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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ぼんやり考え事

2021-11-10 | 日々のこと
今日はまあなんと、何にもしなかった日であることか。
唯一したことは、近所にある郵便局に出向き、設置されている郵便ポストに、礼状葉書を投函したのみである。
すごい。空白の一日。
まるで入院中のごとく。

強いて言えば、暇に任せて、自分のためにコーヒーを何杯も何杯も淹れ、お腹がチャプチャプになった。
お菓子食べ放題。
リンゴも一個、食べた。
昼食、夕食も、自分のためだけに、ちょちょいのちょいと手を動かして、カレーだのグラタンだのサラダだのを美味しくいただいた。
きっと2キロぐらいは体重が増加していることだろう。

身体を全然動かさず、あとは趣味のお勉強DVDを2枚、2時間弱、見た。
それと、手書きの日記(製本された3年連記)をつけた。
また、年内にやるべきことを定め、来年初めに有効期限切れとなるポイントを利用した交換商品選び(ログインして膨大な数の商品をざっと見ただけ)、また、スマホによるインターネットであれこれを調べて、目と指しか動かさなかった。
ちまちま。
あ、あ、あ、運動不足。

半日は何もしない時間をダラダラを楽しんだが、家事や仕事をしないというのは、体に良くないと実感した。
何にでも限度がある。

まあ一日ぐらい、ぼーーっとするのも悪くない。
というか、リタイア後、家事も何もしない男性たちが、まだまだ体力を持て余しているにもかかわらず、あまりにも何もすることがなく、再就職するのは自然な流れだと思った。

明日は、外出予定だが、あいにく、自宅での用事が同時刻にある。
何も予定がない時は全く何もなく、予定がある時は、いくつもの予定が重なる。
うまくいかないものだ。

ひたすらだらだら書いている。
本日のブログは、果てしなくつまらない内容になった。
小学生の日記のほうが、まだマシ。
まあそういう日もある。

実のところ、、、
ちょっと考え事をしていた。
どうすればいい?
どうしたものか?

わたしは滅多に自分の進む道を自分では決めない。
あえて決めず、自然にまかせることが多い。
だが、今回ばかりは自分の考えで動いた。
これも自然のなりゆきの一つなのかも知れない。

孤独との闘い方?

2021-11-08 | わたし
老後の資金がありません!
楽しい映画だった。
映画を観てからも、ワンシーン、ワンシーンが思い出され、ニヤニヤワハワハしている。

草笛苗子のファッションが素晴らしい。
鮮明な原色の色使いが、きーんと晴わたる秋空のよう。
最後の、歌と踊りのコラボは、天木祐希が普段着なのに、服装を超えた真のものが見えた思いがした。
観る側って、自分流に勝手に想像を膨らませる。
だからわたしは、悲しい映画より、楽しい映画が好きなのだ。
特にミュージカル仕立てのもの。
舞台小道具の調度品や時代考証された街など、自分はすっかり映画の中にいる。
(劇中、引っ越し屋さん、ちゃっかり宣伝効果あり)

男性は戦争ものや格闘アクションものが好きなようだが、全く分かれている。
こう決めつけると先入観ジェンダー意識の問題に引っかかってしまうか?
まあよい。
人の好みなどお構いなしに、好きな映画を観るのは自由だ。

映画の帰りにいつも、書店に寄る。
ぱらぱら立ち読みの時間。
買うこともあるから、読み逃げではない。
(とりあえず自己擁護)

その中で、老後の孤独との闘い方?みたいな本があった。
目次をざっと見て、興味ある箇所だけ読む。
あらまあ、、、
どれも興味ない。
何故かと言うと、、、全てわたしが実践していることだった。クリア。
別に何かの本を読んで感銘を受けて真似したわけではない。
普通に自然に好きなようにしていたら、そうなった。
何かに合わせたわけではない。

一つだけ、目に止まったところがある。
人との付き合い方。
合う面だけで付き合う。
合わない面は、ほっておく。見ない。
たしかに、これは、知人の大先輩も言っていた。
わたしも合わない面を持つ知人がほとんどだ。
合うのは、ほんの点。
その点で、接している。
点があるだけマシだ。
その点は、趣味分野。

が、中には、合わない面の自分の意見を押し通す人がいて、限りなく不愉快。
あなたと、わたしは、別人なの!
と説明しても聞く耳を持たない。
なので、読んだばかりの(立ち読みにしても)、合わない部分をバサッと切った。
わかっているのに議論したわたしが、バカだった。
この人、母と同じ性格。
絶対に折れない。
母は血が繋がっているから例外として、他人なら認められない。
なら、合わない面は見ない、、、としても、やはりこの嫌いな面は、好きな面を上回る。
しかし、そうすると、誰一人としてお付き合いできる人はいなくなる。
もう少し、基準を緩めないと全員嫌い、人嫌い、一人ぼっち、正真正銘の孤独ということになる。
で、見るのは合う面だけにしているが、だんだん、嫌いな面がどんどん大きくなり、合う面が少なくなってくると、何かのキッカケがあると不満が爆発して、縁が切れる。
今、まさにそういう人が一人いる。

