つい最近、こっそり始めた、オモチャのようなブログ。
今朝、すべての記事を非公開にした。
なんだか、すっとして、ほっとした。
・・・
モノだらけの空間(部屋ではなく、ひとつの2Fホールみたいなもの)、
そこを今朝、通って、これ、おそらく、処分するだろうな・・・という予感がアタマをよぎった。
わざわざ、ご親切に、断捨離できないわたしのために、不用品処理場までご紹介いただいたという、
困り者であるわたしだが。
ブログで、ぶーすかぶーすか書いているのは、エネルギーチャージのためでもある。
溜めて溜めて溜めて、やっとこさ、動く。
これは、わたしのパターンだ。
なので、この「溜め」作業に、お読みいただく皆さんを巻き込んでいることになる。
はた迷惑なことだ。
ブログをマジメにお読みいただいているリアル知人からは、
直接、「あんた、はやく始めなさい」と、お小言を頂戴したりする。
・・・
カタログギフトの申し込み期限が今日になっているものがある。
今月には、それを含めて、なんとカタログ締め切りが3つもある。
最近は、どこもかも、モノの押し付けは遠慮されるようで、カタログ流行(はやり)である。
昨夜、いよいよ翌日に締め切りを控えるカタログに、真剣に取り組んだ。
3つとも食品に統一すると、献立が立てやすく合理的かな、などと計画を立てる。
が・・・どれもこれも3つとも食料では、ちょっとさびしいものがある。
かといって、モノにすると・・・ああ、、、断捨離対象を増やすばかりか。
しかし、好きなものを集めて、どこが悪い?
と、また開き直り。
食べてしまえばそれで終りか?
いやいや・・・モノで残っても、周りが迷惑?
だが、まだあと20年ぐらいは、わたしは、その、気に入って選んだカタログのモノを大切に愛しむことだろう。
なら、断捨離は、この際、考えなくてもいいのでは・・・?
うんぬんかんぬん・・・
重いカタログの大量にあるページを何度もめくるのにも疲れ果て、
空っぽアタマが機能不全で途中ストップし、脳の指揮官を悩ませていた。
・・・で、夜中にふと、今までにいただいたテーブルウエアをごそごそ棚から引っ張り出して、しげしげ眺めて悦に入った。
その中には、父の三回忌にいただいたステキな食器もあった。
ノリタケのボーンチャイナ。鮮やかなグリーンの縁に彩られた、繊細な金模様。
いいわ~。うっとり・・・。
他にも、銀の七宝焼きの細工つきカラトリーやら、和の工芸品やら・・・。
とても優雅な気持ちになった。こころが、喜んでいる。
やっぱり、わたしは、こういうものが好き。
3つのうちの1つぐらいは、自分の好みのものにしてもいいか・・・?
その好みの品が入っている、悩みのカタログ締め切りが、今日である。
メジャー(巻尺)でサイズを測り、こんな大きさか・・・と製品を想像している。
こんなかな、あんなかな、どこに置こうかな、どうやって使おうかな、
だれに、どんな食べ物を乗せて、その時の顔は、会話は・・・・
こうやって、脳内でいろいろ想像し、注文するまでの楽しみということにしておけば、モノは増えずに済む。
さてさて、本日のカタログ注文、食品にするか、はたまた・・・?
ぎりぎりまで悩もう。
・・・
モノが増える人
断捨離ができない人
わたしは、そういう人の典型パターンである。
モノに愛着を覚えるタイプ。
想い出の品でなくてもいい。お気に入りの品。
ふと昨夜、アタマをよぎったのは、
ずいぶん前、家を建て替えた時に捨てた、ガラス製で透明のベースにピンクなどの水玉模様のティーカップ&ソーサー。
「あれは、もったいなかった。捨てる必要はなかった。今あれば、どんなによかったか。
娘たちが来たときに、紅茶やハーブティにぴったり・・・」
なんて、ふつふつとアタマから湧き出るこんな思いに、自分でも、つくづく重病人であることを自覚した。
しかしながら、病気でもないのに、病気である自覚症状を感じるというのは、身体によくない。
きっと、本当の病気を牽引する。
などと、またまた自分に甘い、自己解釈。
断捨離って、ひとつの世の中の時代の流れであって、その流れに、わたしがなぜ乗らねばならない?
だれにも迷惑はかけていない。
(ああ・・・またまた同じことの繰り返し。ほんとうに真剣にボケの直前凪)
などなど・・・
アタマのなかでは、指揮官は制御も指導もできず、うろうろ。(たんに居眠りしているだけだろう)
これだけ、多くの文字を無意味に入力して、断捨離エネルギーをチャージしているのか?
逆の反・断捨離エネルギーをチャージしていたりして?
