蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

火花に、ほろり。

2017-11-26 | わたし
別SNSの日記で、一昨々日あった出来事を思いっきり愚痴った。
こちら蝶ブログでも、まだまだ愚痴りたいところだが、万が一、別SNSでお読みになった方が、蝶ブログを見ると、あれ?この人、、、?
と、人物特定されてしまう恐れがある。
なので、同じ記事内容は絶対に載せないようにしている。

過去にパリブログを書いていた時は、同じ記事を載せたこともあった。
が、パリブログは、まったく匿名性まるだしの、どこの誰ともわからないもので、問題はなかった。
だが、今の別SNSは、リアル人物が行き交い、リアルタイムでリアルな場で進行しているので、人物特定をしようとすると、不可能ではない。
あえて、特定できないようには書いているが、かといって、嘘も書いていない。
自分でお気に入りの記事、ネタがある場合、どちらにアップしようか悩む時がある。

ただ、むこうのSNS日記は、閲覧数がリアルタイムでアップされるので、反響がない時は悲惨である。惨め色。
この惨め色を読み手側の皆さんと同時にシェアすることに、わたしは耐えられない。
こちらの蝶ブログは、閲覧数はブロガーの編集ページにしか出ないので、本人にしかわからない。(あえて、表に出しているブロガーさんもいるが)

その別SNS、閲覧数がいつも少ない書き手の人もいる。
気にしてないのだろう。
閲覧数には、選挙やファンクラブに少し似ているところがある。
組織票が入る人(多くのファンを抱える人)は、いつも閲覧数が多い。
アップしてすぐに閲覧数が上がる。
逆に1匹狼の人や知名度のない人は、極端に閲覧数が少ない。

わたしは、、、
1匹狼であり、また、リアルな顔を出していない覆面ライターなので、閲覧数はそう多くはない。
が、比較的、じわりじわりと時間が経つと閲覧数が増えていくようだ。
(毒が後から効くかのごとく?)

ファンの多い人は、人柄が良く、親切で、能力が高いのに謙虚な人。
で、文章にサービス精神が盛り込まれている。
そして、リアルタイムに欲しい情報が得られる。
というように、SNSで知り合いになっていれば、絶対に得をするような人。
例えば、便宜を図ってくれる、とか、自分の役に立つ、とか、優良な知り合いを紹介してくれる、とか、実際に踊ってくれる(社交ダンス関連の集まりです)、とか。
なので、実際にリアルに人気がある人の日記は閲覧数が多い。

方や、わたしは、その逆。
なんのメリットも特典も与えないし、実際に踊るにも覆面だし、オフ会には絶対に顔を出さないし、どこをどう探しても、実利は転がっていない。
が、なんか、優等生の皆さんがチヤホヤされているのを面白がらない、自分が優秀だと思っている人や、実際に優秀だけど自分では表に向けて言えない人が、優越感を味わいたくて興味を持って読んでおられるのではないかと推測する。

光輝く人を斜めから藪睨み。
が、決して否定したり、非難したり、上げ足取ったりしない。
独自の目線で現状を斬っているに過ぎない。
でも、わたし自身、自分が救われるように、他にも救われる人がいるのだろう。

真っ正面からだけ、ひとつの物事を捉えてきゃーきゃー言っている人は、ある意味、羨ましい。
この、疑心暗鬼に満ちた、ひねくれ根性は、「答えは一つではない」、と、わたしにささやく。
読者は、上質な食事に満足し、時にはマイノリティの声を聞くのも悪くないと思っているのかも知れない。


あ、最後の最後で、もう書く気力も(お読みになる気力も)ないと思うが、、、

映画の「火花」。
思いがけず、とても良かった。
文学で賞を取った作品を、原作である小説も読まずに、いきなり映画を観るなんていうのは、仮にも文章を書くのが趣味の人間のすることだろうか、、、と思いつつ。
漫才で泣くか?と自分にツッコミ。
お笑いであろうがなんであろうが、一生懸命、追及、突き詰めているパワー、情熱に共感、共鳴した。
泣いちゃった、です。
どれだけ、涙腺が弱いのだ?
お笑いネタがぎゅっと詰まっているところも、お得感あり。
美味しい蟹を先の細い脚まで、ほじくって食べたような、甘く切ない満足感があった。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