蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

溜まり停滞すると、濁る。

2017-11-22 | 日々のこと
最近のわたしの、マイナーチェンジ。
ミニ老化。
ものごとへの理解が遅い、とろい、わかりにくい。
ニュースや、記事を読んでも、さらさらと頭に入らない。
さらさらと、うわっ滑り。
右耳から左耳に抜け、そのまま引き返して来ない。
行ってきまーす、行ってらっしゃーい。
全然、帰って来ない。
お帰りは、いつ?
明らかに脳が退化していると自覚する。

記憶の悪さ、弱さには、もう随分前からうんざりしている。
今の良くない傾向は、それを隠そうとする。
バレないように、極力、物事に関わらないようにする。
自分だけの世界に閉じこもる。

前々からそういう傾向にあり、好きで閉じこもっていたのが、今は逃げるようにして身を固くし、しかも最近は顕著である。

それに比例して、もう一人の自分がうるさい、うるさい。
四六時中、やんや、やんやと、わたしに話しかけてくる。
いい加減に黙ってよ、うるさいわー。
ああでもない、こうでもない、見たもの、聞いたものに、かたっぱしから感想を言ってくる。
わたしが幼稚園ぐらいの時、初めて、思ったことが、脳かどこかで声になり、自分にその思いがこころで聞こえることを発見した。
頭で考え、感じる、自己思考の初体験というものだろう。
客観視する、もう一人の自分がいることに気づいた。
脳内・二卵性双生児の誕生である。

今、真ん中の3歳の孫が、それと同じことを言っていた。
「それは、◯◯やで。◯◯だということが、今、△△くん(自分のこと)わかったんや。気がついたんや」
◯◯は、カタチであったり、状態、動き、人の気持ち、扱い、行動、などなど、多岐に渡る。
この孫、わたしより、オマセだ。
1年か2年、わたしの幼児の時より早い。
しかし、わたしは彼の年齢のころ、祖父のお葬式の様子、一場面をはっきり覚えている。
だから、年齢的に、脳の発達進度は似たようなものだ。

その、幼児の頃の発見を、今、また再認識しているわけだが、、、
ちょっと、うるさい。

この状況を自分で分析するには、
外に向かって声を出せない分、脳のなかで未処理の感想やら意見が溜まってきて、それが溢れて流れ出てきているのではないだろうか。

溜まってくると、少し、詰まって停滞しないように、適度にアウトプットしないと、健康によくないようだ。
血管が詰まらないための血液サラサラ薬みたいに。
溶かす、あるいは、掻き出す、摘出する作業が必要である。
自分なりの方法で出していこう。
ブログなどは、最たるどんぴしゃツールである。
わたしの場合、発信ではなく、発露といったところか?
時には、はた迷惑な、読む側の気分を害する発露もあるので、attention please お取り扱い要注意です。

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