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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

いにしえの人々に想いを馳せる

2023-09-22 | 
今朝の涼しさ。
幸せをもらった。
昨夜は集中豪雨(線状降水帯)の地域もあったようだが、異常気象は、人間が人工的に変えられない。
自然の厳しさ、過酷さと、自然の恵み。
自分ではコントロール出来ないだけに、一喜一憂してしまう。
農業人口が多くを占める昔の人が、生活の糧を得る元になる、雨乞いの儀式をしたり、神頼みになる気持ちもわからないでもない。

悪い意味で(不安になって)気になるなら、
堅牢な建物の奥深くに閉じこもっていれば、外の自然に接することもないだろう。
台風や大雨の時は、外の自然の猛威を遮断すれば良い。
竜巻の時は地下へ退避。(アメリカ映画でよく見かける)
地震の時は?
ミサイル攻撃には、核シェルターへ逃げ込む?
いったい、どこにある?

我が家は雨戸さえ無いので、いつも自然と共に生きている。
どの部屋にも窓があるので、逃げ込む部屋もない。
雷、稲光は、最も怖いものの一つ。
押入れに頭から突っ込み隠れるしかない。

異常気象の度に、ビクビクしている。
ゲリラ豪雨では、あっという間に庭が水田になる。
2階のベランダ、排水が心配。
排水量より、雨が降る量のほうが同時進行で多い時、頭の中でシミュレーションして、雨水がベランダ側のガラス窓を押し破るのではないかと、ドキドキひやひやする。
わたしは怖がりである。

逆に、少しでも良い風が、すーっと入ると、幸せ気分に浸れる。

と、朝の気温ひとつで、駄文だらだら。

さて。
わたしは人生が整ってきた感がある。
自分なりの人生。
余計なものや、こころ乱されるもの、憎しみなど、段々なくなっている。減っている。
モノ(物品)としては余計なモノだらけで、断捨離の概念に抵抗して闘っている。
わたしの敵は、断捨離。
一生、目の上のタンコブとして君臨して、わたしを苦しめ続けることだろう。
(こういう自己肯定の仕方もある)

ブログには、感情の吐け口として必死で思いを綴っていた頃があるが、憤慨したり逆上したりしているその時のブログのほうが熱く力があって、面白い。
今は、すーーっと力が抜けて、読む側としては気が抜ける(と思う)。
ツマラナイ。
これも変遷である。


と、ここで話が変わる。
わたしは今、昔の人々と対話している。
夫の実家にある、昔、先祖が暮らしてきた足跡を発見するにつれ、感慨深い。
蔵にある、昔昔のおばあさんの箪笥の中をふと5日前に覗いたところ、日常に使っていたクシや髪飾りなどを見つけて、怖いと思う時もある。
日用品、使い込まれている。
長年、使っていた当人の魂や息吹まで感じる。
辛く苦しい目に遭っていた当時の女性の怨念が篭っていたらどうしよう、、、。
(わたしのブログのように)
断捨離指導者から見ると、1番に捨てるべきものだろう。
断捨離優先順序、1番が100個ぐらい同時に並んでいる。

骨董品、アンティークショップで買ったものや、世界のあちこちで見つけた掘り出し物とは違い、確実にその地、その家で暮らしてきた実在の身元の知れた人々の生きた証拠である。
何年生まれ、何年没、戒名、親、きょうだい、夫婦、子供、孫、、、その中での何時代の誰それ、、、この場所、この家で生まれ育って亡くなった、その証が実際のモノが物語る。

人形やクシなどは、魂が篭っているから、お祓いして処分するのが良いとされる。
人形だけに特化した、人形を供養する神社もある。
針供養するところもあるらしい。
お役目ご苦労様、というものだ。

医学の発展により、昔は多産多死だったが今は寿命は伸び続けている。
過去の一人一人に思いを馳せると、(やんごとなきお姫様とは程遠いが)さながら絵巻き物のようだ。
幼い子供を亡くし、でもその後も家族は生き続ける。
立ち直り、生きる。
時間軸を遡り、過去から現在に繋がっている。

わたしは、血が繋がっていないから、夫の家とは血縁としては関係がない。
が、外から来た血を継ぎ足し、次代を繋ぐ役割りは果たしている。
第一、跡取りをはじめ、大事な子供たちを産んでいる。
嫁達の役割は結構、大きい。
お殿様ならたくさん嫁以外にも子供を産む女性はいるだろうけれど、一般庶民ではそうはいかない。
少なくとも、夫の実家では、同時に複数のお腹からは子供は産まれていなかった。
(ひょっとして表に出ていないだけか?
だが、実証できない。証拠がない)

子供がが生まれなかった場合は、養子を迎えたりして繋ぐ。
夫の実家は、不思議なことに、子供が生まれなかった代はなかったようだ。

今は、墓じまいや仏壇処分も行われる時代。
跡を継がないからといって非難されない。
自由。
煩わしいことや、制限を受けることから逃れる選択が出来る。
宗教を信仰しない自由もある。
価値観も変わる。
強制は出来ない。
各家、各人、個人の自由。
続けたい人は続けて、やめたい人はやめたらよい。
個人を取り巻く事情もあるだろう。
そういうことだ。

わたし個人に関して言えば、先祖の皆さんに関心を寄せている。
皆さんの生き様を想像している。
先祖を大切に大事に思っている割には、日頃の仏様への扱いが超手抜き。
わたしは、彼岸と盆、正月しか、直接、現地で接していない。
バリバリに熱心な仏教信者ではない。(日本人によくいるタイプ)
が、外国でも皆さんも各国、各人、各宗、似たような宗教的な行事が行われている。
俯瞰的に見ると、何教かは、それほど大事ではないように思う。
宗教同士を比べてみても不毛。
ただ、皆さん、家族を大切にしている、その強い思いが伺い知れる。

小さな部屋に置かれる小さな写真や祈りを表すものに、毎日、思いを込める。
それで十分。
祈りに形は関係ない。宗派も。
今の気持ちを伝える。
そうするとなんだか生きる力が還元されるような気になる。

ではあるものの、歴史を紐解くと、宗教の違いは古今東西、紛争の元となっている。


ファミリーヒストリー

2023-08-31 | 
わたし自身のファミリーヒストリーを知るには、親戚のホームページを見るとわかりやすい。
商いのためにWEBホームページを開設している親戚が、さらっと商売沿革を紹介している。
ほんの数行ではあるが。
ホームページの現在の跡取りの顔写真を見ると、先代のお父さんにソックリ。
血は争えないとしみじみ思った。
小さい頃の色白おぼっちゃまの面影は、微塵もなかった。
商い所在地の写真も懐かしい、わたしが子供の頃に知っているまんま。
ホームページも何年か前とは見せ方を変え、リニューアルしてあった。
WEB販売も前々から行われ、今は、インターネットの時代だと痛切に感じる。

