goo blog サービス終了のお知らせ 

蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

死んだり生まれたり

2021-08-19 | 
お尻に火が点きだしてきた。
あれこれ、一度に同時多発スケジュール。
日頃、サボっていることもあり、重なると、あわあわ、ジタバタ。
大事な家族の生き死にと、それに関わる行事が一度に押し寄せてきた。
人数的には、1人マイナス(死去/去年)、
3人プラス(結婚&出産/去年と今年)、新娘婿を含め家族が増えた。
さらに一周忌までに同時リフォーム。
忙しい、、、。

去年、今年で、いただくのは、結婚お祝い、出産お祝い、香典、初盆お供え、一周忌お供え。
お返しするのは、結婚内祝い、出産内祝い、満中陰志、初盆粗供養、一周忌粗供養。
金一封に品物も。
お金は嵩張らないが、品物は山と積まれるとため息が出る。
しかも食品だと賞味期限が追いかけてくる。
これを日本式冠婚葬祭の「交際」というらしいが、わたしは、うんざりしている。
香典はいただかない旨を示して辞退したものの、郵送してくださる方や、遠路遥々お持ちいただく方や、親戚間での生前からの約束ごとやら、一斉に一律お断りもなかなか難しい面がある。
香典が辞退なら、供花で、という近年パターンもあり、お花がずらずら並ぶ。
供花も値段は色々で、決してお安くない。
頂いたたら、知らん顔するわけにもいかないし、お返しを、、、という流れになり、至ってややこしい。
常識や節度ある「お付き合い」という、目に見えなさそうで目に見える、社会的忖度のようなものに縛られる。

お葬式も家族葬が増え、お墓も樹木葬など、新しいかたちのものが出てきている昨今。
価値観や概念も変わりつつある。
が、ころっと従来のものを切り捨て、新しいものに移るには、ある程度の時間がかかる。
移行期。
都会の先っぽと、奥まった田舎、革新と保守では温度が違う。
わたしは、田舎(夫の実家)と旧ニュータウン(行政計画のもと、人工的に造成された地区→我々核家族の自宅)の両方に、両足で立っていたが、今は、軸足は旧ニュータウン、田舎は片足をちょこんと乗せて立っている。
核分裂した我々の自宅から、また娘たちが核分裂し、それぞれの家を持っている。
この先、孫たちも、どんどん核分裂していく。
地方に実家を持つ後継ぎたちは、空き家となった実家を維持できず、取り壊して更地にしたりしている家をちらほら見かける。
解体費用はばかにならず、負の遺産だと相続側は嘆いているが、放置するわけにもいかず、泣く泣く責任を全うするかたちになっている。
人流のない閉ざされた地域で更地になった土地に、新しく流入して来る住民はいない。
減少、縮小するのみ。
人の動きがない地域は衰退する一方。

田舎では冠婚葬祭は続いているが、新しい核家族の家では土着地域の付き合いはない。
親戚の繋がりはどこへ行こうが続くものの、地域の近隣のお付き合いは途切れる。
親戚も近い血縁関係の家だけに絞られてくる。

うちの場合、田舎は家屋を残すので、リセットされず、親戚付き合いは続きそうだ。
今後は、夫に自分の実家関係のお付き合いをしてもらう。
自分の実家は自分で継続、守ってもらう。
イエ意識が崩壊している現在では、よほどの旧式なところは別だろうけれど、嫁は嫁としての役割、義務に束縛されなくてよい、と、姑舅がいなくなったわたしは考えている。
夫にきょうだいがいるならまた違うだろうが、きょうだいは嫁いだ義姉ひとりだけ。
実家には口出しはしない。
実家からもらうばかりで、お金は出さないから当然だ。

舅のきょうだいたちは、それぞれ独立し、出自の実家は次の代になり、直接の柱を失ったおじ、おば一家は疎遠になっていくだろう。
未来に向けての展開に軸足を移すことになる。
子供、孫、、、。
時系列は順々に時と共に過去からスライドされていく。
過去を遡る親戚、先祖はピアノ線のごとく細く強く一本だけ残ればよいと考える。
物証もさることながら、家屋やモノが語る過去から現在に至る推移を、こころの中で自然なかたちで培っていけばよい。



モノとの関わり

2021-06-17 | 
久々ぶりに、gooのアピールチャンスが訪れた。
スカ〜ンと空振り、爽快。
皆さん、関心なし。
田舎の空き家問題は結構、社会問題化しているのだが、関係ない層と関係ある層に、ニ極化しているように感じる。

祐さんのご実家も似たようなモノ溢れ傾向ですか。
世代交代の時に、一気に処分するケースが多い。
行政のゴミ処理場にトラック数台、ゴミ袋数十袋、持ち込んだ話も身近(身内=姉二人)に聞く。
ちなみに、我が家のご近所さんたちは、今、スクラップ アンド ビルドの風が吹いている。
売買され、解体されたり、更地になったり、新築したり。
人流、経済の活性化。
新旧交代時期か?

