今朝、行きの電車に書き始め、帰りの電車内で熱心に推敲や加筆を重ね、書き上げた日記を趣味のSNSに夕方、アップした。
が、4時間弱でお蔵入りにした。
せっかく書いたんだから、ここ、蝶ブログにアップすればよいのだが、たった4時間とはいえ、一旦アップしたものを別のところで公開するのは、私のモットーに反する。
「一寸の虫にも五分の魂」的、心情かなと。
で、日の目を見たのは短時間。
ほんの数十人の目に触れた。
コメントを寄せてくれた人も2人いたが、個々にミニメールを入れ、非公開にしたことを詫びた。
なんだか、悪い、嫌な予感がした。
なんだか、、、、
アップした時から。
過激な表現は全て柔らかくオブラートに包み、何度も修正してアップし直した。
それでもやはり、、、
黒いもやもやが胸に立ち込め、アップ続行をやめた。
恥ずかしながら、原因を自己分析してみると、そもそもその記事を書いたモチベーションの根に、わたしの、アップ記事の「受け狙い」があった。
蝶ブログなら最初のまんまの原文で、しれっとアップしていたことだろう。
同じ自分の駄文じゃないか。
なぜ、違うのか?
違うのだ。
恥ずかしい受け狙いの日記に対する、人のダイレクトな反応には耐える自信がない。
それに比べると、蝶ブログの反応は、ダイレクトではない。
ブログを開設した頃は、手応えがなく、それが、かえって、もやもや不安になった。
が、ダイレクトではない反応が今は快適である。
だから、受けを気にせず、すんなりホンネが書ける。
受け入れられようが、受け入れられなかろうが、反応が無かろうが、有ろうが、どうでもよい。
メールで別れや辞職の意を示す、メール世代のごとく。
生の反応が怖い。苦手。
つくづく未熟な自分だと感じる。
が、4時間弱でお蔵入りにした。
せっかく書いたんだから、ここ、蝶ブログにアップすればよいのだが、たった4時間とはいえ、一旦アップしたものを別のところで公開するのは、私のモットーに反する。
「一寸の虫にも五分の魂」的、心情かなと。
で、日の目を見たのは短時間。
ほんの数十人の目に触れた。
コメントを寄せてくれた人も2人いたが、個々にミニメールを入れ、非公開にしたことを詫びた。
なんだか、悪い、嫌な予感がした。
なんだか、、、、
アップした時から。
過激な表現は全て柔らかくオブラートに包み、何度も修正してアップし直した。
それでもやはり、、、
黒いもやもやが胸に立ち込め、アップ続行をやめた。
恥ずかしながら、原因を自己分析してみると、そもそもその記事を書いたモチベーションの根に、わたしの、アップ記事の「受け狙い」があった。
蝶ブログなら最初のまんまの原文で、しれっとアップしていたことだろう。
同じ自分の駄文じゃないか。
なぜ、違うのか?
違うのだ。
恥ずかしい受け狙いの日記に対する、人のダイレクトな反応には耐える自信がない。
それに比べると、蝶ブログの反応は、ダイレクトではない。
ブログを開設した頃は、手応えがなく、それが、かえって、もやもや不安になった。
が、ダイレクトではない反応が今は快適である。
だから、受けを気にせず、すんなりホンネが書ける。
受け入れられようが、受け入れられなかろうが、反応が無かろうが、有ろうが、どうでもよい。
メールで別れや辞職の意を示す、メール世代のごとく。
生の反応が怖い。苦手。
つくづく未熟な自分だと感じる。