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ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

歴史ある町並みが続く「宮津」。北前船で財をなした三上家。重要文化財の「旧三上家住宅」を見学

2025-05-30 | 歴史・史跡

新鮮な魚料理を食べにお友達に誘われ訪れた宮津の町。そこは歴史の町としても知られます。 

町の史跡として公開されているのが「旧三上家住宅」。江戸時代に建てられた建物は、大切に保存され、重要文化財に指定を…。宮津を訪れた観光客が一度は立ち寄る名所でもあるのです。この家の当主は、但馬国(兵庫県)の守護大名・山名氏に仕えた武士で、山名氏の内紛により、ここ宮津に逃れ、宮津藩主 永井氏に召し抱えられます。昔から交易が盛んな港町で、町人となり、酒造・糸などさまざまな産品を北前船で商い、財をなし、宮津の豪商へ発展します。

「お酒を造ってたんだ~」屋敷の一角には、酒造施設が…

大阪と北海道を行き来した北前船。当時の賑わいは、いかがだったでしょう。

三上家は、宮津の町政にも関わり、昭和初期には、宮津町長を務めるなど、この町の発展に尽力した家なのです。歴代当主は、文化への造形も深く、屋敷内には、さまざまな工芸調度品があり、その暮らしぶりが想像されます。

 江戸時代は、幕府巡検使の本陣となり、幕末には、西園寺公望の宿所となるなど、多くの賓客や要人がここに滞在したのです。

「さすが仏壇も立派だね~」

お屋敷などでは、仏壇を見るとその家の様子がうかがい知れるもの。ここも見事な細工が施された仏壇が座敷に…。「すごく広いお屋敷で、どこにいるのかわからなくなっちゃった~」というミモロ。次々に見学順路に従って進みますが、現在の位置が分からなくなる広さです。

「お掃除大変だよね~」と庶民感覚のミモロ。いいの気にしなくて…冬には、雪も積もり、厳しい寒さとなる日本海の港町。その厳しい気候にも対応する丈夫な造りとなっている建物です。

「冬には欠かせないね~」とミモロが覗いたのは、浴室。冷えた体もきっとポカポカになってことでしょう。

屋敷の南側には、雄大な景色を写した庭園が広がります。「わ~立派なお庭もあるよ~」茶室を構えた庭園は、池を家から縁側づたいに眺められるようになっています。築山と池、切り石で雄大な景色を表現した庭は、宮津藩の御用庭師の江戸金の作庭と伝えられ、ここを訪れた賓客の目を楽しませたことでしょう。

「港町の賑わいとは、別世界がここにあるんだね~」と、ミモロもお庭を鑑賞しました。

現在、住宅の公開と共に、ここでは、カフェがあり、珈琲などで寛ぐことできる観光のポイントです。歴史を刻む建物…そこに過ごす人たちの波乱に満ちた人生を見守ってきたと言えます。

さぁ、そろそろ別の場所へ…

ミモロは、またトコトコと歩き始めました。

*「宮津 旧三上家住宅」の詳しい情報はホームページから

 

*ミモロのブログのお引っ越し準備中。もう少しね 現在、レイアウトなどに問題が残っています。「もっと見やすくしないと…」

 

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港町、宮津へ。細川ガラシャゆかりの地…重要文化財のカトリック天主堂の前で祈る姿が

2025-05-29 | 歴史・史跡

「ここでも細川ガラシャさまに出会えた」とミモロが見上げるのは、じっと祈るガラシャの像。

ここは、京都府宮津市の「カトリック宮津教会 聖ヨハネ天主堂」です。春、ミモロは、「新鮮なお魚いっぱい食べたくない?」とお友達に言われ、「うん、食べたい!」と二つ返事で参加した「お魚いっぱい宮津旅」。

京都の町中で待ち合わせして、車で「京都縦貫自動車道」を約1時間半。 

一路、魚が待つ宮津を目指します。「早くお魚食べたいなぁ~」と、そこはネコ…魚には目がありません。快適なドライブ…「海見るの久しぶりかも…」。無事に到着した宮津の町…ここは、日本三景の「天橋立」を望む港町です。