今は、ブルドーザーで一斉に壊せない。
家屋の中を空っぽにして、壊す前にゴミ仕分けをしなければならない。
ここ数週間、うちの筋向かいの家を壊して更地にする時がそうだった。
てっきりリフォームするのだと思うぐらい、何段階にも分けてモノを整理、片付け、処分しておられた。
ガレージには家から運び出されたモノが埋め尽くされ、家の前の道にもモノが積まれていた。
先ずは、モノを仕分けして出す。
畳の一枚一枚も綺麗にキチンと重ねて積み上げていた。(これは解体業者)
木の一本一本も、岩の一つ一つも。
重機だけではなく、人力で鍬で掘ったり鋤いたりもしていた。
家を壊し更地にするのに、ずいぶん手間暇がかかっていた。
(目の前なので、毎日、ウォッチング)

ゴミ分別が厳しくなっている。
それがめんどくさい人は、お任せするなら、遺品整理業者に丸投げすると楽だ。
廃棄する前に、何段階か、業者にチェックしてもらう。
まずは一番目には、金目のものがあるかないか。
業者に見てもらう前に、現金や金(ゴールド)をはじめ、美術品や宝石など、明らかに換金できるものは先に自分で保管する。
換金価値のない美術品もあるが、思い入れがあるかどうか。
骨董品や古美術も。
次に、古道具や花瓶、置物、小物雑貨、現代物やレトロ物、、、など、買い手がいるかどうかの品々。
さらに次に、中古品としてまだ使えるもの。
ピアノは査定してもらい、まだ行けそうなら下取りしてもらう。
そのあとの不要品は、金属、木、陶器、ガラス、ビニール、プラスチック、紙やらに仕分けする。
個人情報や書類はシュレッダーにかける。
ゴミの仕分けも業者に任せると手間要らずだが、究極のプライバシーを任せたくない人もいるだろう。
気にしない人は気にしないが、アルバムが剥き出しで放置され置き去りになっているのを解体現地で見ると、災害で止むを得ずなら仕方ないが、そうでもないとすると、なんだかわたしなら気持ちが荒む。
侘しさを感じる。
自分の身内の後始末は自分でしないと、ゴミとして曝け出されて痛々しいような気になる。
遺骨をそのままにしているような感覚?
まあ、わたしの場合そうなわけで、人それぞれ感じ方や考えは違うので、他の人はどうでもよく、非難も関与もしない。
どうせゴミに出すならゴミ廃棄場での物体としての形は同じだろうけれど、他人任せではなく、一度、遺された家族や近親者、生きている人の手を経由して葬りたい。
モノにも、長年モノと共に暮らしていた人々の息遣いのようなものがあると思うので遺族として供養の気持ちを込めて。

モノに対する愛着は、生きてきた時間に対する労いと、捨てることによる精算で次のステップに移行する。
養分を吸収した後にリセットして新たに出直す。
一瞬でも光を当てて、長い間、お役目ご苦労様と手厚く葬る。
早い話、捨てるってことなんだけど。

話を元に戻す。
あまり親の家とは関係ない人もいる。
だから全く興味がない。
最近ではミニマリストも出現する。
もとから持たない。
常に毎日リセットで宵越しのモノは持ち越さない。
いろいろだ。

ただ、人の生き方、暮らし方を自分とは違うからといって認めないというのは、狭量だと思う。
それぞれのコースがあり、日々、世の中の動きと共に変化している。
世の流れを嘆く人もいるが、変えられない。
急速な濁流に流されないよう、必死で何かにしがみつき、助かる人もいるし、漂流する人もいる。
それが時代の流れというものだ。
抗わないで流れに身を任せると、次の地点に辿り着くようだ。



勝手に人が入って来る

2021-06-15 | 
夫の実家、リフォーム工事が開始した。

ちなみに、階段下収納というものは、本当に地下洞窟のように、何でもかんでも延々と放り込むことが出来る。
照明も廊下しかないので、奥深くまで見えない。
入れた本人(姑)も遠に入れたことも忘れていることだろう。
階段下収納は、キッチンの真横にあり、さらに他の全ての部屋に近い、家の中心に位置している。
なぜ、身近な場所に頻繁に使うものを入れずに、遠くの場所に収納するのか。
次女に話してみたところ、手近な収納場所にはいっぱい詰まってしまい、もう入らないので、遠くの場所に置いているのだろうという、わかりやすい解釈、解答を得て、じつにアタマがすっきりしている。
なるほど、、、。
モノを捨てないので、溢れ出るものを遠くに置き、不便ながらわざわざ取りに通う。
そう言えば、わたしは姑が元気な頃、いちいち遠くの蔵までスパゲッティだのレトルト食品だの、ストック食品を取りに行かされた。
冷凍惣菜は、隣の棟の冷凍庫に。わざわざ感ありありで。
蔵には食品をはじめ、衣類やリネン類、食器、本、日用品、贈答品、その他、ありとあらゆるモノが入っていた。
もし、あの蔵のなかを整理しろと言われたら、わたしはおヒマをいただき、実家に帰らせていただきます。