しかし、、、わたしはあまり古いことを知らない。
おそらく、家によって伝える内容が違うのではないかと想像する。
立場が変わると見方も変わり、歴史さえ変わってしまう。
どちらの言い分が正しいのか。
大きな声で言った者の勝ちのような現状に、諦めにも似た傍観者のような目で見ている。
しかも言った本人たちは今はあの世。
その話を聞いて育った子供たちは、それぞれに聞かされるストーリーは違うわけで。
まさに諸説あるのだが、当の本人は自分が親や祖父母などから聞き伝えられたことを信じる。
そういうものだ。

昔、昔の争いが尾を引くこともある。
農業が国の基幹産業であった昔(そうとう昔)は、田んぼへの水の権利は死活問題である。
「我田引水」なんていう諺もある。
人口のほとんどを農民が占めていた。
今は食糧自給率がガクンと落ち、輸入に頼っている。
国の政策の影響が大きいが、大丈夫か、日本の将来。
大きな目で見た長いスパンの計画は、国の行方を左右する。
国の舵取りは重い責任がある。
と、話がどんどん俯瞰的になってきた。

えーっと、何だった?
話を元に戻す。 
自分のファミリーヒストリーはあまり知らないということだ。
なぜなら、話を伝える立場の人が、あまり積極的でなかったり、キーマンの不在だろう。
少しぐらいは知っているが、ほんの少しだ。
母方も、知っているが、直に聞いたことは少ない。
今ある事実としては、それまでの歴史を物語っているが。
幼い頃に母の実家に、正月や、葬式や法要で行ったことはある。
母方の祖父母、おじ夫婦、おば夫婦、いとこたちと度々顔を合わせた。
家で執り行われるお葬式も何度も。
今はわたし自身が還暦を過ぎているのだから、上世代はあの世に行っていても何の不思議もない。

実際、わたしが目で見て経験したこと以外は、あまり伝承されていない。
少しだけエピソードはあるものの。
受け手であるわたし自身が、神経を集中させず、あまり注意して見てないこともあるだろう。
それに実家に居た時間より、実家から出てからの時間のほうが2倍近くになっている。
婚家のほうが過ごした時間も内容も濃くなっている。
そして、伝承係の姑が知っていることは全て嫁に伝えようという積極的姿勢のため、たくさんたっぷり見聞きした。
1年間同居していたし、10年ぐらい毎週末、核家族メンバーは、嫁ぎ先の家に泊まっていた。
毎年、盆正月、彼岸は必ず仏祀り。
そりゃあ出るわ出るわ、おしゃべりの源。
空で暗記できるほど。同じ話を何回聞いたことか。
それで覚えられなければ、よほどだ。

だがしかし、まだわからない不明な点もあり、関係者の頭がハッキリしている間に聞いておきたいものだ。
けれど、わたしより若い、しっかりした親戚がいるので心丈夫だが、わたしの頭のほうが心配だ。

ということで、ファミリーヒストリーは、婚家のほうは情報や物証には事欠かない。
ただ、わたしのところで、止まっているのが気がかり。
次の世代がファミリーヒストリーなどに興味を示すのは70歳過ぎないと無理なのではないかと思っている。
興味ないのに無理やりベラベラ喋って押し付けも、聞かされる方はストレスで、話す方は徒労だろう。

今日の記事、いつも長いが、またまた長い、、、。
なかなか終わらない。

神様がいっぱい

2023-08-28 | 
母が言った、わたしのこころに残る言葉。
「世間はいろいろ言うけれど、何もしてくれない」

これには、聞いた当時も今も強烈に響いた。
全くその通り。
世間は言うばかりの一方通行。
どこそこの誰が言っている、と、特定できないのに、世間の声が聞こえてくる。
母は戦中派なので、わたしなんかの平和世代に比べると話にならないぐらい強い。
父も然り。
昔は多産多死だったため、生き残った者は生き残れなかった人の分まで生きる強さがあった。

(蝶ブログにはかつて書いたが)
晩年の母に相談したことがある。
姑Aが信仰心が強く、昔からの仏さんのお守りはもちろんのこと、それだけでは飽き足らず、姑Aの姑B(Bは、Aの一代前の嫁。AとBは、嫁姑の関係。書くとややこしく聞こえる)と相談して神様を家のあちこちに祀っている。
姑Aの姑Bが神様にまつわる体験をして、それを嫁A(わたしの姑)と相談して、2人で新しい神様を祀った。
さらに、姑Aは、姑の姑Bが亡くなった後に、またまた新たに別の神様を祀った。
家の中には既に2つの神様が祀ってあったので、合計4つ。
神様ばっかり、神様連合組合、設立だ。
なんであんなに神様を祀るのか意味不明。
日本中に、水の神様や火の神様、森の神様、木の神様、、、、数えきれないほどの神様がいる。
トイレにも神様がいる(らしい)。
にしても、、、個人の家に祀るのは、外の自然の神様とはまた違う。
そしてさらに、またもう一箇所、姑Aが家の中で拝んでいる場所がある。
わたしにしてみると、「蜂の巣」の感覚。
こんなところに蜂の巣、あんなところにも。
どんどん増えていく、危険な蜂の巣。
本人たちは合意の上で祀り拝んでいるから良いようなものの、なんの宗教心もない、なんのいわれもないわたしにとっては、潰し壊すわけにもいかず、腫れ物に触る思い。
撤去したら祟られそう。
神主さんにお願いしてお祓いしてもらい撤去する選択肢もある。
が、、、神様の使いの地元の神主さんのお祓いは、なんだか効き目が弱そうだ。(神様>神主さん)
拝む人にとっては、後世も祀り続けなければならない人のことは、全く念頭にない。

そこで実母に相談した。
すると実母の答えはシンプルだった。
「俯瞰的に高いところから見て、一つにまとめて『宇宙の神様』というのにしたらどう?」
ナイスアイデアだと思った。

後世の人のことを考えず、どんどん神様を増やす先代、代々の姑たち。
それは、代々、家が続くものと何の疑いも持たず確信していたからだろう。
家制度が崩壊する未来を予測できなかったのは、その時代を、脇目も振らず一生懸命まっしぐらに生きる人にとっては仕方のないことだ。
今のように価値観の多様化の世の中、個人主義など、想像も出来なかっただろう。
時代の流れをお互い責めることは出来ない。

時は移ろい価値観は変わる。
変わらないものもある。

蜂の巣は、行政の担当係に依頼して駆除してもらわず、そっと近寄らず置いておこう。
だが、次の代の人は確実に問題に直面する。
どうするだろう。
蜂の巣付きの家だけでなく、墓もある。
墓じまい、仏壇じまい、実家じまいをする人も出始めている。
ご先祖さんたちは、さぞやビックリすることだろう。
自分たちの居場所がなくなるわけで。
しかし、現世に生きている人がそう実行するのであれば、この世にいないご先祖さんたちは、声を上げようにも上げようがない。
ディズニーのホーンテッドマンションに住むかのように、あの世から声をあげる?

