の歴史を物語る博物館

2014-02-26 | 博物館・美術館


京都には、いろいろな博物館や美術館があります。四条通から御幸町通を南に下がったところにあるのが、石垣と門がなかなかりっぱな「京都市学校歴史博物館」です。
 
ハッキリ言って、かなり地味な博物館。訪れる人も多くはなさそう。ミモロも、正直、あまり期待しないで出かけました。この門は、明治8年にできた旧成徳小学校の玄関車寄せを移築したもの。京都市最古の学校建築です。

かつて開智小学校だった場所にある博物館の校庭を抜けて、展示棟へ。「かっけこしようー。よーいドン!」と、運動場を走り始めたミモロです。
入口も、昔の建物を利用しています。そばには、昔の小学校には必ずあった「二宮金次郎」の銅像。
 
二宮金次郎(尊徳)の像は、京都府図書館の脇にもありますが、中学校の修学旅行生が、その前に来て、「だれだろ?何してるの?」「読書してるんじゃない?」「きっと何かした人かも…」と話していました。知らないんだー。きっと昭和の小学生でないと、もはやわからなくなっているようです。

ちなみに二宮金次郎の像が作られたのは、明治末期で、小学校に置かれるようになったのは、大正13年に、愛知県の小学校が最初とか。以来「どんな状況でも努力し、お勉強をする」というお手本となってきました。貧しい家に生まれた金次郎は、しば刈りなどをしながらも、学問を続けたというお話から、この像が。全国の小学校に広まった、金次郎の像ですが、戦時中、金属回収で、多くの金次郎さんたちは、溶かされて武器へと変わって行きました。戦後、再び作られることは、少なくなり、現在は、なかり影が薄くなっています。

「今なら、オリンピックの葛西選手や浅田真央ちゃんの像の方が、子供たちの心に響くかも…」と思うミモロです。


さて、小学校の校舎の館内には、明治から現代まで、さまざまな教科書、教材、教具などが展示されています。
展示室内は、撮影ができないので、あしからず…。

古い小学校の校舎の雰囲気を留める階段…。
「キャー!」やはり、やると思いましたが、ミモロは、手すりを滑り台に…。よく小学生の頃、やって注意されたものです。

廊下は、木の温もりあるフローリング。窓際に続く、展示ケースには、かつて使われた瓦などが並んでいます。
  

ミモロ、なに見てるの…?木の椅子に座って、じっと見つめています。
 
京都の学校教育の歴史に関するビデオです。

さて、京都は、小学校教育に力を注いだ町。京都では、鳥羽伏見の戦いの翌年、明治2年(1869)に、全国に先駆け、町を区分けして、そこに日本初の学区制小学校である「番組小学校」を64校作ります。文部省ができるのは、明治4年(1871)ですから、それより先に、子供たちの教育に力を注いだことに。当時は、京都からの学校建設費用貸付に加え、それぞれの町の町衆が、寄りあい、学校建設の費用を集めたのです。
「あ、それで、祇園祭の大船鉾も、作れなくなっちゃたんだー」とミモロ。そう、四條町では、禁門の変で焼失した大船鉾の再建のために集めた費用を、この番組小学校の建設に当てたため、150年間、鉾を再建できなかったのです。

つまり、当時の小学校は、町衆の力でできたもの。東京遷都以来、衰えてゆく京の町を、再び栄えさせるためには、人材育成こそ大切と考えたのです。でも、当初は、寺社の敷地や寄付された土地で、運動場もなく、町の会所という感じ。そこには、警察、消防署、保健所などの機能も備えたものだったとか。この学校教育を発案し、推し進めたのが、京都府知事となる槇村正直でした。また、しばらくして学校の名前も、番号から漢字になります。

  

「京都の小学校の名前って、なんか威厳があるねー」と思うミモロ。京都の人にとっては、なんとも思わないかもしれませんが、なかなか素敵な名前です。
例えば、乾隆(けんりゅう)、待賢(たいけん)、安寧(あんねい)など、平安時代を思わせるようなネーミング。やはり、学校の名前は、番号よりも、その地域らしい名前がいいように思えます。

ちなみに、京都は、地元で生まれ育ち、ずっと同じところに住む人の割合が多く、「おじいさんも、父親も。みんな同じ小学校の卒業生…」という人も、少なくありません。引っ越しの少ない地元の人たちは、卒業して50年以上たっても、小学校のクラスメートが集まったり…。東京では、まず小学校の同窓会もむずかしいかも…。
京都の人たちの地元のつながりには、同じ小学校を卒業したということが、強く意識されているように思えます。