まあそれはよい。
なにしろ、使わないものを階段下にギッシリ詰め込んであったわけで。
その空間の広さ、容量の大きさに改めて驚いた。
突っ込んでも突っ込んでも突っ込んでも、どんどん突っ込めて、それを繰り返していたら、やがて手前までモノが押し寄せ迫って来たというかんじ。
階段下、奥深くまで、身体が入らないし、暗くて見えない。
トンネル工事人か、炭鉱掘りの気分。
ガス爆発や土砂崩れが起きないだけマシか。

わたしが帰る時に出て来ていた最後の丸い容器らしきものと、紙の小箱が気になった。
中身を確認できていないので、後ろ髪を引かれる。
ひょっとして、すごく良いモノかも?
捨てるにしても、何であるかを確認しないと気がかりだ。
おっと、物欲の塊りが顔を出したようだ。
いかんいかん。顔を左右に振る。
しかし、アタマの隅っこに、きっとリフォーム業者さんがお取り置きしてくれているに違いない、と淡い期待を抱いている。
別の場所に保管してくれたなら上出来だが、甘い、、、家屋脇の廃棄用のモノが積まれた場所に持っていかれ、ゴミの山に埋もれた可能性はある。

半世紀近く暮らしてきた時間の物証である大量の生活品(ゴミ)の中に、オヤ!と、わたしの琴線に触れるものが稀にあり、蚤の市、大規模フリーマーケットに売られているモノを物色する気分になっている。


と、それはそれとして。
リフォーム後にごろんと横になる、気持ち良さげな家具の大販売会がネットで紹介されていた。
ネットでの販売ではなく、現地販売会。
家具は現物を見ないと、大きさや雰囲気がわからないからわたしは買えない。
脳内で素敵な快適なソファに身を沈め、リラックスしている自分を想像したが、3秒で脳内劇場はさっと幕を閉じた。
アタマに描く次に続くシーン。
ごろんとなっているところに、ご近所の方々。
勝手に入ってくる。
跳ね起きる自分。
人のプライベート空間などお構いなしに、人が侵入してくる。
わたしが、あのリフォームの里には絶対に住めない難儀な理由はそこにある。
わたしはフレンドリーではなく、開けっ広げではないので、人が勝手に敷地内に入って来る風土、風習、習慣には適応できない。
自分の城を確保した上で、たまに行くなら良いが。
好むと好まざるにかかわらず、人の目にさらされるのは苦痛だ。
隣の住民が誰かもお互いに知らず、孤独死しても異臭でやっと気づかれるなんていうのも困るが。
と、いつも両極端の例を出して顰蹙(ひんしゅく)を買う。
が、勝手に人が入ってくることで、精神的デメリットだけではなく、事故や事件を未然に防げる可能性もある。
神経質な人はセキュリティシステムを充備し、専属の人を雇うだろうが、人選も何かと問題を含むことがある。
マンパワーは、一方的にお願いし、依頼、頼るにも、信頼関係を築くのは一足飛びには出来ず簡単なことではない。


話は戻るが、
開放的な空気が肌に合わない、身に馴染まない。
バカンスにリゾート地を訪れて解放感に浸るのは大変爽快だが、毎日が自宅公開解放というのはわたしの特性としてはノーサンキューだ。遠慮したい。

リフォームの里の近隣の人で、同敷地内に親が子供夫婦に家を建てたところ、新妻さんは中から鍵をかけているという情報が姑のところまで流れてきていた。
鍵をかけたら、非難されるのか、、、。

姑は元気な頃、昼寝したりする時は玄関の鍵をかけていた。
それでも用事がある人は裏に回ってくる。
晩年は、玄関が閉まっていると裏に回ってくる人もいなくなったようだが。

交際好きな姑だったが、さすがに晩年は疲れてきたようだ。
ご近所や親戚にはいたって良い評判を得ていた。
わたしなら、そうならないだろう。
が、良い評価を得たいために、自分を押し殺すのは、わたしはしたくない。
好きでやっているならよいが。
自分を曲げてまで頑張る気はなし。
風土に合わない人間だ、、、と思われているかも知れない。
そういう風土が嫌な人はその地から出て行っている。
良いと思う人だけがやっている。
なので、皆んな同じような感覚、考えの人がより集まり残り、掻き乱されることはない。
それが嫌な人は、その地に住んでいない。
意思表示である。
江戸時代の封建社会ではないから、住所は自由に決めることが出来る。
土地の人は、住んでいない人のことは仲間外れにしているが、当たり前。
仲間に入りたくないから、出て行っているのだから。

わたしには閉ざされた人だけでコミュニティを形成する田舎暮らしは無理。
定年後、田舎暮らしに憧れる元都会人がいて移住するものの、人付き合いの難しさでギブアップする人もいる。
郷にいれば郷に従え、、、だが、新天地には従いきれない郷もある。
わたしは元々田舎の出身であるが、田舎とて時代の波を無視した地は若い人が定着できず自滅する恐れがある。