まずは先決として、目の前の予想図。
夫かわたしか、どちらが先にあの世に行くか。
心臓は動いていても、ちゃんとした意思を示せない状態なら、意思決定、実践者としては、いても、いなくても同じだ。
アタマと体が動くうちに、ちょっと席を外してホーンテッドマンションの先祖たちと相談するか?
相談する相手は生きている人?


うちは、娘婿や外孫しかいない現実。
そもそも、この直系男子だけがイエを継ぐという既成現存ルール、今の世に合っているのか。
(養子や養女、夫婦養子など、あの手この手で技を駆使して非存続の危機を乗り切るイエもあるようだが)
わたしが来月、お彼岸にホーンテッドマンションに立ち寄って、聞いてくるか、相談してくるか。
頭が痛い問題ではあるが、生きて行く上での優先順位はかなり低い。
毎日が綱渡りで、それどころではない人もたくさんいる。

が、話を広げすぎると焦点がぼやける。
それはそれとして。
とりあえずは、夫のアタマと体が丈夫なうちは、現状を維持しなければならない。
わたしが諸事情で出来なくても、夫は誰かに依頼して代行してもらうことだろう。
ということは、何もなければあと20年はこのまま。
その後は、、、今のうちから後世の人々と話し合い、方向性を示すべきだろう。
ぴんぴんしている健康な現時点で、自分の葬式の具体的なプランを立てるかのようなことは、まだちょっと切羽詰まってなさ過ぎるが、ある日、突然、そんな日はやって来るかも。
危機管理は必要だ。
が、知らん顔してほったらかしてあの世に滑り込む(問題未処理のまま先送り)という手もある。

しかしまあ、時代は変わる。
特に夫のような、古い価値観を引きずり、微塵も変えようとしない人と一緒にいると、毎日、生きた蜂の巣を抱えて暮らしているような気になる。
夫は絶対に自分を変えることは出来ない。
危険物、取り扱い注意で接するしかない。
残されたお互いの貴重な人生、夫が自分を変えられないと同様に、わたしはわたしの幸せを大事にしたい。


神様はさておき、 
現実問題として、あと何回、お坊さんにお参りに来てもらえばいいのかな。(仏さん)
1年3回✖️20年🟰60回
加えて、数年、数十年に一度の何人かの法要。
毎年、つつがなくお坊さんが来てくれたらそれでよし。
(ちなみに、お坊さんは、わたしと同じ歳。
彼が高齢で来れなくなっても後継息子さんがいる)

こんな問題、全く関係もなければ関わりも興味もない人にとっては、はあ?なんのこと?
である。
お時間取りました。

時代から置き去りの実家エリア

2023-02-27 | 
実家①(田舎)の仏壇を移動した。
姉と姪が実践者で、わたしは見守るだけのナマケモノ。
移動先は実家②(街)。
①と②の距離は10キロ。
バスで30分?
(行政区分では別の市町村)
実家①(田舎)は、ルーツの家。
実家②(街)は、両親の仕事場だった所。

だが、行政から見捨てられた感のある実家①地域は、公共交通手段であるバスが、朝夕のみで著しく不便。
わたしは、子供の頃、①と②の間を通学のため、バスで往復していた。
その頃には30分に1本、バスの便はあった。
今は、なんと1日2本のみ。
どういうこと???
プンプンプンプン。
切り捨てられた思い。置き去り地域。
車が無い人は、歩くか自転車?
あるいはタクシーに乗れと?
片道7000円〜8000円?ぐらいかかるのに?
雨嵐でもないのに?
重い荷物を運ぶわけでもないのに?
病気でもないのに?
そんなに元気なら、健康のため、歩けと?
いえ、遠方から来るので時間がない。

私は自分が住む自宅の最寄り駅(電車)から実家②(街)まで、乗り継ぎがうまくいくと、電車で片道1時間半ぐらいかかる。
さらに最寄り駅から自宅までバスと徒歩。
バスも少ない時間帯もある。
さらにバスが時刻表通りに来ないこともあり、ギリギリの場合は余裕を持って(バス時刻を信用していないので)一本早いバスに乗ったりもする。
すると乗り継ぎ待ち時間は益々増える。

実家②(街)へは自宅から2時間もかかるため、実家②(街)発、実家①(田舎)行きの朝のバスには間に合わない。
真剣に本気で乗ろうとすると朝日も上がらない暗いうちから自宅を出る羽目になる。
まるで冠婚葬祭当日か、非常時。
自由意思でちょっと行くだけに、そこまでして負担を強いられるのであれば、行く気がしない。
無理をしないのがわたしのモットー。

しかたなく、別の電車路線を延々と乗り継ぎ、行きは、降りた駅からはタクシーで実家①(田舎)へ。
帰りは①(田舎)発、②(街)行きの1日2本だけの夕方の貴重なバスに乗る。
一旦②(街)に出ると、電車の便はすこぶる良い。
目と鼻の先の便利な駅なのに、そこへ公共交通手段がないため辿り着けない。
JR、私鉄、特急、急行、快速も止まる主要駅で、とても便利。
実家②(街)は、家から電車のプラットフォームが見える駅から徒歩2分の至便の場所にある。
のではあるが、②(街)と①(田舎)が繋がらない。朝夕、バス2本のみ。
便利なのに、不便。この格差!!

そもそも、わたしが車の免許を取ったのが、この不便さからである。
目の前にある便利な駅に簡単には行けない、背に腹はかえられぬ、不便なもどかしさ。
でも当時はまだ30分に1本、バスはあった。
バス会社はなぜ、こんな仕打ちをするのか??