赤勝て、白勝て。
・・・
すみません・・・の気持ち・・・。
何がかというと、ここまで読んでくださった方々に・・・です。
反省。
どっちにしても、今日の24時までに、カタログは申し込みます。
お騒がせいたしました。
今朝、すべての記事を非公開にした。
なんだか、すっとして、ほっとした。
・・・
モノだらけの空間(部屋ではなく、ひとつの2Fホールみたいなもの)、
そこを今朝、通って、これ、おそらく、処分するだろうな・・・という予感がアタマをよぎった。
わざわざ、ご親切に、断捨離できないわたしのために、不用品処理場までご紹介いただいたという、
困り者であるわたしだが。
ブログで、ぶーすかぶーすか書いているのは、エネルギーチャージのためでもある。
溜めて溜めて溜めて、やっとこさ、動く。
これは、わたしのパターンだ。
なので、この「溜め」作業に、お読みいただく皆さんを巻き込んでいることになる。
はた迷惑なことだ。
ブログをマジメにお読みいただいているリアル知人からは、
直接、「あんた、はやく始めなさい」と、お小言を頂戴したりする。
・・・
カタログギフトの申し込み期限が今日になっているものがある。
今月には、それを含めて、なんとカタログ締め切りが3つもある。
最近は、どこもかも、モノの押し付けは遠慮されるようで、カタログ流行(はやり)である。
昨夜、いよいよ翌日に締め切りを控えるカタログに、真剣に取り組んだ。
3つとも食品に統一すると、献立が立てやすく合理的かな、などと計画を立てる。
が・・・どれもこれも3つとも食料では、ちょっとさびしいものがある。
かといって、モノにすると・・・ああ、、、断捨離対象を増やすばかりか。
しかし、好きなものを集めて、どこが悪い?
と、また開き直り。
食べてしまえばそれで終りか?
いやいや・・・モノで残っても、周りが迷惑?
だが、まだあと20年ぐらいは、わたしは、その、気に入って選んだカタログのモノを大切に愛しむことだろう。
なら、断捨離は、この際、考えなくてもいいのでは・・・?
うんぬんかんぬん・・・
重いカタログの大量にあるページを何度もめくるのにも疲れ果て、
空っぽアタマが機能不全で途中ストップし、脳の指揮官を悩ませていた。
・・・で、夜中にふと、今までにいただいたテーブルウエアをごそごそ棚から引っ張り出して、しげしげ眺めて悦に入った。
その中には、父の三回忌にいただいたステキな食器もあった。
ノリタケのボーンチャイナ。鮮やかなグリーンの縁に彩られた、繊細な金模様。
いいわ~。うっとり・・・。
他にも、銀の七宝焼きの細工つきカラトリーやら、和の工芸品やら・・・。
とても優雅な気持ちになった。こころが、喜んでいる。
やっぱり、わたしは、こういうものが好き。
3つのうちの1つぐらいは、自分の好みのものにしてもいいか・・・?
その好みの品が入っている、悩みのカタログ締め切りが、今日である。
メジャー(巻尺)でサイズを測り、こんな大きさか・・・と製品を想像している。
こんなかな、あんなかな、どこに置こうかな、どうやって使おうかな、
だれに、どんな食べ物を乗せて、その時の顔は、会話は・・・・
こうやって、脳内でいろいろ想像し、注文するまでの楽しみということにしておけば、モノは増えずに済む。
さてさて、本日のカタログ注文、食品にするか、はたまた・・・?
ぎりぎりまで悩もう。
・・・
モノが増える人
断捨離ができない人
わたしは、そういう人の典型パターンである。
モノに愛着を覚えるタイプ。
想い出の品でなくてもいい。お気に入りの品。
ふと昨夜、アタマをよぎったのは、
ずいぶん前、家を建て替えた時に捨てた、ガラス製で透明のベースにピンクなどの水玉模様のティーカップ&ソーサー。
「あれは、もったいなかった。捨てる必要はなかった。今あれば、どんなによかったか。
娘たちが来たときに、紅茶やハーブティにぴったり・・・」
なんて、ふつふつとアタマから湧き出るこんな思いに、自分でも、つくづく重病人であることを自覚した。
しかしながら、病気でもないのに、病気である自覚症状を感じるというのは、身体によくない。
きっと、本当の病気を牽引する。
などと、またまた自分に甘い、自己解釈。
断捨離って、ひとつの世の中の時代の流れであって、その流れに、わたしがなぜ乗らねばならない?
だれにも迷惑はかけていない。
(ああ・・・またまた同じことの繰り返し。ほんとうに真剣にボケの直前凪)
などなど・・・
アタマのなかでは、指揮官は制御も指導もできず、うろうろ。(たんに居眠りしているだけだろう)
これだけ、多くの文字を無意味に入力して、断捨離エネルギーをチャージしているのか?
逆の反・断捨離エネルギーをチャージしていたりして?
赤勝て、白勝て。
・・・
すみません・・・の気持ち・・・。
何がかというと、ここまで読んでくださった方々に・・・です。
反省。
どっちにしても、今日の24時までに、カタログは申し込みます。
お騒がせいたしました。