過去の嫌な思い出を書き出し、セルフカウンセリングしてます。
傷の修復、再生、自浄に役立つか?
皆さん、ご迷惑だと思うのでスルーしてください。
興味がないことを興味がないと言わなかったわたし。
延々と興味がない、相手の趣味話に付き合っていた。
それはなぜか?
じつのところ、その相手は同じ趣味の人。
だが、共通の趣味のことを語るのではなく、別の趣味のことをその人は話す。
お互いに趣味分野で掘り下げる共通点がなくなった、末期症状の頃。
そもそも、その人は、人を形成する人物像の背景に全く興味がない。
人がどんな風に人生を送ってきたか、全然、ぴくりとも関心がない。
どうでもよい。
自分の人生にもあまり興味がない。
なぜ、そうわたしが言い切るか?
わたしが投げかけた話題には全く関心がない。
世の中のことにはまるで反応しない。
仕事以外の全ての自由時間を趣味に費やしていた。
家でも、家族と食卓を囲んでいる時も。
ずーっとスマホで遊んでいた。
家族も諦めていると思う。
それが、その人のスタイルになり、誰も文句も意見も言わない。
それぞれの家族が好きなように過ごしている。
リビングルームですら、家族は集まらない。
その人が一人で使い、他の家族は寄り付かない。
なるほど、わかる。納得する。
自分は好きなようにしてきたから、他の家族も好きなようにするのはしかたない、と、その人は言う。
これからも干渉も束縛もない家族。
だが、家族間にはその影響なのかどうか知らないが、隙間風は次第に病理を生んだようだ。
鶏が先か、卵が先か。
そういう人間関係の構築(虚無)だから、ああいう家族になってしまったのか。
家族間では、絶妙なバランスで家族を形成しているが、形骸化した家族に思える。
だが、そんな家族は山のようにいる。
壊さないだけだ。
そっと病理を抱えたまま、静かに揺り動かさず進む。
病理の原因には(わざと)目を向けず対峙せず。
わたしはそう感じていたが、口に出して言うのはいくらなんでも他人の家庭に踏み込みすぎ。
人のこころに、ずかずかと土足で入る無神経さは、いくらわたしでも持ち合わせていない。
そもそも、趣味が同じなだけの人。
その人は、わたしとのその共通趣味以外の趣味は、ゲーム。
それと、お気に入り将棋士の追っかけ。
その人は自分は将棋はしない。将棋の中身には興味がない。
将棋の内容にも触れない。
ただその棋士の日々の動向や行動をスマホで追うだけ。
あとは、アニメとスマホアニメ小説。
いわゆるオタク趣味(今では市民権を得ている)。
全くわたしとは趣味が合わない。
さらに、その人は社会の出来事にはまるで無関心。
じーーっと室内の椅子に座り続けてスマホで趣味の世界に没頭する。
旅行にも行かない。お酒も飲まない。食にも興味がない。映画もコンサートも行かない。
英語の勉強をちょっとだけしていたが、わたしが隣で歩いている時にも、スマホで。
ウォーキングは少しするが、暫定期間、スマホで仲間と歩数を競い合うためだったり、コロナ時、一歩も部屋の外に出ず、あまりにも身体を動かさない、全く(家事も用事も)何もしないのですることがなかったり、だったり。
暇やお金がないわけではない。
インターネットで色んなモノを買う。
何十年もそのスタンス。
人は人の好みや趣味があるから、口出しする気はない。権利もない。
だが、二人でいる時も、スマホ。
これは、その人の家族と同じ環境。
気を使わなくなったためか、あるいはスマホのほうが楽しいからだと思われるが、わたしが描く空気のような存在は決してそんなカタチではない。
わたしはその人の家族ではないので、付き合いをやめることには何の影響もない。
スマホ相手に一人でいるには何の問題もない。
二人でいるのに、なぜ四六時中スマホ?
それもあって、わたしはその人から遠ざかった。
おそらく、元々一人が好きな人なのに、無理やりわたしが、割り込んだのだろう。
それは間違いだった。
人間、間違いはある。
なので、わたしは撤退した。
少し後悔するとしたら、なぜもっと早く撤退しなかったのか、である。
人として、肝心なところが欠如しているとみなした。
それにしても、わたしもよくあんな時間を耐えていたものだ。
まあ、人生教訓、教えが詰まっている。
嫌な人には近寄らないこと。
自分の目標に沿わない場合は、進路変更すること。
今は、すごくスッキリした気持ち。
だが、時折、トラウマのごとく、虚無な時間の思い出が蘇ると、吐き出したくなる。
趣味分野で、わたしが目指す方向性とズレていたので、どっちみちアウト。
いつかは、別々の道を歩く。
方向性のズレを修正しようという気にならない、その人の性格が、前を進ませなかった。
元々、最初から無理があった。
それを無理矢理、どうにか合わせようとしたのが間違い。
急いては事を仕損ずる。
価値観やどこか共鳴するところがズレていると、どんどん関係は悪化する。
複合的に原因がいくつも重なっていった。
それにしても、あの人物が家族でなくて良かった。
こころの底からそう思う。
フレキシブルに返品交換可能。
胸を撫で下ろしている。
「人生に無駄な時間はない」と秋元康さんも言っているが、無駄な時間を過ごしてこそ、有意義な時間が輝く。
何が無駄で、何が有意義か。
判断するのに時間はかかったが、今後、自分時間を歩んでいく上での選択に、おおいに役に立つ。
無駄ではなかったということか。