真後ろに、夫。
パソコンの、モニター画面に正面向いて、ダイニングの食卓を挟んで椅子に座っている。
つまり、背後から、わたしのパソコンパチパチの内容が、まる見えというわけだ。
どんなサイトや記事を見ているか、どんなブログを見ているか、そして、どんなことを書いているか、
まる見え。
なので、キーボードを打つ指が、ゆるゆる、のそのそ、まるで、やる気なし。
と、時間つぶし的なことをしていたら、彼は場所を変えた模様。
やれやれ。
しかし、ちょっと変えただけ。
ダイニングの部屋。大人が二人。空気が薄い~。
・・・
最近、夫は、休日は在宅。
わたしは、いろいろ思うことが次から次にアタマから出てくるのだが、
ぐっと口を真一文字に結ぶ。
失言をしてはいけない。
ろくなことがアタマに浮かばないからだ。
浮かんだまま、言葉にしたら、絶対にキレられる。
なので、口にしない。
平静な普通の、まるでなにごともない、なにも考えていない顔をする。
だいだい、思ったことをズバズバ口にすればよい、などという人の気が知れない。
聞かされて嬉しい良いプラス面のことならよいが、
ムカつく悪いマイナス面のことなら、聞かされた相手も気分を害する。
口に出して言っても、事態を悪化させるだけであって、なんの良いこともない。
たとえば・・・(これは、事実とは異なる、架空の事例です)
「また、そんなテレビ番組見てるのね。たまには、もっとマシなこと、読書や勉強とか、身になることしないの?」
「また、あれこれ食べてばかり。だから、そんなに太るのよ」
「あなたがいると、窮屈で、のびのびできないわ」
「食べるのはいいけれど、食べかすやら、ゴミやら、まったく始末しないで、よく平気ね」
なんて、言ったものなら、モノが飛んでくる。
思っても、言ってはいけない。
いや、思うことすらいけない。
せっかくの休日を自宅でのんびりすごしてリラックスしているのだから、
だれがそれをとやかく言う権利がある?
誰もない。
なので、みんな楽しく、休日を過ごす。
楽しく休日を過ごす権利は、誰にもある。
なんでもかんでも、思ったことを口にするのは、アホである。
最近、わたしは、この年になって、やっとこさ、それを理解し、悟った。
人には人の権利、自分には自分の権利。
この権利は平等にあって、不可侵である。
なので、人の行動に制約を設けるのは、自分の権利が侵されそうになった時のみ。
その他は、関与しないのが、賢明である。
いちいち口出しするのは、言われるほうは、たまったものではない。
ストレスの山になる。
限界の限界まで我慢することにした。
すると、限界がだんだん、キャパが増えてきた。
以前なら、爆発が早かったように思うが、年をとったせいか、最近は、アタマに来るのは、
アタマの中だけにしよう、と考えた。
架空次元で、爆発している。
しかも、爆発するようなことでもないではないか、と思ったり。
沸き起こる負の感情、思いこそが、悪の根源。
負の感情など、持ってはいけない。
そもそも、なぜ、頭ごなしに、負の感情なのか?
負をゼロに、ゼロをプラスに、マインドコントロールすべきだ。
相手を理解する気になる、相手の側に立って、モノゴトを感じてみる。
すると、べつに、そうアタマにも来なくなる。
けんかせずに、モノゴト解決。
自分のアタマの中だけ格闘、葛藤しているだけだ。
悪い考え方をしない方向に持っていくのが、ストレスを溜めない最良の方法だ。
けんか腰になると、相手も嫌な気になる。
にっこり笑顔で接すると、相手も、にっこり笑顔になる。
向かい合う人のこころは、自分を映し出す鏡だ。
とかなんとか、ブログは、今日もわたしを救ってくれた。
ちょっと、無理やりっぽかったが。
パソコンの、モニター画面に正面向いて、ダイニングの食卓を挟んで椅子に座っている。
つまり、背後から、わたしのパソコンパチパチの内容が、まる見えというわけだ。
どんなサイトや記事を見ているか、どんなブログを見ているか、そして、どんなことを書いているか、
まる見え。
なので、キーボードを打つ指が、ゆるゆる、のそのそ、まるで、やる気なし。
と、時間つぶし的なことをしていたら、彼は場所を変えた模様。
やれやれ。
しかし、ちょっと変えただけ。
ダイニングの部屋。大人が二人。空気が薄い~。
・・・
最近、夫は、休日は在宅。
わたしは、いろいろ思うことが次から次にアタマから出てくるのだが、
ぐっと口を真一文字に結ぶ。
失言をしてはいけない。
ろくなことがアタマに浮かばないからだ。
浮かんだまま、言葉にしたら、絶対にキレられる。
なので、口にしない。
平静な普通の、まるでなにごともない、なにも考えていない顔をする。
だいだい、思ったことをズバズバ口にすればよい、などという人の気が知れない。
聞かされて嬉しい良いプラス面のことならよいが、
ムカつく悪いマイナス面のことなら、聞かされた相手も気分を害する。
口に出して言っても、事態を悪化させるだけであって、なんの良いこともない。
たとえば・・・(これは、事実とは異なる、架空の事例です)
「また、そんなテレビ番組見てるのね。たまには、もっとマシなこと、読書や勉強とか、身になることしないの?」
「また、あれこれ食べてばかり。だから、そんなに太るのよ」
「あなたがいると、窮屈で、のびのびできないわ」
「食べるのはいいけれど、食べかすやら、ゴミやら、まったく始末しないで、よく平気ね」
なんて、言ったものなら、モノが飛んでくる。
思っても、言ってはいけない。
いや、思うことすらいけない。
せっかくの休日を自宅でのんびりすごしてリラックスしているのだから、
だれがそれをとやかく言う権利がある?
誰もない。
なので、みんな楽しく、休日を過ごす。
楽しく休日を過ごす権利は、誰にもある。
なんでもかんでも、思ったことを口にするのは、アホである。
最近、わたしは、この年になって、やっとこさ、それを理解し、悟った。
人には人の権利、自分には自分の権利。
この権利は平等にあって、不可侵である。
なので、人の行動に制約を設けるのは、自分の権利が侵されそうになった時のみ。
その他は、関与しないのが、賢明である。
いちいち口出しするのは、言われるほうは、たまったものではない。
ストレスの山になる。
限界の限界まで我慢することにした。
すると、限界がだんだん、キャパが増えてきた。
以前なら、爆発が早かったように思うが、年をとったせいか、最近は、アタマに来るのは、
アタマの中だけにしよう、と考えた。
架空次元で、爆発している。
しかも、爆発するようなことでもないではないか、と思ったり。
沸き起こる負の感情、思いこそが、悪の根源。
負の感情など、持ってはいけない。
そもそも、なぜ、頭ごなしに、負の感情なのか?
負をゼロに、ゼロをプラスに、マインドコントロールすべきだ。
相手を理解する気になる、相手の側に立って、モノゴトを感じてみる。
すると、べつに、そうアタマにも来なくなる。
けんかせずに、モノゴト解決。
自分のアタマの中だけ格闘、葛藤しているだけだ。
悪い考え方をしない方向に持っていくのが、ストレスを溜めない最良の方法だ。
けんか腰になると、相手も嫌な気になる。
にっこり笑顔で接すると、相手も、にっこり笑顔になる。
向かい合う人のこころは、自分を映し出す鏡だ。
とかなんとか、ブログは、今日もわたしを救ってくれた。
ちょっと、無理やりっぽかったが。