原因はある。
行政のテコ入れ。
実家①(田舎)近くでは、
大規模住宅地開発が行われ、駅、商業施設、文化施設、ホテルを中心に、学校、高層住宅、一戸建てを配した。
人々の足は、新しい駅に集まるように流れが作られた。

古くからの住民は②(街)に行けない。
新しい駅に行く流れが強く促される。
行こう思えば行けるが、1日2本のみのバス。
しかも行きも帰りも新しい駅を経由、迂回するコース。
新しい駅を作り、そこへ流れを誘導すると、街②自体も廃れてくるかも知れない。
新しい駅は延長された電車の路線に繋がれている。
新しいベッドタウンの創成なのではあるが。
わたしの感想では、期待ほど、そう大きな成功、発展をもたらしていない気がする。
土地神話が崩れバブルが弾け、ニュータウンは予想ほど伸びなかったように思う。

ではあるものの、極端な流れの変化、、、だと嘆くところではあるが、もう半世紀近くの年月が経っている。
さらにもっと前から、山が切り崩されている時から地元の村から開発される様子を眺めていた。
のどかな田園地帯に突如現れる聳え立つマンション群に、未来都市のイメージを抱いた。

わたしが、浦島太郎なのか。
だが、取り残された古来からの地域は江戸時代のまま。
いまだにカチンコチンの古い慣わしや制度でがんじがらめ。
これ、おかしくない?
更に取り残されて塩漬け地域となる。
古い頭の住民が絶滅したら、新しい柔軟性のある未来が描ける、、、と、こっそり期待していたら、、、若い人も古い頭の親の教えを守り継承しそうだ。
いつまで経っても古い地域は世代交代の後も塩漬けか。
若い人も一掃され、全く他人が運営するのであれば、少しは変わるだろうけれど、若い人が一掃されても、更にその次の世代が古いままだと、江戸時代然は続くことだろう。
行政は新規移住者を受け付けない屈強な仕組みを作っている。
閉ざされたエリア。閉鎖的。

「江戸時代村」のようなテーマパークなら良いが、中身が江戸時代そのまんまというのではシャレにならない。

なので、仏壇を移したのに、移した先の実家②(街)とは交通遮断。
またまた不便な目に遭う。
不便な実家①(田舎)に行くのが大変なせいもあり、仏壇も実家②(街)に移したのはよいが、益々実家①には行きにくくなった。
実家②(街)は事務局のような交流拠点となったが、実家①(田舎)は、もはや形骸化した容れ物だけになった。
というか、半世紀前と同じなのだが。
そもそも半世紀前が、江戸時代と同じ。
時間が止まったエリアは、ある意味それはそれで希少価値?
人が去っていく魅力のない限界集落は滅びていく。
本当の意味の「限界集落」ではないが、文化的限界集落。
家屋は朽ち果て、、、ということはなく家々は美しく整えられているが、農業継承者は減少の一途。
街からたった10キロのエリアなのに。
活かすも殺すも次世代次第か?
が、政策の影響は大きい。

かといって、未知の外国の人がズカズカ入って荒らされるのは見るに耐えない。
でも、あれも嫌、これも嫌では、衰退するのを手をこまねいて見ているだけになりそうだ。
明るい日本の未来が来ることを切に願う。

※写真は大阪城公園の梅



毎日マンデー

2023-02-23 | 
自分の自由時間をいかに使うか。
楽しく、有意義なら理想的。
仕事がハードで、ただただ心身を休めるだけの人もいる。
退屈で、やることがない人もいる。
年齢、状況によって異なる。

やりたいことがあるのに各々の事情で出来ない人もいる。
やりたいことを先送りして、とりあえず今しなければならないことをするしかない。
それが先の、将来の、やりたいことのためなら我慢も出来るだろう。
だが、今だけを生き繋ぐためなら虚しいと想像する。
やはり、明るい希望や未来に繋がらなければ絶望する。

ちなみに、わたしはヒマしている。
これは退屈とも取れるが、やるべきことをするために力を蓄えている、と、プラス思考の自己解釈。
人生には待ち時間が長い。
やるべきことは、ほんの一瞬。
そのために計画、準備したり努力したりする。
その、やるべきことこそ、「希望」や「使命」なんだろう。

やるべきことと、やりたいことが一致するのは不可能だとしても、接近していれば理想だ。
今、わたしは、長年、抱えていた塩漬け問題に少し動きが出ている。
胎動、予兆の時期は過ぎ、動き出している。


話は変わる。
「おひさま」(井上真央 主演)という、2011年、NHK朝ドラがあった。
同時、わたしは一生懸命朝ドラを観ていた。
「ゲゲゲの女房」「カーネーション」「梅ちゃん先生」「純と愛」だとか。
そういう時期があったのだが、一度見始めるとずっと続けて見なければならなくなり、時間拘束、精神的束縛が窮屈になってやめた。
あの頃は若かった。
パリ一人旅を実現させた頃だった。
自分史において(大袈裟)、一つの転換期だったようだ。

相変わらず話は逸れている。
そのドラマ「おひさま」のストーリーでヒロインが、今までイメージだけで薄ぼんやりしていて、はっきり具体的な中身がつかめなかったが、ある程度固まり凝縮されて、徐々に形になっていった、「やりたかったこと」が最後に実現できて、それでドラマは終了した。
蕎麦を栽培して蕎麦店を経営するのだけれど。
ドラマ展開としては、お蕎麦屋さんに向けて頑張るのではなく、最後の最後に、ドラマ作家が流れでそういう筋書き展開にした、というような印象だった。
書いているうちに、筆が導いたパターンだとわたしは感じた。
最初にラストを考えて、そこから物語を作っていくパターンもあるが、そういうハッキリしたものはあまり感じなかった。
ラストに来る夢実現の具体的中身はなんでもよかったような気がした。
作者は書きながら考えたのではなかろうか。

形に表すにも、あんな感じ、あれとこれを加えて、、、と、概念やイメージだけは湧くのだが、具体的に思いつかないことがある。
全部合わせて統合した最終インスピレーションが湧かないのだ。
仕方ないから、とりあえず結論は空白のままにしたまま進める。

わたしの自宅、家作りの時にもそういうことがあった。
ロフトに上がる階段、兼、収納、兼、ディスプレイが、インテリアコーティネーターの提案したいイメージが具体的な形にならず、結局、時間切れになり、その時点で可能な方法が採択された。
イメージが膨らむもののアイデアを実際の形に落とし込むには時間切れ。
最善策は欠番にして、とりあえず次善策でGo。
人生にもそういうことがある。