まあそういう距離感で接しているが、拒絶感を無言で放っている。
だが、地域のカラーは無視できない。
あの地を敬遠する理由はそれだけではないが。
もっと違う根因があると自己分析する。

歳がいったらあの地も悪くないと思ったが、考え方一つで、ころっと暮らし方も変わる。
改良、改善する手もある。
もっともっと歳がいくと考えも変わるかも知れないが、その時は人様(専従スタッフ)のお世話になる高齢者施設に入っているだろう。
その時は軸足は一つ。
好きなようにシフトできないので、覚悟しなければならない。


いよいよ時間切れ

2021-06-14 | 
今、リフォームの里から帰りの電車内。
書き始めたのが遅かったため、あんまりちゃんとブログ更新できないかも。
と、先ずは言い訳。
言い訳人生。

さて、昨日に続き、リフォーム準備、ラストスパート。
今日は朝5時に自宅を出発した。
が、孫たちのお守りが午後に入り、早めに帰宅。
忙しないが、致し方ない。
所詮、ばあちゃん業と二足の草鞋。

しかしまあ、、、
夫の実家。
ドラえもんの四次元ポケットのように、小さな空間から出るわ出るわ、モノモノモノ。
最後の最後にまだ手を付けていない場所が出てきて、悲鳴をあげる。
助けて〜。堪忍。許してください〜。
ほんとうに叫びたい気持ちになった。

なぜ、あんな小さな空間にモノがぎゅっと詰まっているのか。
マジシャン?
モノを空間から取り出しただけでも、もう精神的に参っている。

姑、半世紀近くも暮らしていると掘り起こさず詰め込む一方になるんだろう。
毎日毎日の日常に追われ、暮らしに余裕がないんだろう。
姑が元気な頃は、遠く離れた蔵にいちいち食品を取りに行っていたが、あれはなんだったのか?
身近に良く使うものを置かず、めったに使わないモノに囲まれて暮らす。
人のことは言えないが。
人の振り見て我が振り直せ、とはよく言ったものだ。
他人の暮らしていた家のリフォームはもうコリゴリだ。

昨日は日曜日で夫と一緒に、今日のリフォームスタート日に備えたが、夫はなかなかやりたがらない。
腰が重い。
タイムリミットを迎えている時だというのに、何も今しなくてもいいような、どうでもいいことに時間を費やす。
時間切れになっても後はわたしに丸投げする気、見え見え。
リフォーム開始前日になる昨日、リフォーム前の今を記憶に留めようと娘一家も遠方から顔を見せたが、遊びに来ただけで、邪魔になるだけ。
しかも、3番目孫のお誕生日なのでウチでのお誕生日会を控え、まだかまだかと帰る時間を急かす。
居ないほうがすっと仕事が進む。

まさにすったもんだの狂想曲。
当日にまで持ち越した、処理しきれていない遅刻の品々と最後の直前まで格闘することになった。
リフォーム好きの人の気持ちがわからない、もうごめんです、、、となった。
が、不要なモノを捨てる勢いがついたので、自分の家もついでにミニ断捨離の風が吹きそうだ。
、、、となれば、良いのだが、、、。



遺品整理人

2021-06-09 | 
モノ。
遺品整理業者の折込チラシが最近よくポスティングされている。
需要があるからだろう。

今日もリフォームの里(夫の実家)に向かう電車の中。
行きの乗車時間内でのブログ更新をマイルールと勝手に決める。
わたしが、遺品整理をする時のポイント。
自分の琴線に触れるかどうか。
金銭目当ての泥棒になった気分でチェックする。
お眼鏡に適ったモノは、自分の家に持ち帰る。
ごくごくたまに、滅多にないのだが、夫と奪い合いになることがある。
夫の大好きなメーカーのボールペン。
気づきにくいところに保管していたのに、目ざとく見つけられた。
わたしが発見したのだから、鳶に油揚げはあげない。
何かの折に、何か魂胆があり、自分の権利を行使する時の手段の一つに使う。
策略ツールに取っておく。
優位に進める時のご機嫌を取るモノ、隠し球として、勿体をつけて、即、あげない。
孫にあげる、食品庫にこっそり隠している飴みたいなものだ。
(最近では、勝手に持ち出す、太々しい孫連合。ちっとも威力を行使できない)
孫たちへの飴レベルなので、たいした期待もしていないが。

遺品整理業は、意外に儲かるかも知れないと思った。
ちょっとしたところに、金品が挟み込んであったりする。
マネー、紙幣、お金である。
今日の日当になった、と、喜んだ日もあったが、最初の一日だけで、あとは、とんと金目のものにはお目にかかれない。
結局は、交通費と労力の全日程分を考えると足が出る。
まあよい。サプライズの付録だ。

遺品というとなんだか生々しいが、わたしも一緒に暮らしていた時期もあり、自分の遺品?も紛れ込んでいる。
子供が小さい頃におじいちゃん、おばあちゃんに書いたミニレターなんかもあり、娘に見せるために持ち帰る。