盆地のイメージが強い京都ですが、それは京都市だけ…。結構広い京都府は、北は日本海に面する海上交通の要所でもあるのです。そのため、この地域を巡り、室町時代から江戸時代まで、さまざまな戦いの舞台にもなっています。

今は、穏やかな風光明媚な景色が広がる宮津には、「天橋立」を見物する人気の観光船も…

 

乗りたいところですが、以前、天橋立には行ったことがあるので、今回はパス。「眺めるだけね~」とお友達。「うん…お腹空いた~」と言い出したミモロ。そこでガイドブックにも載っている人気の麺処「大門」へ行くことに。

 

宮津の繁華街である浜町は、飲食店が連なるエリア。そこで約100年に渡り地域の人たちに愛され続けるお店なのです。頭が魚になっているミモロは、「にしんうどん」を注文。新鮮な魚ではないけど‥味わい深いうどんでした。

お腹がいっぱいになったミモロは、トコトコ町歩きへ。古い町並みが残る宮津は興味津々。

「なんか白壁が続いてる~城下町だったんだよね~」と。

約2200年前、天橋立の形成と共に人が住み始めたといわれ、奈良時代には、丹後国府が置かれ、交易の中心地として栄えます。この地域は、室町時代には、足利義満に守護に任命された一色氏が、世襲で治めていました。その所領を巡り、細川家とさまざまな関係が時代を越えて続きます。(この辺のところすごく複雑なので、簡単にはお話できません、あしからず~)。天正8年(1580)に丹後南半国の領主となった細川藤孝。昨日、紹介した長岡京の「勝龍寺城」から、ここへとガラシャ家族も移ります。

「へぇ、ここがガラシャさん家族が過ごした城下町なんだ~」と、今は、城を留めるものは、ほとんどありませんが…。市役所のそばに「細川ガラシャ夫人像」の標示…

さっそくそこへと向かいます。広場のようなスペースに立つガラシャ像がそこに…そして、その後ろには、古い教会が。

 

明治29年に建てられた日本に現存する2番目に古いカトリック天主堂の「カトリック宮津教会 聖ヨハネ天主堂」(重要文化財)です。ちなみに1番は、ご存じ長崎の「大浦天主堂」。天正10年「本能寺の変」で、ガラシャの今まで穏やかな暮らしていた生活は一変。

身に降りかかった苦難の日々…祈る姿が心に沁みます。

「なんか宮津っていろいろあったんだね~」とミモロ。

宮津に限らず、あらゆる土地には、それなりの人々の思いが深く刻まれているのです。

「もっと町歩こう~」とミモロは、またトコトコと歩き始めました。

 

*ミモロのブログのお引っ越しは、もうすぐ…待っててね~(現在並行して「はてなブログ」にも同じ記事をアップしています)

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サツキが彩る城郭。長岡京の「勝龍寺城」。ちょっと遅かったけど、シロツメクサの広場で遊ぶミモロ

2025-05-28 | 歴史・史跡

「わ~まだ少しお花残ってた~よかった~」とミモロが訪れたのは、長岡京市の「勝龍寺城」。

ここは、細川家の城であり、大阪と京の中ほどに位置する交通の要所です。

ミモロは、ここに今年の冬に何度か訪れています。「春になったら行ってみたい~桜とかキレイなんだよね」と楽しみにしていましたが、なぜか予定が合わず、桜を見逃してしまいました。そこでせめてツツジやサツキを見物したいと…でも、それも遅れてほとんどのツツジは咲き終わってしまいました。「う~また出遅れた~」。

それでも行きたいミモロは、京都から車で…。でも、JR「長岡京駅」から徒歩10分ほど来られるお城。京都からも電車で来やすい場所なのです。「なんとかサツキだけ咲いてる~」と、敷地内に点在するサツキを巡ります。長岡京は、交通の要所として「平安京」ができる前に、「長岡京」を造営した歴史ある場所。そこには、多くの史跡が歴史ファンを魅了しているのです。