別の人も、そういう大嫌いで切る時期を探っていたのだが、なぜか、乗り越えてしまっていて、今は平穏。
タイミングや縁というものがある。
自分で考えたり、迷いに迷った挙げ句、決断出来ない、答えを決めたり出来なくても、自然に導かれ結果にたどり着く。

その、今、最大級に嫌いな人に関しては、あと少しで結果が出るような気がしている。
あとは時間が経つとよりはっきり道が現れると思う。
大嫌いなその人は、自然に退くような悪い方向(例えばスポーツで言えば、敵のミスを待つ、相手の自滅パターン)に向く何かがある可能性はある。
悪い方向でなくても、どんな方向であっても、絆が切れたらそれでバンザイ。
わたしにとって、よい方向ならなんだっていい。

とかなんとか、、、
これは、基本的な最小コミュニティの外側にいる人々との繋がり。
社会の最小コミュニティである家族は、好きであろうが、嫌いであろうが切れない。
これこそ、個が自立していないと押しつぶされる。
家族の中での孤独や、家族のいない人の孤独は、わたしには経験がないのであまり想像できない。
真の孤独と向き合っているわけではなく、ただ単に、友達が少ないだけである。
読書感想を言う資格はない。

が、人間は、一人で生まれて一人で死ぬ。
生きている間は、人との助け合い、コラボで生かされている。
ただし、死ぬ時は一人。
これは孤独とは思わない。
皆んなでわぁわぁが、あまり好きではないのと、一人時間が確保できるのは、最高に居心地が良い。
基本的には「個」。一人なのだ。

老後の資金がありません〜

2021-11-05 | 日々のこと
夫の親戚の家族葬に参列した。
家族葬で喪主は、「来んといて」と固辞していたが、無理矢理押しかけた。
もちろん、わたしの意思ではなく夫の意思、意向で。
わたしは同行するよう夫から要請を受けた。
その日はお楽しみの趣味の会があったが、泣く泣く夫に従った。
貸しを作っておかないと。
(借りを返している?)

行ってみると、当然、家族葬だから家族のみ。
しかし、2人ほど、家族ではない年配親戚はいた。
あとは従業員関係。
身内の会。当たり前だ。
そもそも家族葬とはそういうもの。

夫は前日の通夜に、仕事を終えて20時に駆けつけた。
がら〜ん。
誰もいない。
暗い。照明は落とされていた。
葬儀場スタッフが戸締りをして帰るところだった。
「皆さん、もう帰られましたよ」
とのことで、葬儀会場に御遺体を置いたまま、皆さん、引き上げたようだ。
あっけらか〜ん。

誰も夜通し、付き添いをする家族はいない。
遺体のみ。
でも、わたしはそれでいいと思った。
今までずっとずっとずっとずっと、生きているのか生きていないのか、わからないような、本人と接してきていたので、息をしていたそれまでと息をしなくなってからとは、精神的にも肉体的にも生死の境目がほとんどない。
天寿を全うするとはこのこと。天寿が長寿なのだ。
ご苦労さまでした。
ご本人も御家族さまも。
天寿はちょっと長かったようだ。

最後のご対面でお嫁さん、号泣。
結構いじめられて辛く当たられていたお嫁さん。
あの涙は???

しかし、羨ましいなあ。
喪主の奥さん(お嫁さん)、喪服も洋服だし、簡単、便利、苦しくなさそうで。
わたしは、夫の要望で昨年、喪服は着物。
クリーニング代もばかにならない。
第一、この窮屈感は締め付けられる着物の帯だけではない。
女性のコルセットを解放した、ココ・シャネル時代のデザイナーは偉大だ。
服装の解放は、精神の解放。
いまだに、喪服は着物!を要求されるわたしは、何?
夫より一日でも長生きして、開放感を味わいたいものだ、、、が、、、
パラサイト妻であるわたしは、夫がいなくなると同時にゴミ箱に捨てられることだろう。
わあ、すごい!
ちょっとした小説のテーマになりそう。
て、昨今では古すぎるか?
ゴミ箱に捨てられた後こそ、わたしの真の解放か。
ヨボヨボヨレヨレで、それどころではないかも知れない。
自分で立てないで、子供たちのお荷物になっていることだろう。
元気なうちにパラサイトを脱出すべきだが、パラサイトは脳も体も使わなくていいから、楽なのだ。
しかし、脱パラサイトを目指すために、脳と体を駆使しているとすると、今の解放されない立場は安住の地ではなく、ぼけなくてよいかも。
なんだか矛盾していて、こんがらがってきた。
パラサイトは、楽だけど窮屈。
窮屈が嫌なら、荒波にドッボ〜ン。
楽で窮屈でなくて荒波でないのがいい。
だとすると、ヨボヨボヨレヨレのままお世話してくれる所に即、移行かと。
どれも嫌な場合は、神様仏様にすがる?

