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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

おかあさん、お元気?

2020-10-11 | 日々のこと
姑の50年来の知人とバス停で遭遇した。
「おかあさん、お元気?」
と聞かれたので、
「亡くなりました」
と答えた。
あらそう、、、としばらく絶句し、涙を流された。
仏さんはどちらに?と聞かれた。
お供えを送ってくれるらしい。
日持ちする、京都の美味しい「おかき」だそうだ。

「ぜひ、お葬式に参列したかった」と仰るものの、日にちを伝えると、
「あら、その日なら無理ね」といたって現実的。
みんな、そんなものだ。

「ご主人(わたしの夫)も、ほっとされたでしょう」と。
いつも気になっていたことの肩の荷が降りた気持ちだろう。

「ほっとされたでしょう」
女性の方々からは、その言葉をよく耳にする。
偽りないこころの声だと受け止める。

他界するには適正年齢がある。
それより上でも下でもよい、その人独自の適正年齢。
それを過ぎると本人も周りもしんどい。
周りは、本人が苦しんでいるのを見るに見かねる期間がある。
はやくお迎えが来てくれることを本人も周りも願う。
長寿を全うするとはそういうことだ。

それに比べて、若い、ぴんぴんしている人がある人、突然、事故等でこの世を去る。
周りはこんなに悲しいことはない。
あまりにも残酷だ。
こころの準備は全く出来ていない。
明日や来週、来月、来年のその人とのプラン、行動予定が突然、切れてなくなる。
いないことが信じられない。
悪いジョーク、悪夢だとしか思えない。

だが、この世にいない現実に直面し続けると、現実として受け止めるようになる。
それには時間がかかる。
しかし、こころの中で生き続ける。

天寿を全うした人に対しては、晩年の、直近の思いが強く、昔のことを上書きする。
子供の成長と同じ。

自分で自分の寿命を決めることは出来ない。
勝手に決める人もいる。
まあ人それぞれ。

わたしなら?
とりあえず、3年ぐらいの猶予は欲しい。
いや、1ヶ月でいいかも。
いや、猶予なしがいいかも。
何も考える時間がないほうが幸せだとも思う。

写真は生後2カ月の超健康優良児孫。
バレエシューズの絵柄デザインの靴下を履いて、足だけ登場。