20年前に亡くなった舅の遺品もいっぱい。
使える切手は良いが、消印の押してあるものや、テレホンカードも未使用はさておき、穴あき使用済みのものもある。
同じ趣味でなければ、コレクションの意味はなさない。
使えそうもない傷んだバッグなどは、悩むことなく簡単に捨てられるが、新古品や綺麗に大切に保管してあるものが、処分するには中途半端で困る。

食器もまあたくさん、あるあるある。
もう、うんざり。
疲れ果てる。
何日にも分けて処理することにした。
こんなにたくさん遺した姑が恨めしくさえ思った。(お金なら嬉しいが)
実はまだ蔵には手付かずの何重にも包装したままの贈答品の品々がたくさんあり、見て見ぬフリをしている。
これらは、まだ新しい昭和のモノ。
昭和時代は冠婚葬祭は現金に加え、モノでやり取りしていた。
お祝いもモノ、お返しもモノ。
どこの家にもモノが溢れ返っていた時代だろう。
やがてお返しはカタログになり、食品やイベントを選ぶことも出来るようになった。
モノからコトへ推移した。

いつまでも推移しないと、どうなるか。
時代に押し流され、押しつぶされ、やがてモノは無くなるとは思うが。
時代をシンボリックに代表するモノを厳選して標本のようにサンプルとして保存するのも悪くないと思う。
ただし、スペースがあり、保存状態が良ければ。
今の生活を脅かすような、全然、共存共栄しないモノとの暮らしは避けるべきだ。

あるお宅。
素晴らしい伝統的日本家屋。
知人が親戚から管理をまかされたものだ。
家主は一生不在で、調度品は一切無し。
処分したか、移動させたのだろう。
西洋人の娘婿が同居していた時期もあったようで、離れに西洋スタイルの水回り、バス、トイレを増築したと見られる。
調度品が全くないから、気楽である。
傷付く心配も、盗られる恐れもない。
あっけらか〜ん。
家屋と庭のみ。

お茶の先生の邸宅だったというそのお宅、生活されていた時は、選び抜かれた調度品が家と調和し、重みを増していたことだろう。
わたしは、そのお宅の玄関や和室などで、今は無き調度品を想像して、目の前の空間に、脳内に調度品を置き、佇まいを楽しんでいた。

そういうモノが無いと、管理する側は、気苦労はない。
生花や掛け軸、お道具類は、壁や床、建具、空間に彩りを添え、趣きを深める。
ただし、空間を生かすも殺すも、たった一つの壺一つにも重大な責任がある。
全く調度品が無いのは、それはそれで、全てから解放されて良い。
禅の世界観に通じるものがある。

ただし、何も無いのが良いからと、庭はコンクリート一辺倒というのはどうかと、、、。
石庭なんていうのもあるが。


時代や様式をごちゃごちゃして、自分の趣味だけで集めて寄せるのも、デパートみたいで良いかも。
が、とてつもなくセンスが悪くなる可能性もある。
ヘアスタイルは、丸刈りかヘッドスキンかで、ティストが変わるように、何にも無いにしても、程度、レベルによって色合いが変わる。

ちなみに、近年は、棺に入れる三途の川の渡り料金まで、紙製の六文銭だから、何だっていいのだ。






モノとの格闘を前に

2021-06-08 | 
新スマホ、感度が良すぎて迷惑、いや困惑している。
別SNS日記にお寄せいただいたコメントに、せっかくお返事を心を込めて書いたのに、指のどこやらが当たって、パー。
露と消えた。
なかなか面白い文章になったと我ながら悦に入っていたのに、また一から入力し直し。
膨らんだ心の風船の熱は下がり、しなしなに萎えていった。
でも、また一から入力する。
温度が下がろうが、雨が降ろうが槍が降ろうが、、、。
それが、わたし。

とは言え、また失敗しないか、ビビりまくり、ヒヤヒヤ。
わたしの指先よ、お願いだからブルブル震えないでおくれ。

ただ今、リフォームの里(夫の実家)へ。行きの電車内である。

今日は別に行かなくてもよい。
解体日は既に決まっているので、満足できないまま、片付けられないまま、ガシャガシャガシャと、直前にダンボールに詰め込むだけの話。
その時間もなければ??
いや、どうにかなるはず。
とは言っても、吟味したところで、ダンボールに詰め込むだけの話。
中身を確認して詰め込むのか、確認せずに詰め込むのかの違いだ。
たぶん、今後、開けることなく、次世代は捨てることだろう。
それなら、先に捨てておいてあげるべき。
そういうモノ、品々が、山のようにある。
モノと時間の経緯、謂れは、先人から、伝説のごとく、言い伝え、申し送り、引き継ぎのように、語り継がれ、伝えられてはいる。

モノも、収納する空間があると、なかなか捨てられないものだ。
がらーんとした空間を次世代は自由にフリーハンドで描くかのように使う?
使わないこともあり得る。
それなら、建物ごと壊したらよいかも。
そして、高さ50センチぐらいの石碑を建てる?
○○跡。
では更地をどうする?
ほっておくと、草ぼうぼう。
買い手はいない。
ただの近所迷惑。

