ただ今、夫の実家。
逮夜という宗教行事が四十九日まで延々と毎週続く。
あの世に行き成仏するには、故人本人も家族も何かと手間暇がかかる。
毎週、僧侶が自宅にお参りに来る。
朝からスタンバイ。
わたしの家を出るのは朝5時。
ゴミは出せたが、宅配牛乳がいつもは5時に来るのだがなかなか来ず、見送り。
近所に住む長女に牛乳取り入れをラインで頼んだ。
ご愛嬌に飲んでおくわ、との返信。
毎週毎週、夫の姉は、片道2時間半近くかけてやって来る。
采配を振ってくれるので助かる。
わたしの性格にはピッタリだ。
もし、わたしが采配を振るうタイプだと、嫁に行って実家を出た者が実家にしゃしゃり出るな!と、イラつくところだろうけれど、まったくそういうことはない。
夫と義姉は、「○ちゃん」「ねえちゃん」と呼び合い、仲良く楽しそうに忙しくやっているから、よろしいのではないかと。
わたしの出る幕はなく、大変、大変、喜んでいる。
これは、皮肉でも逆表現でもブラックジョークでもなく、そのままの胸中だ。
いっそ、家ごと全て差し上げるので、どうにでもしていただきたい気持ち。
わたしは、自分の家に早く帰りたい。
が、行事が終われば帰れる。
夫は自分の実家に泊まり込みで仏さんの守りをするようだ。
どうぞどうぞ、存分に、悔いないように、お祀りしてあげてください。
そもそも、たまたま仏教は同じではあるが、宗派は違うわけで。
なぜ、嫁ぎ先の宗教を嫁が継承しなければならない?
キリスト教か、天理教、金光教(名称、合ってるかな?)、ゾロアスター教、どこぞの国のなにかの宗教にしても良いはず。
人権とともに宗教の自由は認められているはず。
わたしはほぼ無宗教に近いので、あえて別の宗教を掲げて反意を強調する気はない。
ただただ行き過ぎるのを邪魔をせず、ちょっとだけ協力しているかのフリをして、静かに待つだけだ。
宗教の違いで離婚は認められる判例があったはず。
だけど、そこまで宗教にはぞっこん肩入れしていないので、離婚はしない。
ただただ、早く終わらないかなあ、、、と願うのみ。
どんな分野においても儀式は嫌いだ。
だが、学校関係の入学式や卒業式は嫌いではない。
勝手なものだ。
故人を偲ぶには良い機会ではあるが、あの、茶道などにもつながるかも知れない、決まりごとオンパレが苦痛である。
自由な自分風がわたしは好き。
だけど、家庭は社会の一番小さなコミュニティ。
社会の一員である以上、好き勝手は許されない。
待ち時間に、冷蔵庫にまだ残っている乾物や調味料、茶箪笥のお茶をがさっと捨てた。
かなりそうとう古い食料品を廃棄するのは、誰の許可も要らないはずだ。
カン、ビン、燃えるゴミ、プラゴミの仕分け付き。
いっそ家ごと捨てたいが、そういうわけにもいかない。
(家屋、住まい、ハードとしての家だけでなく、別の意味の家も濃厚に詰まっている)
夫が大事にして今後、暮らしてくれるなら、大切な家である。
夫の終の住処になることだろう。
一人一人の幸せが守れるという状態を維持するは、理想的なことだ。