ところで、、、。
「老後の資金がありません!」。
タイトルがわかりやすい、映画を観た。
草笛光子、前評判通りの力演。
明るいキャラクターに設定されているので、見ていて楽しい。
天海祐希との掛け合いと、のほほん旦那さんが良い味。
めちゃくちゃ笑える。
舞台で全員ズコッとコケるお笑いのノリ。

現実はそういうわけにいかないだけに。
なかなかよく出来ている。




自立

2021-11-02 | 日々のこと
昨夕から引き続き、小3孫がウチに滞在している。
生活発表会(運動会)の代休。
今朝から、小1孫が加わった。
昨夜晩ごはん、今日朝ごはん、昼ごはん、晩ごはん、で、わたしの賄いおばあさんのお仕事はひとまず終了。
あとは、宿題をさせること。
じつは、これは厄介な作業。
小1孫は、母親手書の問題作成プリント。
ばあちゃんが、丸付け。
母娘連携プレー。
問題児は、小3兄。
いつものごとく、てこずらせてくれた。
彼なりの自我の目覚め、反抗期か?

しかしまあ、延々と同じアニメ「おさるのジョージ」の録画を観続ける2人。
おさるのジョージ中毒だ。

母親は今日から新しい仕事。
朝始発電車で出た。
応援しなければ、、、ばあちゃんなりに。

とは言え、のんびりスマホ。 
彼らの、おさるのジョージ中毒で、へんに待ち時間が増え、遅めの洗濯などを交えて時間つなぎ。

ところで、、、
今、一般ブログと同じような内容をYouTubeにアップしているユーザーが少なくない。
190万回再生のものを興味深く見たが、その人のYouTubeをわたしが見るのは1〜2本止まり。
なぜなら、、、時間がかかる。
文字なら、さらさらとすぐに読める。
調理したり、お出かけしたり、食事したりの背景動画にかぶせて、大きな文字で文章を入れてある。
長い文章を読むのが苦手な人に向けた、マンガのノリか。
文章内容は少ないのに、なにしろ動画時間が長い。
BGM効果と相まって感情移入する時間を確保してある。
YouTubeだから、動画が無ければなんの意味もないのだが。
ブログが文章だけでは伝わりにくいだとか、読むのが面倒な人に向けて、写真ブログが増えたが、ついに、写真に替わって動画になった。
包装紙、パッケージが替わったブログ。
そんなかんじ。

だが、内容的は興味をそそられた。
自分とリンクするものがあり、共鳴する部分がある。
実家が地方の男性との離婚話。
が、コメントを読んで、げんなり。
皆さん、ご自分の置かれている状況に重ね共鳴しておられるのだが、、、
ちょっと違う、、、
何が?
境遇が。
似て非なるものである。
YouTuberご本人は、そうそうそこらへんにはころがっていない境遇、能力の人なのではなかろうか。
(2本しか見てないからなんとも言えないが)
クロワッサン症候群の遠因になった構図と共通するものを感じた。
桐島洋子さんのごとく出来る人と、普通の人に見られる、出来ない人がいるにも関わらず、出来る人の思いや決断した勇気に背中を押される。
えいやっと。
今の時代に逆行する意見かも知れないが、誰しも離婚すればよいものだとわたしは思わない。
勘違いしないで、等身大の自分を見て、行動に移って欲しい。
わたしは離婚しない側の立場から見ているが、正解は人それぞれ。
自分が良いと思った道を進んでほしい。

が、あまり計画性も実現性もなく、どうにかなると、勇気だけ持って敢行しても、成功率は低い。
成功とは、、、どんな状況に陥ってもやっていける、幸せと感じることができる、そういう状況。
かなり長い目で見なければ、結果を実感することは出来ない。
今はシングルマザーは社会が応援してくれるようだが。
これを女性の社会進出と言うのかどうか、旧人類のわたしにはわからない。
単なるワガママだったり、忍耐力が足りなかったりしてはいないか?
もしそうでも、ちゃんと1人で子育てして立てるのか?
価値観が違う悲劇的な結婚よりも、赤貧でもやって行く決意があるなら問題ない。
時代は後からフォローしてくれる。
逆に時代に翻弄されることもある。
運、不運がある。

長い長い目で見ると、何が良くて何が良くなかったのか、選択は合っていたのか間違っていたのか。
過ぎてみないとわからないことだらけだ。