もやもや頭に浮かぶものの、具体的な形にならない。
最後の最後まで具体化されないこともある。
思いはあっても形に出来ない。
自分だけの力では出来ない。

母も人生の後半はそうだった。
やりたいことがあり、こんなことがしたい、と、実際、他の人がやっている所にわたしたち(兄夫婦、姉、わたし)を連れて行き、運営者と会談した。
が、それは母のやりたい最終イメージだけ。
具体的に実現するには、情熱とノウハウと人材、事業計画が必要だ。
ブレーンが尽力してくれないと物事は善意や趣味だけでは進まない。
他にも、強く希望することがあったが、実現出来なかった。
母は断念せざるを得なかったが、保留という形。
望むのは母だけでなく、わたしたちも望んでいて理想はそうだが、状況的に皆んな尻込みして困難だった。
時代の背景、価値観もあった。

時は移り、、、40年近く過ぎ、少し形はちがうものの、種は腐っていなかったようで、土もそのままの状態だった。
母にバトンタッチした姉が形を整えるべく、引き続き活動してくれた。
小学校の校庭に埋めたタイムカプセルか?
ひょんなことで、神様が、人を繋いで来てくれることがある。
時代が変わると国や行政の方針にも変化が現れる。
しかし、今後、どうなっていくのか。
楽しみ半分、期待し過ぎはセーブしたい気持ちも半分。
一個人の動きだけではなく、日本、地方の未来にもリンクしているように思う。
地方活性化で次世代がイキイキ活動してくれることを切に願う。


あれこれ活動のため、毎日サンデーの趣味仲間に、練習日の変更予告をしたら、
「やることがあってイイネ」と言われた。

※蛇足ですが、タイトルは「毎日マンデー」にしました。
入力ミスだと思われてもナンなんで。



彼岸に想う

2022-09-23 | 
彼岸。
今朝、お坊さんが来た。
朝早くからわたしはスタンバイ。

お坊さんは予定より更に早く来たため、待ち時間は減ったものの、お坊さんが帰った、その後の時間が余った。
で、家を探索。
古いくたびれた蔵の中で、面白いモノを見つけた。
世界地図。
幅150センチぐらい?高さ120センチぐらいの、紙製の地図の巻物。
一見、ボロっちいが、中を開いてみると立派に表装され、しっかりした芯に、くるくる巻かれていた。
ツイドという国名を見つけたが、こんな国あった?
よくよく見ると、ドイツだった。
中国は別の名前になっていた。
日本は、赤い色で示され、北は、今はロシア領になっている場所が連なり、南北朝鮮も、台湾も赤くなっていた。
暗い場所で見たし、わたしの視力はかなり悪いので、あんまり良くわからなかった。
いったい、いつの地図?
そういえば「日本」も、日本らしいけれどちょっと違う漢字が付いていたような気がする。
大日本帝国、だとか、そんな長々しい名前ではなく、もう少し短くすっきりしたような。
今度行って時間と余裕があればまたチェックしてみよう。
夫の祖父の名前が描かれたクワ(農具)と一緒に入り口扉すぐの壁に無造作に立てかけてあったところが、クワと世界地図がミスマッチでいかにも気合いが入らず面白い。

庭の古い古い松の木が、半分枯れているらしく、出入りの造園屋さんによって処置のため、ばさっと半分切り落とされていた。
まるで身体の半分が無くなったような、足が片方切り落とされたかのごとく、断面が剥き出しにされ、痛々しかった。
半分しかない不自然な姿の松だが、倒れず灯籠に寄りかかるようにして立っていた。
あの木を見てわたしは思った。
今月初旬に見た時は、切られた断面がペンキみたいにベタっとした赤茶色で、何ごとかと思ったが、はっきり見なかった。
無惨な姿を曝け出しているような気はしたものの、ちゃんと見ていなかった。
今日はしっかり見た。

半分腐ったが、半分は生きている。
残りの半分を生かすために、半分を切り落とした。
やむを得ない。
よくよく見ると、苔むした古い幹の中から小さな赤ちゃん枝がちょこっと、ぴょこっと生えていた。
見た目は、すごく変でアンバランス。
こだわりある庭師なら美的に耐えられないかも知れない。
身体は半分斜めにバッサリ切り落とされ重心が移動しているが、仲間の灯籠に支えられてどうにか、もっている。

あの松の木、切られた直ぐ後に見た時は、痛々しい無残な姿に驚いた。
が、今日はまた別の感覚が芽生えた。
あの松を半分腐らせてしまったのは、わたしかも知れない。
バランスよく調和を保ち、長年そこに生き続けているものを、わたしは自分だけの志向でおざなりにした。
長く生き続けてきた証を粗末に扱い、過去の人々の営みにリスペクトもせず、
後は知らない!と言わんがばかり。
でも、ブサイクな、傷口を剥き出しにしながら、松の木は残存している周りと協力し合って、支え合っていた。

確か、姑の代にも庭の別の松の木(だったか?)が枯れて、ごっそり撤去したように記憶している。
わたしの代は、半分だけ残すことにより、誰が見ても異常を感じるカッコ悪い(松の)姿をさらして警鐘を鳴らしているのかも知れない。
あんな姿になっても松はまだ生きている。
しかし、鑑賞用としては、見た目は相当悪くなっている。
あれも生きた歴史の一つかも。
あの木は、あの場所にいったい何年生きているのだろう。
100年?200年?
政変や戦争なども挟み、産業や暮らしは大きく変わった。
さらに地球温暖化や気候変動など、最近の地球は昔とは違う。
何も一個人のわたしのせいではなく、長年積もり積もった変動に、松が悲鳴を上げたのかも知れない。

斜め半分をばさっと切られた松に聞いてみたい。
どうしたの?と。
が、もしわたしに、どっと非難が集中したら背負いきれないので、ここは一方的に眺めるだけにしよう。





じいちゃんは、山へ

2022-02-07 | 
「ぽつんと一軒家」
これも好きなテレビ番組の一つ。
昨夜、見たものは、ちょっと唸ってしまった。
今の社会の断面を見たような思いがした。