「勝龍寺城」は、細川忠興とガラシャ(玉)が、宮津に移る前、新婚生活を4年ほど過ごした城。すでにガラシャが宮津に移った後に、ここには信長を討ち、秀吉との「山﨑の戦い」で敗れた父の明智光秀が、自らの居城のある大津に向かい逃げ延びる際に、しばしの時を過ごします。

「どんな気持ちだったんだろ?」とミモロは、ここに来るたびに光秀のことを思います。愛する娘が幸せな時を過ごした城…。光秀の最後の時は、娘との楽しい日々も思い出されたことでしょう。「なんか歴史って、辛いね~」とミモロは、ガラシャの像を見上げながらポツリ…。気持ちを切り替え、まだ咲いているサツキを求めて敷地内を歩きます。

「まだ咲いててキレイ~」と、城と調和するサツキをしばし眺めます。

「ねぇ~サツキ以外にもお花あるよ~」と

ガラシャの像のそばに広がる野原です。そこには、シロツメクサが一面に…

「お花踏まないように~」と気を付けようとするミモロですが、あまりに多いので、どうして踏みつけてしまいます。「四つ葉のクローバーあるかな?」とじっと地面を見つめます。やめて、探すの…時間かかるから…

「わ~い!」と言いながら、走り回るミモロ。よかったそっちに関心が移って…。ツツジは見られずも、サツキとシロツメクサを楽しむことができました。

「来年は、もっと早く来ようね~「長岡天満宮」のツツジや「乙訓寺」のボタン、そして筍も5月の早い時期じゃないとね~」とミモロの視線に不満の色を感じます。はい、すみません…反省…。どうぞ、皆さまも時期を外さないように…

*「長岡京観光 勝龍寺城」の詳しい情報はホームページからどうぞ~

 

**ミモロのブログは、もうすぐお引っ越しをします~待っててね~

 

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東山を借景にした名勝「對龍山荘」。豊かな水と緑が作る別荘庭園の品格ある景色。

2025-05-26 | 歴史・史跡

四季折々の美しい景色を見せる京都東山。そこの別荘「對龍山荘」の庭は、国の名勝に指定されている場所。

2025年から一般公開に…。敷地面積約1800坪という広大な別荘。明治29年に薩摩出身の実業家、伊集院兼常が造営。もともと建築・造園に才能を有し、海軍省を退職後、その才能を活かし、鹿鳴館の建設などにも携わったと。また京都では、ここ以外に、高瀬川そばにも別邸を持っていたそう。「全国に13カ所も別荘もってたんだって~」と、資料を読み驚くミモロ。さすが明治の実業家はスケールが違う…。

ミモロは、建物を見学した後、お庭の散策に出かけました。

素晴らしく整備されたお庭。明治42年頃には、ここを呉服商 市田弥一郎が譲り受け、大規模な改修が…。その時、庭を担当したのが、近代日本庭園の先駆者と言われる七代目 小川治兵衛です。そして近年、「株式会社ニトリホールディングス」が所有者となり、この素晴らしい庭園と建物を未来へとつなげることに。

琵琶湖疏水から引いた水が、敷地内を巡り、様々な景色を歩くごとに見せてくれます。

「これ、水車小屋だ~」

京都には、神社仏閣の見事な庭が数多くありますが、別荘の庭は、それとは幾分趣が異なります。「蓬莱の山とかないもんね~」と。そう、あくまでそこに過ごす人を楽しませると共に、それを所有する人の趣向が強く現れています。

水路の姿も、趣が感じられます。

 

歩いていて飽きることがない景色。ミモロはキョロキョロと周囲の変わりゆく景色を楽しみつつ歩みを進めます。

やがて開放的な芝生の広場に至りました。

この広場は、園遊会などゲストを招いた場所だとか。「きっと美味しい食べ物のテントとか出たのかな~」と想像するミモロ。お茶会などを行ったのでは…。

敷地内には、四季折々の植物が計算されて植えられています。桜、ツツジ、藤、睡蓮、もみじなど、どの季節でも自然の美しさが楽しめるのです。

「こういうところでゆっくり時間を過ごすっていいね~」とミモロ。でも、ここを作った伊集院兼常は、大変、エルネギッシュな人で、一か所に長く滞在することはなかったとか。「作ることが好きだったんだね~」と想像されます。