更地にもなっていない、現存の建物を見上げて、さて、これからどうするかなあと思う。
とりあえずは、今、着手にあたるリフォーム。
これに取り掛かる。
その後のことは、このリフォームが終わってから考えよう。

そもそも、リフォームは大々的に何度か節目節目に行われている。
今回の家の隣に建つ、昭和4年築の棟(現名、ちびっ子ハウス。ネーミングはわたし)は、わたしが嫁に来た時は、姑の姑(舅の母親)が住んでいた。
舅の両親が住んでいたのだが、おじいさんが先に亡くなった。
で、おばあさん(姑の姑)が一人で住んでいて、姑が毎日、食事を作って運んでいた。
おばあさんが亡くなると、舅は、ずっと待ち侘びていた、おばあさん宅のリフォームを行った。
それまでにも最低1度はリフォームされている。(たぶん、第二次世界大戦後)
舅がその家をリフォームした後、舅が亡くなってから姑がまたリフォームした。
最低3度はリフォームしている。

今回のリフォームはその家ではなく、母家。
母家は半世紀近く前にそれまでの建っていた家を壊し更地から新築し、一から建て直されている。
わたしは、前の母家のほうが風情があって好きだ。
(建て直した家しか知らないのだが)
まあ趣味の違いだとは思うが、テイストがどうも好きではない。
今回はその半世紀前に建った家の半分をリフォームするが、大規模リフォームになる。

建て直すには気合いと情熱が足りない。
わたしはあまり積極的ではなかったが、姑が亡くなった時は、長女が丁度産休中だったため、コトが動いた。
夫はこれから週に何回かは実家に泊るだろう。

姉の嫁ぎ先と全く同じパターンになった。
両親亡き後、夫を、生まれ育った地方の実家にお返しするコース。
円満に2つの生活を同時パラレル進行。

とまあ、理屈はそうなっているのだが、ここで、4つ目の乗り換え駅。
一旦ここでアップしないと、片付け作業に差し障る。

今日も一日、片付け、頑張らなくっちゃ。


ムカつく憤り噴火話

2021-06-04 | 
どなたが引っ張り出してお読みになった蝶ブログの過去記事「総務部のお仕事」。
今、読み直してみると、当時を振り返る。
なかなか面白い。
自分にウケる。

お葬式は、自分が出られないなら、弔電なりなんなりで代用すべきで、代わりに嫁を使者として使うものではない。
自分が行けないなら、それでいいではないか。
地方議員じゃあるまいし。
顔や名前を売る必要がどこにある?
自分の代わりにお葬式に行ってくれる便利屋でも雇うとよい。

ああ、くだらない、、、と、今、思った。
意味のない総務部のお仕事を不平不満を胸に、よくまあ真面目に言われた通り行く自分も自分だ。


それはそうと、先ほど、姉から電話がかかってきた。
40分の長電話。
LINE電話の電波状態が悪すぎて中断が続き、自然終了するかたちになった。
姉の昔の姑の話になり、地方の古い慣習や封建的な価値観の今との違いが、あまりにもギャップ、開きがあり過ぎて、憤り、怒りを通り越して、驚愕を通り越して、胸が悪くなった。
家の嫁を貰うとはどういうことか?
と、上から目線の姉のお姑さん。
もう他界されているが、今、聞いてもムカつき過ぎて気分が悪くなり嘔吐しそうな勢い。
女性の地位や人権を貶めているのは女性なのではなかろうか。
わたしたちの両親にも迷惑をたっぷりかけ、嫌な思いをさせた、そんな鬼毒姑などとは決裂して、離縁すればよかったのに、と姉に言うと、そんな気はさらさらなかった、とのこと。
離縁しなくて本当によかった、今は幸せだ、とのこと。
なんじゃらほい。
感情移入して真面目に聞いて損した。
まあもう何十年も前のこと、もう何十回と聞いた話なのではあるが。

この世にいない人の悪口を思いっきり言っても、聞かされるほうは、ムシャクシャするだけ。
言うほうは、スッキリするだろうけど。
あ、ブログにもそういう面があるかも知れない。
吐き出す側は良いかも知れないが、吐き出される側は、たまったものではない。
もう遅いかも知れないが。
お読みになった方、、、すみません、、、。

横暴で時代錯誤で無知で、あり得ないほど大嫌いな人(姉の姑)の話を聞いて、久々ぶりに荒んだ気持ちになった。
あの人は良い人だった、とか、面白い人だったとか、そんなプラスの思い出話ならともかく。
マイナス感情を文字化してぶつけても、スカッとしない。
しかし、入力したら居眠りしてしまっていた。
やはり悪口は人を救うのだろうか。


行きは、遠足

2021-05-28 | 
山あいの集落に向かっている。
正確には、山をいくつか超え、山の上なのだが。
途中に見える山々。
自宅から2時間。
徒歩〜バス〜電車〜徒歩。
車なら45分ぐらい?
わたしの運転だと小一時間。
だが、公共交通機関を利用する。
その間は、スマホタイム。
居眠りも出来る。
ただ、服装はワンマイルウエアというわけには行かない。
だが、そう大して変わらない服装。
お出かけが主ではなく、移動のために服装に凝る必要はない。
行き先では軽作業が待っている。