博物館の中には、昔の写真も多数展示されていました。
 

教科書や歴史を物語る品々が展示される常設展のほかに、企画展の会場も。3月25日まで、「青春と学校生活~戦後京都の中学・高校生活~」という、昭和の人なら、懐かしい思い出が蘇る展示が行われています。


「予想してたより、内容があって、面白かった~」とミモロ。京都出身の方には、ぜひお勧めの博物館です。

*「京都市学校歴史博物館」の詳しい情報は、ホームページで。

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今は、昔・・・。栄華を誇った伏見桃山城・・・「あれ~今は、模擬天守閣を眺めるだけなんだー」

2014-02-25 | 歴史・史跡

京都に暮らして以来、豊臣秀吉のパワーの大きさを実感するミモロ。東京では、秀吉の文化的影響は見られず、徳川家康のパワーしか感じられません。きっと東京出身者の多くは、豊臣家のこと、あまり知らないのかもしれません。

「伏見桃山城って、豊臣秀吉が築いて、すごく立派なお城なんでしょ?どんなお城かなぁー一度見に行かなくちゃ!」と、ミモロは、ずっと楽しみにしていました。そこで、ついに出かけることに…。

 
「わーお城だー」と、大きな大手門の前へ。「昔の建物では、ないって聞いてたけど…」門には、豊臣家の紋の桐が。
城内に入ると、天守閣の姿が…「わーこれが伏見桃山城なんだー」憧れのお城とついにご対面。
ミモロは、トコトコと近くへ。
「でも、だれも観光客がいない…どうしたんだろ?」城内で出逢うのは、犬の散歩をしているご近所の人。
「今日は、きっと平日だから空いてるんだー」と、お城の回りを歩きはじめました。

「どこから中に入るのかな?」とウロウロ…。でも、お城への入口がありません。

京都に育った人は、伏見桃山城というと、「遊園地でしょ!」と、こたえます。そう、実は、ミモロがいる場所は、伏見城花畑跡と呼ばれる場所で、ここには昭和39年に「伏見桃山城キャッスルランド」という遊園地があったのです。そして、ミモロが眺める天守閣は、昔の資料を基に、その当時で、6億円かけて鉄筋コンクリートで作られた天守閣と小天守、そして大手門なのでした。

「えー遊園地の施設なの?」と、つまり、本当の姿とはいいがたい建造物なのです。この「キャッスルランド」も、10年ほど前に、閉園し、この天守閣などは、壊されそうになるところを、無償で京都市に寄贈され、その後、伏見桃山城運動公園として整備されました。そのため、目ぼしい建物は、これだけ…遊戯施設もありません。


現在は、天守閣などが、耐震基準を満たしていないと言う理由から、内部は、非公開に。つまり、いつ来ても、中には入れなかったのでした。残念…。

「でも、まぁ、広々して気持ちのいい公園だからいいやぁー」と、言いながら、走り回るミモロです。
「大きな石垣…」模擬天守閣と言っても、巨額な費用をかけて作っただけあり、なかなか立派。
何してる?「忍者…」と言いながら、石垣を昇り始めたミモロ。さすがネコ…高い所に登るのは、得意です。

さて、本来の伏見桃山城の歴史は、なかなか複雑です。
天正19年(1591)に、豊臣秀吉が、隠居所として築いた屋敷が、その原型とか。本格的に城としての大規模改築が行われるのは、その後のこと。なんでも、地震や戦いで崩壊したり、焼失したり…3回にわたり築城され、また秀吉の時代の城と、徳川家康が建て直した時期の城とに区別されています。

秀吉は、晩年は伏見城ですごし、ここで慶長3年(1598)に没します。関ケ原の戦いで勝った徳川家康が、しばらく管理しますが、駿府城の築城や、二条城の維持などの負担から、元和5年(1619)に廃城が決定。その遺構は、他の場所へと移されます。

つまり、伏見桃山城の昔の姿は、他の場所で見ることがきます。
例えば、つい最近、ミモロが訪れた西本願寺の唐門(国宝)、御香宮神社の表門は、伏見城の大手門の本物です。

ともあれ、ここは、豊臣家が、勢いがあった時代に栄えた城。城のおひざ元の町も、築城にともない、多くの人々が移住し、大都市に発展。当時の人たちは、いつも伏見城を見上げて暮らしていたのでしょう。

模擬天守閣が立つ場所も、花畑跡というので、本物の天守閣が立っていた場所とは違うそう。本丸などがあった場所は、現在、明治天皇、伏見桃山御陵になっていて、入ることはできません。