「ちょっと休憩しよう~」とミモロは、建物のところへ。そこの縁で寛ぐことに…。 

「このテラス素敵だね~」と太さが同じ竹を組み合わせたテラスへ…

「ちょっとお尻痛いけど…」

座り方によっては、快適です。竹の趣が見事に活かされています。

水と自然が見事に調和した庭園。

「また秋に来たい~」というミモロです。

玄関脇には、現在の所有者の「ニトリ」に関係する書籍が並んでいました。

入場料は、夏の時期は3000円(庭園の写真集を含む)。1時間以上、ゆっくり過ごし、見どころがいっぱい。

「素敵な時間をありがとうございました~さすが『お値段以上のニトリ』…でした」と、係の方に挨拶するミモロでした。ぜひ、訪れてみてください…ミモロの感想を実感するはずです。

*「對龍山荘」の詳しい情報はホームページから 

 

 *ミモロのこのブログのお引っ越し作業もほぼ終わりました。「はてなブログ」でも同じ記事を「ネコのミモロの京都くらし」というタイトルでアップ始めました。まだ、馴れていないので、並行してアップしています。あしからず~

 

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京都南禅寺界隈の別荘庭園のひとつ「對龍山荘」。2025年から建物も公開②

2025-05-25 | 歴史・史跡

「京都の観光名所が増えてよかったね~」とミモロがいうのは、2025年から一般公開された「對龍山荘」です。

南禅寺界隈は、明治期、政財界の人たちが、盛んに別荘を建てたエリア。「京都の高級別荘地なんだって~」と、春は桜、秋は紅葉と、ミモロも散策に訪れます。

「立派なお庭だね~」と庭を一望する書院から…

数寄屋造りの技が随所に見られる建物で、居間や蔵、茶室などを順路に沿って見学できます。

ここ「對龍山荘」は、明治期薩摩出身の実業家・伊集院兼常が別荘として建てたもの。伊集院兼常は、天保7年、薩摩に生まれ、後に海軍省を退職後、「日本土木会社」(現大成建設)の社長となり、実業家として活躍。薩摩藩時代から、普請を担当し、建築・造園に発揮した才能は、明治になってさらに開花することに。自身、茶道などにも通じる文化人としても有名だそう。

「伊集院兼常さんって、すごく豪快かつ、繊細な美意識ももって人物なんだって~もっと知りたいかも…」と興味を抱くミモロでした。さて、それはさておき…

蔵で美術品や工芸品を拝見した後、トコトコて建物の中を巡るミモロ。「どこ歩いているのかよくわからない…」というほど広い建物です。2階に上がったり、座敷を通ったり…ただ、順路に従って…

殆どが畳敷の建物で、「足に優しい感じ~」と畳ならではソフトな感触。ここまで畳敷なのは珍しい…「畳替えるの大変だね~」と庶民感覚のミモロ。

建物を巡りながらも、途中、さまざまな美術品が展示され、まるで美術館のよう…

あ、徳川家康さんじゃないの?」と屏風の中の旗印と甲冑で推測。

また、見事な鞍にも出会いました。

螺鈿の装飾も美しい鞍。

いろいろな場所を巡るミモロ…

本当に広いので、「今どこにいるかわからない~」とキョロキョロ。マップを見ても、その広さが分かります。

「ここのお座敷もいいね~」

そこには、「龍村美術織物」の帯の展示も

雅な雰囲気と格調高い図柄に魅了されます。

「ここお茶室??

  「水屋もある」

あまりにいろいろなものを見学したので、何がどういうものか、お話できないミモロ。ぜひ、ご自分の目でご覧ください。

さぁ、そろそろお庭へ移動しましょう。

「もう行くの?」玄関に戻り、お庭を巡ることに…

*「對龍山荘」の詳しい情報はホームページから

展示物も多く、鑑賞するだけでいっぱいで、きちんと内容をお伝えできずすみません。実際に行ってみてね~

*ミモロのブログのお引っ越し作業も進んでいます。「安心してね、ミモロは消えないよ!」

 

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