まず、わたしと共通点がいくつもある。
1番の共通点は、世代、年齢である。
取材対象者の方のほうが、ちょっとだけ歳上ではあるが。
大まかにくくれば、あんなかんじ。

親が守っていた一軒家を次世代の自分がバトンタッチして守る。
昨日の番組の人は、お姉さんと週に日替わり交代で住んで守っておられた。
お姉さんといっても81歳。
弟さんは、71歳。
この人、まだ現役でサラリーマンで、同じ会社に勤続半世紀。
今の場所よりまだ奥に家があったが、不便なので手前にお父さんが建て直した家は、築80?(90?)年。
71歳のこの方、五代目ぐらいかな?と、仰っていた。
お姉さんはご夫婦で麓の家から通っておられたが、ご主人は86?歳になられ、畑仕事も体力的にきつくなり、そろそろ通いは卒業したいとのこと。

そうなると現役弟さんは、その山奥の家から会社に通うことになるとか。
今は金土日月は、弟さん、火水木は妹さんご夫婦。
土日だけだったのが、コロナ禍でリモートワークが認められて金、月が追加されたらしい。
生まれ育った家、山。

背筋のしゃんとした、動きもキビキビの弟さんは、歳を感じさせない。
あんなカッコいい人、独身なのかなあ、、、と思いきや、麓の自宅には奥さん、娘さん一家と住んでおられた。
娘さんには小さいお孫さんが三人。
今時の親は、娘さん一家と住むのがトラブルがない。
お婿さん(サザエさん家ではマスオさん)と同居。
お嫁さんではない。が、実質、男性のお嫁さん。

たぶん、、、わたしが想像するには、、、
あくまでも想像の域を出ない、勝手な想像に過ぎないが、、、

じいちゃん、仕事も実家も大変だから気をつけてね、と奥さんをはじめ家族も労るものの、もう両親のいない夫の実家に、奥さんは付いて行かない。
夫の心身を労うのみ。
若い娘夫婦や孫と一緒に麓で暮らしても、大黒柱の地位はもはやない。
大人しい優しいイクメンお婿さんや、可愛い盛りのお孫さん、、、そこに家事をしないおじいちゃんの出る幕はない。
おじいちゃんは、実家の家や山を守る、大事な役目がある。
一人で行ってきてね〜、こっちはまだ孫も小さいから、おばあちゃんの手が必要。
おじいちゃんに、付いて行きたくても行けないわぁ〜。
皆さん、ウィンウィン。
この例にそっくりな家を身近にいくつも見知っている。

ある家では、娘一家との同居や孫守がなくても、おじいちゃんの実家を守る役目を夫に託している。
この奥さんは、わたしがよく知る人物。
大義名分は、最初は妻は仕事!
だから夫の実家に付いていけない。
妻が仕事を辞めて、次の第二の仕事場が、夫の実家に近くになってしまった今も、そして、子供なんかとーーっくに独立して出て行っている今も、夫と妻は別々に暮らしている。
時々、合流している。
仲良し協力体制。

夫は夫の実家へ。
実家で後継ぎとしての男の役割がある。
妻は自分の家で子供や孫を育てる。
2つにコースが分かれる。
もちろん、喜んで奥さんが付いていくこともあるだろう。
行きたいのに健康的理由で行けなくて悔しい思いをしている人もいるだろう。
奥さんの実家に奥さんが家を守りに行き、夫が付いていく場合も、付いて行かない場合もあるだろう。
価値観や、状況は、人それぞれで、一つの型に入れて決めつけられない。
(※介護が終了した例になっている)


ちなみに、、、
ひと昔前に、定年後、東南アジアなど日本より物価の安い地に夫婦で移住することが話題を呼んだ。
妻たちは、現地を引き上げてしまったという、その後の話も聞こえてくる。
最初に付いて行かないという選択肢もある。
日本国内でも田舎暮らしに憧れて、定年後移住するものの、閉ざされた地域での住民と仲良く暮らすのはかなりの努力を要する。
高齢になれば、医療機関と遠くに立地する場所では持病に見舞われたりすると、不便であるし緊急事態に対応できない。
リタイア後の、若い高齢者は元気いっぱい、夢いっぱいだが、90歳に近くなると体力的にキツイ。

ある親戚は、都会から離れた別荘に通っていたが、もう無理のようだ。
子供が小さい頃は一家で通い滞在していた時期もあっただろうが、定年を迎える年齢になる息子たちも、両親が手に入れた別荘をあまり喜んでいるようには見えない。
負の遺産か。

親の思い入れは子供に伝わっていないことがある。
情熱がない。
負の遺産ははやく処分したいことだろう。
「ぽつんと一軒家」のおじいちゃんが最後まで頑張って守ってきた山の家も、おそらく今のおじいちゃんが体力、気力が尽きるとそれで終わりだろう。
殊勝な奇特な孫が現れて、わたしが後は維持します!とでも手を挙げない限り。

街に暮らす、核家族の人なら、別に受け継ぐものもなく(負の遺産も、正の遺産も)、自由に心身が解放される。
好きなように生きられる。縛りがない。
健康が許す限り、黄金時間を堪能して味わい尽くしてほしいものだ。
大金がなくても、こころは自由。
山歩きをするなり、行政サービスを利用するなり、そんなに大金は要らないと思う。
健康と、マインド!
ただし、健康に翳りが見え始めると、こころも弱る。

今はまだ大丈夫なので、弱ってから考えよう、っていうのは、後手に回り過ぎか?
今から考えて準備することが生き甲斐だったりして、、、(健康オタクのように)。
幸か不幸か、わたしはそういうタイプではない。
なるようにしかならない。
なるようになる。



つわものどもが夢の跡

2022-01-17 | 
さて、さて。
閲覧数は、まあまた落ち着きを見せている。
美女は、ちょっと顔を出し、またどこかに去って行った。
「仕事せ〜よ〜」と笑顔で言い残して。
美女に言われなくても、仕事、したくなったらします。
ほっといて〜。

年末年始を過ごした、夫の実家を短時間、覗いた。
集合場所が夫の実家だったため、わたしは2時間かけて、えっちらほっちら向かった。
夫を待つこと1時間。
その間に、実家のあちこちをチェックして回った。
年末年始に出た、プラゴミや、燃えるゴミ、不燃物ゴミ、カンビンなど、再生ゴミ、捨てるゴミは、正しい場所に移動され、全てキレイに処理されていた。
布団、シーツなども、所定の場所、場所に、きちんと収められていた。

管理を委託している人の仕事ぶりは、100点だった。
仕事が早い。2週間で完璧。
が、前任者から申し送られ、引き継がれているのだろうが、あんなにいちいち全部、(遠く離れた)元の場所に収めなくてもよいと感じた。
1シーズン、一度きりの利用を想定されているのだろうが、万が一、もう一度、泊まることにでもなれば、また一から、引っ張り出さなければならない。
まあ、何回も泊まることはないので、別に構わないのだが。

