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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

みんな何処に行ったの?

2019-01-06 | 暮らし
暮らし方、生き方を評価される、わたしに取って、一年のうちの一番の難儀な難関である、息子が帰省する。
次女の帰省日とは1日重なった。
次女は、一足お先に隣の市にある、独立した住まいに戻った。

いつも息子は辛口で私たちの暮らしにコメントしたり、口出しして、理想に近づける模範解答のごとく、整理や断舎離を強制執行したりする。
が、今回は非常に大人しく、すんなり一言、二言、意見を述べるのみ。
マイルドになった。
息子も歳を取ると、職場で苦労したりして、丸くなったのか。
ついでに、修行僧か、荒野のヤギみたいに、ガリガリだった身体が、ふっくらしていた。
この干渉の減少は、親との距離感がつかめたりしているのか、はたまた自分のことではない、はるか彼方に離れた実家の事柄に情熱を燃やすのが無意味に感じ、面倒になったのか。
自分の居場所、収まりどころを見つけたのかも知れない。

親である我々は老いて弱り、息子はパワーアップしてくる。
だから、抑えつけたり、無理強いしたり、やがて力が五分五分で競り合ったり、喧嘩する、という時期は過ぎたのだろう。
彼は自立したと確信した。

さささと食事の後片付けをして、さささと寝てしまった。
昨日は何処へやら外出、今日も外出、夕食だけイレギュラー感満載で、独立した子供たちが皆んな集合する。

散々個々(造語?三三五五?)各自自由にして、ピンポイントだけ集まる。
これが、我が家のお正月なのかも知れない。

しかし、夫は、
「今度、いつ帰ってくる?」
「はやく、帰って来てくれ」と、いつものことながら、息子に女々しく懇願する。

わたしは、息子にかかってくる電話に聞き耳を立て、娘たちに息子情報スクープをリークしようとしたが、聞き取れなかった。
そのことを娘たちに漏らすと、「そんなんやから息子が帰って来ないんやで」とお叱りを受けた。
しょんぼり。

子供たちは、エラくなったものだ。

明けましておめでたいんだか、おめでたくないんだか

2019-01-01 | 暮らし
明けましておめでとうございます。

たぶん、元旦にこんなフレーズを入れて、余裕のブログをアップしたことは、今まで一度もなかったと思う。

昨年末に姑がシニアハウスの自室で転倒して胸の骨を数本、折った。
実は、2日前に知ったのだが、緊急受診後、処置をしてもらい、1カ月ぐらいギブスや湿布で固定しておくようだ。
もし、自宅での出来事なら、えらいことになっている。
お世話になっているシニアハウスでの出来事だったため、大きなことに至らなかった。
早期発見、早期治療、処置。
迅速、スピーディーなマンパワー対応が功を奏した。
姑本人も、転倒した場所が自宅でなくて本当によかったと胸を撫で下ろしていた。
この環境に身を置かせてもらうことを有難い、感謝していると言っていた。

で、姑は元旦は我々と初詣にも自宅にも出向かず、シニアハウスに留まる意向を示したので、姑の自宅(夫の実家)に姑を迎え入れない、初めてのお正月だった。

というわけで、迎春準備、設えは、大いに手を抜いた。
お目付役がいないので、映画「ホームアローン」の留守宅の子供のように、したい放題。
しめ縄や、鏡餅、丸餅の数を大幅にカットした。
毎年、姑が手配する、嫌というほど、余りまくる数のお餅の山に、私は、かなりうんざりしていた。
お餅は最低限必要な数だけにした。
非常に気分が良い。爽快だ。

姑は鏡餅をあそこ、ここ、と、そこかしこの要所にお供えするのだが、わたしは供える箇所は全て網羅するものの、お供えコンテンツをフル装備するのはピンポイント一箇所だけにして絞り込んだ。


日本の伝統美、古来からの慣わしは、結構なのだが、わたしはなぜか、すごく反感が積み重なっていた。
ジャパニーズ様式を否定する気はないのだが、押し付け、お仕着せの設え、飾りには、ほとほと本当に嫌気がさしていた。
日本のお正月、おせち、しめ縄、鏡餅、、、誰のためにしている?
わたしはすでに、アタマの中が国際化されてしまっている。
日本様式が悪いのではなく、全く誰しも古今皆んな同じなことに、疑問を抱き始めた。
ライフスタイルや価値観が変わっても、伝統は守るべきなのだろうか?
伝統スタイルは、形を変えてもよい気がしてきた。

子供や孫たちが、おばあちゃんの伝統的行事を思い出してくれたらよいが。
思い出してもらうために、やるのか?
子や孫に見せるために?

そもそも、こころの問題である。
しきたりや、慣わしに振り回されない道を選ぶのもありだ。
ただし、村八分的に変わり者扱いはされることだろう。
平素はその地域に住んでいないから、村八分になっても全然問題ないのだが。

しかし、どの地域に住んでも、日本古来の風習や伝統は残っている。
(外国人が多く住むエリアや、人の動きが流動的な都会では特徴が異なるが)
すんなり受け入れ、踏襲し、伝承して行きたいと、つい5年ぐらい前は思っていた。
が、今は違う。
何かが違う、破壊や破滅方向に針が振れている。
その昔、小泉純一郎氏が言っていた「自民党をぶっ壊す」。
改革には、痛みを伴ったが。

一度、全部、既存の押し付け伝統を捨てた後、また、新しく一から作ってもいいかなあと思う。
掃除する時にモノを整理したり捨てたりするように。
一旦、リセットしたい。
そういう節目である。
新しい構築のための、第一歩だろうか。