蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

時間が逆戻りして静止した

2020-03-16 | 思い出

ものすごく超々久しぶり、4年ぶり?に、パソコンを開けている。

電源はどうにか入れることは出来た。やれやれ。

あとの作業は、まあもたもたと、ありえないぐらいモタついている。

そもそもなぜ、いつもスマホからの投稿、そして閲覧なのに、パソコンに挑んでいるのか?

それは、ある人が、半世紀以上前の写真画像をJPEG加工してUSBを郵送してくれた。

今の時代、通信!!!で、と思いつつ。JPEGまで加工したなら、メール送信でもよいと思われるが、なんらかの事情で郵送になったようだ。

おそらく受け手側の通信音痴を察してのことだろう。

 

「郵送しました」とグループラインで言ってきたが、わたしではないもう一人の人物は、どうやらまだ画像を開けていないような気配。

でもLINEでは、開いた様子がうかがえず、「ありがとう~」のみ。

開く気はあるのだろうか。

わたしは、郵送された当日に、ちゃんと開いてみた。

が、USBの扱いに、まごついた。

あまりにも久しぶりだったので、いったい、どうやってするのだろう、と、パソコンの画面を食い入るように見つめた。

しかし、脳も目も指も、フリーズ。

使わないと、人間、こういうことになるんだなあと、むしろ新鮮な気分。

やがて、、、、、出る出る、50枚近くの昔のモノクロ写真。

あ、おばあちゃん、おじいちゃん、父、母、親戚の顔、顔、顔、、、

黒詰襟学生服に、学生帽の、きりっとした若い父がいた。

令和の現在の今と全く変わらない家、庭で、出征前の軍服姿の独身の父が、父の両親や姉妹と写っているものもある。

ロングコートにロングブーツ。外国の戦争映画に出てくるような恰好。

若い、ふっくらした母も後に登場。

前庭に停められた自家用車に乗ってはしゃぐ幼い兄。

時代は、行ったり来たり。

わたしは、小学高学年でやっと顔が出てきた。

今も覚えている、あつらえてもらった、白地に細かい赤の格子模様のジャンパースカートを着ていた。

あの服は、記憶にしっかり残る。

日頃、小学校は制服だったので、外出用の私服はほとんど必要なかった。

といっても、なにかしら着ていたのだろうけれど。

 

おばあさんばかりの自宅での記念行事の集合写真が多かったため、わたしたちは若すぎて浮いていた。

両親さえも、若くて浮いていた。

最後のJPEG最新写真は昭和56年ごろ。40年近く前である。

いやあ、参りました。

若すぎる自分に出会って、びっくり。

若い時は、誰も美しい。兄も姉も、変テコではない。

こんなにわたしが自分が好きだなんて、ちょっと予想はしていたが、なんと自己愛に満ちていることか。

他人からの評価を気にしたり、他人と比べたりする気は全くないが、自分が自分に対する自己評価はかなり高い。

うっとり。あくまでも、自己比なんだろう。自分と自分を比べる。

時系列で自分が出てきて、おもしろい変化、推移を楽しめる。

今、現在の(ぜんぜん若くない自分の)写真も、きっと遠い将来の自分の目を悦ばせることだろう。

今から期待している。

 

※せっかくパソコンからの投稿だから、USBからのお気に入りの写真を張り付けてもいいのだが、絶対にそんなことはしないわたしである。