それはそれとして、、、
あんなに賑わい、皆んなが集まっていた家に一人いると、しーんと静まり返り、つわものどもが夢の跡、、、の気分だ。
カーテン越しに太陽の明かりが薄暗く入る寒い室内。
(カーテンは、わたしが閉めたのだが)
なぜなら、日中、雨戸がタイマー開閉され雨戸が開いている間、外からガラス越しに室内が見える。
中からカーテンを閉めると、覗き込まれ見られていても、わからない。
中で異変が起きて人が倒れていても見えないが、鍵を開けて入って来る人だけに異変を発見してもらいたい。
留守宅の室内を(ご近所の)他人さんの目には触れられたくない。
いるのだ、そういうご近所さんが。
勝手に人の家にズカズカ入ってくるのは、地域の特色のようなのだが。

それはさておき、、、
やはり、家は器ではあるが、人が集ってこそ。
誰も居ない室内は、どんなに趣向を凝らそうが、虚しいものだ。
去年のリフォームで、玄関ドアを新しくしたのだが、趣味が良くなかった。
自分で選んだので、誰にも文句は言えない。
苦笑い、、、。
もっと真剣に探せば他にもあっただろうに、気力が萎えていて、勧められるいくつかの中から何でもいいやと適当に選んだ。
外観はどれもこれも、気に入らなかった。
まあ中が良ければそれでいいか、、、と自分を慰めたが、中に入れば、全く活気のない、温かみのない、人の気配がしない、無機質な部屋。
居住していないということは、そんなものだろう。

昨日のTV「ポツンと一軒家」で、紹介されていた人里離れた山奥暮らしの男性。
夢に描いていた、山に別荘を建てて友人達をたくさん呼んで飲食、宿泊でワイワイおもてなしをする願いが叶えられた。
頑張るねえ、、、と思った。 
わたしはその気、なし。
気力もガッツも体力もない。

さすがにTVの人も旬は過ぎて、今はごく限られた数少ない人をお招きして楽しんでいるそうだ。
若い時は体力も夢も溢れかえっているから、やる気満々だったのだろうと活躍を安易に想像できる。
わたしはそもそも社交性がないから、人を大勢お招きする趣味がない。
その時期を最初から抜かして、家族だけで集う。
家族も度々集わなくても、良い。
もっと老齢になって、自分だけが、ひっそり、ひとりで楽しむこともあるだろう。
それでよい、、、
が、管理は子供たちには重荷だろう。
自分で管理できなくなった日が、夢の終わりの日。

この度、わかったが、次女の夫は、食器が好きで器に興味を示していた。
長男は昔々、若い頃は、古いものが詰まった夫の実家をレトロ・テーマパークだと面白がっていた。
今は多分、仕事で余裕がないと思うが、リタイアしたらゆっくり眺める楽しみが残っている。
そうやって歴代の人々は、リタイア後の楽しみをお取り置きしていたものの、やはり毎日の暮らしに追われて、楽しむことができなかった。
(ちなみに、夫は、元々そういう分野にはまるっきり全く何の興味もない)
わたしも、息子も同じ流れになりそうだ。
というより、いっさいがっさい、家ごと全て廃棄される可能性もある。
更地になって、スッキリ。
それが、長年、強制的に受け継がされる者たちは夢に描いていたカタチかも知れない。
夫の実家のご近所に、見事にキレイさっぱり(奥の一棟だけを残して)更地にした家がある。
年末に近所でお会いした時に、「キレイにされましたねぇ」とわたしが言うと「キレイに何もなくなったでしょう?!」とにこやかに奥さんが仰っていた。

うちの場合も実際にはどうなるのかは、未来の子供たちを見ないとわからない。
「わたしの目が黒いうちは好きにさせない」なんて言いながらも、そのうち(遠くない将来に)目はすっかり白くなっているだろうから、何も言わない、言えないと予想する。
自分が動けるうちにしか、自分が好きなことは出来ない。
その期間は至って短い。

が、過去の人が一人一人して来たことに触れると、感慨深いものがある。

※写真は記事とは無関係です。


盛りに盛ったが、、、終わらない

2022-01-08 | 
さてと。
年末年始はなかなか楽しく面白く疲れた。
ブログネタがいっぱい、随時次から次へとあふれてくる思いだったが、アタマの中でブログ入力していた。
なので、実際には何も作業はしていない。
未公開記事をたくさんアタマの中に貯めただけ。
まだ文章にはしていないが、文章化する前に自然消滅するか忘れ去っていることだろう。

中でも、わたしのこころに残るエピソードがある。
次女Rが初めて子連れで訪れた、Rの夫の実家。
大晦日の雪深い街。
生後5ヶ月の孫、初飛行機は、大丈夫だったかなと心配していたところ、
最初に送信されてきたのが、ベビー孫をソリに乗せて雪の中を引っ張っている写真。
なんと!まあ寒そうな。
大雪はその地では、ごく普通の光景のようだが、夏生まれ寒がりのわたしは、のけぞった。
息子といい、娘婿といい、寒い地方に縁があるようだ。

次女Rの夫の(母方の)祖母。
次女Rの夫の両親と同居しておられる。
そのおばあちゃんが、孫(次女Rの夫)の小さい頃の話をしてくれたそうだ。
孫は小さい頃、父親の転勤が多くて転校した学校で、ちょっとしたイジメにあっていた。
それをおばあちゃんが校長先生に、どうにかしてくれと直談判した武勇伝を熱く語る、、、
のだが、周り(おばあちゃんの娘、娘婿)の反応がどうも冷たい。
次女Rが不思議に思っていると、お姑さん(と言っても、シャンとした、わたしより若いモダンな方。おばあちゃんの娘)が、説明してくれたそうだ。
「おばあちゃんは、話を盛るのよ。
途中までは事実なんだけど、それからは創作。
学校になんか全然乗り込んでないの。行ったこともない。
真面目に聞いていたら、ダメよ」

次女Rは、それで皆んなの反応が冷たいわけがわかったという。

うーむ、これは近い将来、近未来、わたしにもありがちだ。あり得る。
話を盛る、、、。
演出に凝るあまり、創作を真実だと思い込む。
絶対にありそうだ。
しかも、近未来といっても遠くない数年後のほんの先。
今でもブログを書いていると演出に力を入れすぎるあまり、「※これは誇張表現です」と但し書き、説明書きを入れることがある。
この説明を入れず、自分が思い込んで創作を書いたらどうしよう。
今のところは、決して創作は書いていない。
(誤解を招くような表現はあるかも知れないが)
その時はブログ村カテゴリーを「エッセイ」から「小説」に鞍替えしなければならない。
とにかく今はまだ「エッセイ」に留まっている。