2時間かかる。(車なら小一時間)。
その場所に行く。
これなら、わたしの実家とさほど変わらない。
これは、夫の実家。
3回目の乗り換え駅で、素敵な特徴的な電車が来た。
まるで、旅行気分。

だが、そうも言ってられない。
今から実家で、リフォーム業者と打ち合わせ。
こころが急にどんより曇ってきた。



移り変わり

2021-04-08 | 
嫌〜な話を書く。
爽やかな話や、心温まる話を読みたい人は、ここでストップしてください。
わたしは、人のために無料でサービスしてブログを書くほど、余裕もなく、こころが満たされていないので。

さて、嫌〜な話。
もう10〜15年は軽く経っているだろう。
ご近所のママ友が、一時的に自宅に預かることになった舅さんの愚痴を言う。
舅さんがトイレを汚す。
自分の夫のトイレ始末でも嫌なのに、舅のトイレ後、汚した始末をする嫌さ。
食事の一時間以上前から、じーっと座ってお箸を持って待たれる嫌さ。
嫌で嫌でたまらない、と。

姑さんが病気で入院中に舅さんを預かったらしいが、息子である旦那さんは次男。
長男でもないのに、なぜ次男の家で預からなければならないのか。
ぶーぶーこぼしていた。

やがて間も無く姑さんは亡くなり、本格的に舅さんを引き取ることになった。
どれだけ嫌か。
そうとう彼女が嫌がったせいか、嫌だ嫌だオーラ、ビームが強烈だったせいか、なんと舅さんは、何の持病もないのに、姑さんの亡くなった1ヶ月後に亡くなった。
病名は不明。
わたしはあの時、彼女の怨念、嫌な気持ちが手に取るように舅さんに伝わり、舅さんは、こりゃいかん、とばかりに奥さんの後を追ったのかと感じた。
このキツイ嫁のところに居なければならないなら、なあ、おまえ(亡くなった奥さん)、俺をおまえのいる所に連れて行ってくれ。
そう、祈ったのかも知れない。

すごい力だと、わたしは感心した。
そのママ友は、土地も家も旦那さんの親に買ってもらい、結構なことだと思った。
その代償に旦那さんの両親の世話をしなければならない、、、
無料で良いとこ取りは、ムシがよい。
伏線は覚悟していたかも知れない、、、。
大変だ、、、が、1ヶ月で実にあっけなかった。

そのママ友は、最近、都市部のマンションに家族4人で住まいを移した。 
元々、彼女にしてみると、あまり好きではない和風テイストの家だったし、夫の親に買ってもらった、自分たちで買った土地・家でもないので、さほど愛着も執着もなかったように想像する。

旦那さんのご実家は車で30分〜1時間の地。
ご長男さん一家は、阪神地区に別にお住まい。
家はもう空き家になって久しいだろう。
処分されているかも知れない。

そのママ友も随分前にご両親は他界し、ご兄弟は遥か遠方に住み、実家にも誰もいない。
というか、実家自体、引っ越されているので、元々の地元の人ではないようだ。
そう考えると、実家は転々とする場合も少なくない。
わたしのケースのように、土着的な考えや感覚は古いタイプと思われる。

京阪神屈指の高級住宅地、芦屋、中でも六麓荘の住民も隣人さえ知らないうちに変わっていることがあるし、東京、世田谷区の成城や、松濤なども明治以降のようだし、日本の場合は、住宅地としては都市部より地方のほうが特徴があるように思う。

と話は全く脱線している。
そのママ友は、わたしとは30年以上前からご一緒した、この地から引っ越して出て行った。
熱く子育てを頑張った日々の思い出の一つになっている。
もう一人のママ友も、子供達が全国に散らばって赴任したため、新幹線の駅近くの、皆んなが集合しやすい、交通の便利な地に、残された夫婦2人で引っ越して行った。
ライフワークや、住み手の事情が変わると、住み替えるというわけだ。
リフォームもさることながら、家を郊外の戸建てから駅前にマンションに移すのも、また、県をまたいで地域そのものをごろっと変わるのも、どれを選んでも良く、選択肢は広がる。
家族が集まりやすい、高齢者施設も。

ちなみに、持ち家の買値と売値に幅があり、利益が出るのは嬉しいことだが、土地神話が崩れた日本は、逆の場合が多い。
まして郊外地は高齢化も進み土地値は下落するばかり。
30年、50年、100年、、、移り変わる一方で、かたや、変わらないまま、時が止まったような所もある。
変わるのは顔ぶれ。
継承され世代交替が行われている。
わたしとしては、片足は躍動的な、変化のある地、もう片足は動かない地、軸足を時代の時、時に合わせてバランスを取り、時代遅れではない新しい風、空気を吸いながら、更新していくのが理想だ。

