蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

そうか、そうだったのか!

2020-03-12 | 日々のこと
孫A。コロナ対策休校のため、お預かり。
ケーブルテレビのディズニージュニア番組を熱心に見ている。
「うん!」「そうだね!」「違う!」「いいよ!」
などと大きな声で元気に画面に話しかけている。
ちょっとコワイ光景。

昔昔、学生時代、家族社会学だかなんだかで、習ったことを思い出した。
アメリカの研究者によると、家庭環境の整わない貧困家庭では、子供の相手はテレビに任せている、と。
そのせいで、直のリアルなやり取り、会話のキャッチボールが出来ないため、子供に言葉の遅れや知的遅れ、偏りが見られるそうだ。
ありゃ、うちの孫A!
テレビが相手!

しかし、彼は幼児ではないし、既に文字の読み書き、数字の計算(小学一年レベル、年齢相応)が出来る。
さらに、放映側と視聴者の間をリモコンで双方向性のやり取りをしている。
まあ言葉や理解力の遅れは大丈夫だろう。

今、番組を見て、目の前で大声で立て続けに笑っている。
なんと、笑いの沸点が低いこと。
吉本芸人なら、こんなに観客にウケられると、才能ない芸人もすっかり有頂天になり勘違いしそうだ。

しかしまあ、ディズニー番組は、楽しい。
色彩、動き、キャラクター、ストーリー、音楽、歌、、、大人も楽しめる。
ミュージカルの要素もある。
ばあちゃんちで、ビートルズや演歌の影響は受けそうもないが。
どこの子も、こういう番組に接して育つと、夢いっぱいの冒険家になるんだろうか?
(それはないか、、、)

昨夜は、「忍たま乱太郎」をいつもと違う時間にEテレで放映していて、やったぁ〜と思って孫Aに見せていたが、、、
通常の18時台のものとは異なった。
ガリレオガリレイや、天動説、地動説、惑星などのお勉強がみっちり詰まっていた。
わたしにはとても勉強になり、小さい時に習ったことの、おさらいにはなったが、初めて目にする孫Aには、やや難解かなあと感じた。
小学校高学年向き?
勉学から遠のいた大人向きかも知れない。
科学を真摯に追及するガリレオガリレイの気の毒な人生にも、時代の大きな流れを感じる。

娘宅に孫Aを送った帰り道、夜空を見上げると、やたら明るく大きく光る星があった。
細い光の飛行機も。
地球は丸くて、宇宙に浮かぶ星の一つなんだ、と考えると、単なる知識ではなく、実生活と結びつく部分を感じた。
知識としての概念だけでなく、地球という星、気の遠くなるような天文学的時間が流れる宇宙にあるこの星、今のわたしたちの時代に大変な状況に変わり果てさせようとしている。

便利さや、快適性を求めるあまり、資源を無駄に使い、環境を破壊している。
こんなことは、恥ずかしながら、実際に考えたことはなかった。
行動するとしたら、他人の圧力に屈してだったり、行政のゴミ出しルールに、従ったりのこと。
身近に感じ実践している人は多い中、わたしはかなり奥手である。

気の毒な環境にある人に感情移入するようになったのと同じく、人だけでなく、「ものごと」や「自然」にも自分の身に関わることとして感じた。

歴史や科学を復習するのは、悪くない。
習った当時は嫌々義務だったから、知識は単なる魂の入らない頭の中だけの知識として覚えているに過ぎなく、生命を吹き込まれていない。体温がない。
知識が実際に自分の中で動き出す瞬間を体験すると、アミューズメントパークの体感シュミレーターに乗って遊んでいるのとはまた違う、独自の自発的な感覚、教えを得る。

随分昔、学生時代に義務で習った英語に、実践として使い、立体的に組み立てられ息を吹きかけられた時もそうだった。
わたしの脳は、種を植えても芽が出るのが遅い。
晩年、学習意欲に燃える人がいるようだが、わかるような気がする。
知る喜び、生命や実生活につながる実感を味わう楽しさ。

孫がきっかけになり、弱りかけた脳に、一度入った知識を眠らせているのはもったいない、冬眠から目を覚ませ、と、神様から知らされているかのようだ。

孫Aは、神様の使者なのか?
いやいや、ただ単なる食いしん坊だ。
今も、番組と番組の合間に、どんどん次から次へとオヤツを要求され、弱っている。