話を戻そう。
どこまで戻せばよい?
次女Rが話してくれた、おばあさんの話を聞いて、わたしは人ごとだとはちっとも思えなかった。

お正月に、初めて夫の実家に来る娘婿(次女Rの夫)に、お家探訪として、敷地内外を案内したが、その際の次女Rのわたしに対するお婿さんへの言葉。
「おかあさんは語り部やから、適当に聞き流していいよ」
わたしは、語り部らしい。
今では夫の実家について古いことを1番知っているのは、わたしだそうな。
やっぱり語り部か。
しかし、盛る可能性もある。

説明すること全て、自慢!かも知れない。
姑に、嫁いで以来ずっと何十年と家自慢され続けてきたので丸暗記している、、、はずだが、覚え間違い、説明し間違いが重なり、もはや盛っていると言われても仕方がないような現状である。
訂正してくれる人が誰もいないため、わたしの説明は(映倫に全て通るかの如く)ノーチェックで記録として通ってしまう。
責任重大だが、今となれば、ほんと、誰も知らない。
姑はわたしに伝えていて良かったと思う。
ただ、わたしがどれぐらい正確に伝えていけるか??だが、かなり怪しい。
歴然とあるものは、過去の物証の品々と、ご先祖様の名前と生年月日と、戒名と死亡年月日。
それは確かな動かぬ歴代の家の皆さんが遺した足跡。

今日の記事は終わりそうもない。
だらだらすごい文字数になってしまっている。
とりあえず、ここでストップする。

おばあさんの盛り話が、引き続き盛られないまま、まとまらずに放置する。

※ちなみに、トップ写真は、ウチではありません。

秋、、、

2021-10-08 | 
いきなりですが、、、
距離感は重大だ。
大好きなもの、人も、適度な距離を取ることで、いつまでも好きでいられる。
近寄り過ぎたり、遠過ぎたりすると、ヤケドしたり過干渉したり、冷めたり、疎遠になったり、修復困難になったりする。

親子の関係もそう。
助けを求めている時や、羽を休める時は手を差し伸べる。場所を提供する。
が、滋養を得たら、笑顔で送り出す。
また来てね、と。
いつでもいいからね。
(ただし、わたしの身が空いている時)

自分が必要とされている時期を過ぎたら静かに撤退。
後を追わない。
向こうも追いかけて来ない。
寂しさと、ちょっと余力や余韻が残るぐらいがよい。
秋の季節にぴったりの話になった。
カッコよく書きすぎ感はあるものの。

わたしも次の段階がある。
余生である。
余生が動き出すことがあるとしたら、次の駅に向かって発車したかんじ。
まだ「あの世ステーション」や、「天国駅」ではない。
まだ、いくつかの駅がある。
秋から冬に向かうのではあるが、厳しく寒いイメージはあまりない。
だって、天国に近づくんだし。
ちょっと宗教チックになるが、何教でもない、自分教である。

わたしのこれからの、ゆっくりした歩みは、なぜか、母や姑の軌跡に似ている。
歳を取った女性の行動は似通ってくるのだろうか。
自分の今後の居場所整備のため、周辺を整理し始める。
今、流行りの断捨離や終活と同じ。
彼女たちは、流行や世相を反映したのではないと、わたしは思っている。
自分のしたいことをしたら、たまたま世間で取り上げられつつあることだった、、、世の中の動きの、前の方の走者だろう。
それが著書やマスコミなどで盛んに語られるようになり、その影響を受けた人々が動き出す。
世の中や世間、人様、ご近所さんの影響を受けて、、、ではなく、自分がしたいようにしただけだと思う。
というか、昔からある流れ、動きを「断捨離」だの「終活」だのと包装、パッケージを変え新たに名前を付け直しただけなのではないだろうか。

まずは、時系列を軸にした整理。
自分のモノではなく、過去に遡る。
これは舅もやっていたが、途中で手を離した。
これぐらいでいいかな、という自分の基準を満たしたのだと想像する。
が、人が変われば整理の仕方も変わる。
まあ、それぞれに整理した後に、その上に我々の歩みが乗る。

わたしも整理と自分流改造を加えたい。
改善と言いたいところだが、趣味嗜好は各々違うので、別の人の目から見ると、たんなる無駄に映るかも知れない。
スペインのガウディほどの偉大な人なら話は別だが、宇宙の星屑の一つであるわたしでは、全く自己満足以外の何ものでもない。
だが、駅を一つ一つ、楽しく満足感に満ち溢れて止まり、そして通過していきたい。

具体的には、先ず、実家終い。
家の終活みたいなものだ。
終わるわけではなく、枯れ木に新芽が出るように、新たな設え、新顔で再出発。
編集しなおし、要るものと要らないものを精査し、まとめて、さらにお色直し。
そのために、あれやこれやと、てんてこ舞い。
といっても、実際は、姉と姪が労務担当。
わたしは、権利ばかりを振りかざすわけにはいかない。
が、一応、ギョロリと見ている。
わたしの実家なんで。

懐かしい椅子を二脚、もらってこようと思っている。
引っ越しに当たって、廃棄処分グループに入っていたところ、捨てずに保存のお願いをした。
着払い荷物便で送ってくれるそうだ。
楽しみに待っているが、配達送料を考えると、もしかして買ったほうが安いかも?
いや、思い出はお金では買えない。
とかなんとか、、、。
今後も旧・実家終いに伴って、あれこれ貰ってくる(引き取る)予定だ。
引き取り側である、わたしの家族からは多少のクレームが出ると予想されるが、なんのその。
聞く耳を持たない。
(ただでさえ子供が多いところに、勝手に養子を貰ってくるようなものなんだけど)

ただし、ゴミ屋敷は避けたい。
ゴミ屋敷は一種の精神的疾患から来るそうだ。
そうならないよう、精神がしっかりしているうちは、好きな環境を整えたい。
いずれ、「それ、精神しっかりしてないんですけどーー」と、子供達に言われ、ライフスタイルの変換を強制執行されそうだ。
子供達が見て目にあまるようなら、やはり逸脱していると思われるので、その時は子供達に従おう。
(と、今は思っている)

強制執行されるまでの貴重な時間、カウントダウンしながら積極的に楽しもう。
天国駅はまだ先のはず。