時間が繋がり、話が終わらない

2021-03-29 | 
普通、引っ越しする場合は、前の家を引き上げて、次の住まいに移る。
わたしの親は次々と増やしていって、前の家を処分しなかった。
転々としないが、点々が増える。
だから、実家の実家、みたいな、元々の家が残存する。

祖父は、大正時代に曽祖父に祖父の実家の隣に家を建ててもらい、分家した。
その家で父は生まれた。
ついでに、わたしたちきょうだいも全員、そこで生まれ育った。
父の仕事とわたしたちの学校の都合で、就学前までは村に両足で立っていたが、片方の軸足を残しながら、村から街にもう片方の足を移した。
(その後、次第に軸足はゆっくり街にシフトしていく)

次男だった曽祖父に、曽祖父の親は、自分の家の隣に家を建て分家させたわけだが、曽祖父は、隣に曽祖父の親や長兄一家が住むという構図。
隣家が実家。
一種の細胞分裂である。
隣なので、即、里帰り出来る。
が、嫁に来たわけでもない男性は、里帰りの意味を持たない。
だから「里帰り」とは言わない。
父親や兄貴が目の前に住んでいるのも、厄介かも?
いや、そんなチマチマしたことにとらわれず、世の動きとしては、皆んなで力を合わせて生きていく時代だろう。

明治生まれの祖母は、なんと数百メートル(五百メートル未満?)の数百メートル離れたところから嫁に来た。
近すぎないか?
里帰りは、数分(五分以内)で出来る。
一日に、何度も里帰り出来る。
ただいま〜。おかえり〜。
というか、縁談、近場でマッチング、適当すぎないか?
祖母の実家では、次男は親に隣に家を建ててもらい分家した。
祖母は実家の隣に、甥っ子一家が住む家があり、その家の前を通って実家に帰った。
家父長制なので、直系だけがイエを継ぎ、長男以外は、どんどん枝分かれしていく。
その曽祖父の建てた家、父が晩年の祖母を新たな拠点自宅に引き取って以来、今現在は、恐ろしく維持費のかかる空き家になっている。

かたや、、、
夫の実家の場合は、先祖代々住み続けていた家は建て直されたり修復されたりし、今は、客間としての離れだけが当時のままの姿で現存している。
背が高い人なら頭を低くしないと鴨居をくぐれない。
おもてなしの場として使われていた。
最後に使われたのは、娘婿のご両親を迎えた時。
もう七年?以上も前になる。

新しく昭和4年に建てられた家に、最後は夫の祖父、祖母が住んでいた。
さらに昭和40年代後半頃に夫の父(舅)が、その棟とは別の、古い母屋を壊して新築した。
その家に、舅、姑が、二人で住んでいたが、夫の父の兄弟たち(おじ)一家、夫の父の妹(おば)一家、夫一家(わたしたち)、夫の姉一家が集う。
姑がまだバリバリ元気な頃は、冠婚葬祭の度に、遠くに出て行った義理の親戚たちが実家に家族を引き連れて宿泊した。
てんやわんやの、どっと疲れる状況。
特に、長男の嫁(姑)、次男の嫁、三男の嫁たちの間で熾烈な争い、確執も生まれていた。
わたしのポジションは、序列争いを他人事のように垣間見る、新しい次世代の嫁。
姑にはまだ上に姑がいた時代。
(姑から嫁たちに対しても好き嫌いや、えこひいきは普通にあった)
今は、実家に帰るにもホテルを利用するようになり、お互いの負担が軽減された。
姑の時代の長男の嫁は、それはそれは大変だった。
わたしの実家なら、みんなご近所、徒歩圏内なので、自分の家に泊まる。
人の往き来がない田舎なんだろう。

そもそも、宿泊しなければならないような遠隔地とは縁談が成立しなかった。
交通の便を考えてだろう。
しかし、近場で繰り返される婚姻よりも、ぽーーんと遠く離れたところからの血を取り入れるほうが遺伝子が大胆に混ざるのか、優秀な子供が生まれる率が高いように思う。
ヨーロッパ貴族や皇室なども、婚姻、血縁が近すぎ、血が濃すぎる。
(庶民の話にいきなり、なんなんですが)

そもそも、血は混じるもの。
陸続きなら、すんなり混じるだろうが、日本のように海で隔離された島国は、外からの血を取り入れにくい。
と、話は行ったり来たり。
もう話に着いてきてくれている人は、あの人と、あの人の合計二人だと推測する。

家は住まいだけでなく、喜怒哀楽、人々の暮らしが延々と詰まって継続されている。
リセットするのは断腸の想いの人もいるだろうが、スッキリ爽やか、こころ晴れ晴れ快晴の人もいることだろう。
一つ一つを丁寧に大切に思い起こすのもアリ、ブルトーザーで一気に取り崩すのもアリ。
なんでもあり。
家が現存しなくても、こころの中には残っている。
祖父、祖母、おじ、おば、いとこ、、、いろんな人々の長きにわたる、顔、顔、顔。
家を中心に取り巻いていた登場人物たちである。