「このお城もいろいろあったんだねぇー」模擬天守などを眺めながら、激動の歴史に翻弄された城のことを思うミモロでした。

現在の伏見桃山城運動公園は、桜の名所のひとつ。お花見時期には、大勢の人で、賑わうそう。

*「伏見桃山城運動公園」 京都市伏見区桃山町 JR桃山駅から徒歩約10分


*現在、私たちが見ることができる歴史的建造物は、当時、もっとも斬新で、町のランドマーク的存在だったはず。「ということは、スカイツリーも何百年がたつと、歴史的建造物になるんだ~」とミモロ。現在ある建物が、300年くらいたった時、歴史的建造物として、どれほど残っているでしょう。レンガ造りの昭和初期の建造物は、すでに歴史的遺産として、保存されていますが、平成は、どうなるんでしょ。400年前の伏見城の遺構は、そのままでも、今の時代を象徴し、300年たっても残っているものがあるのか?ふと気がかりになりました。


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岡崎の動物園のそばにできた京都ホテル オークラのレストラン「ザ ガーデン岡崎」

2014-02-24 | グルメ


昨年7月に、京都、岡崎の動物園の北側に、京都ホテル オークラのレストラン「ザ ガーデン岡崎」ができました。
 
ここには、ホテル オークラが得意とするフレンチ、庭を眺めながら味わえる鉄板焼きのステーキコーナー、カジュアルな雰囲気のダイニング、外のテラス席でケーキなどが楽しめるカフェテラス、そしてガーデンウェディングができる場所などがあります。
 
ある日、ミモロは、ランチを楽しみに出かけました。「いらっしゃいませー」とマネージャーの中逵さんがミモロを席に案内してくれました。「ここは、お庭があって、のんびりランチを楽しんでいただけます。小さなお子様連れのご家族も、お気軽にご利用いただけます。ランチは、コースも3000円台から、ご用意しています」と。
「ホテルのレストランだから、落ち着いた雰囲気…」と。ゆったりとしたスペースとリーズナブルな価格は、京都マダムたちにも大好評で、多くの女性客がランチを楽しんでいます。ランチは1100円からと、気軽に味わえる価格も魅力。ミモロは、大好物のハンバーグ(1500円)を注文することに。サラダとパンやライス付。大き目のハンバーグには、デミグラスソースもたっぷり。「美味しかったーごちそうさまー」と、ミモロは、ペロリ。食べ終わると、席を離れ、入口付近へ、トコトコと。

向かった先は、ケーキが並ぶケースの前です。じっと見つめて食べたそう…。ここにあるケーキは、持ち帰りもできます。
さらに、このレストランができて、地域の人たちに好評なのが、パンコーナーです。

実は、このエリアには、あまりパン屋さんがなかったのです。ですから、ミモロもときどきパンを買いに訪れています。
「これ下さい…」ミモロの好きなメロンパンとレーズンが入ったディッシュをトレイにのせて、レジへ。
「はい、ありがとうございます」と、ランチと一緒にお会計。パンを入れてもらった袋を持って、出口へ向かいます。


その途中、「あ、これなんだろ?」ケースの中に、いろいろなお弁当が。動物園に持って行って食べるのにピッタリの「どうぶつべんとう」や、お花見のシーズンにふさわしい、さまざまな料理がはいったお弁当です。

 
「きっと、今年のお花見に人気出そうだねー」と。週末は、多くの人で、待つことも多いので、お弁当を買って、近くの公園のベンチで、疏水を眺めながら、食べるのもおすすめです。京都市美術館の南側、岡崎公園、疏水沿いには、ベンチがあります。

桜の時期には、特に混雑する岡崎エリア。どの食事処も満席状態に。そんな時、このお弁当は便利なはず…。

もちろんディナーもおすすめです。駐車場もあるので、車で気軽に…。

「次は、お庭のテラス席で、ケーキ食べるんだー」と。春になったら、気持ちよさそうなテラスです。

*「ザ ガーデン岡崎」京都市左京区岡崎南御所町20-1 075-771-7070 予約も可能。営業時間:8:00~21:00 無休 ランチは11:30~14:30LO ディナー17:30~20:30LO カフェテラスは10:00~18:00 ダイニングでは、ランチとディナーの間の時間に軽食やケーキなどが味わえます。 アクセス:地下鉄東西線「東山駅」から、徒歩約10分。京都市動物園の北側です。京都ホテルオークラから東山駅経由の無料シャトルバスも運行されています。


 
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