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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

遺品整理人

2021-06-09 | 
モノ。
遺品整理業者の折込チラシが最近よくポスティングされている。
需要があるからだろう。

今日もリフォームの里(夫の実家)に向かう電車の中。
行きの乗車時間内でのブログ更新をマイルールと勝手に決める。
わたしが、遺品整理をする時のポイント。
自分の琴線に触れるかどうか。
金銭目当ての泥棒になった気分でチェックする。
お眼鏡に適ったモノは、自分の家に持ち帰る。
ごくごくたまに、滅多にないのだが、夫と奪い合いになることがある。
夫の大好きなメーカーのボールペン。
気づきにくいところに保管していたのに、目ざとく見つけられた。
わたしが発見したのだから、鳶に油揚げはあげない。
何かの折に、何か魂胆があり、自分の権利を行使する時の手段の一つに使う。
策略ツールに取っておく。
優位に進める時のご機嫌を取るモノ、隠し球として、勿体をつけて、即、あげない。
孫にあげる、食品庫にこっそり隠している飴みたいなものだ。
(最近では、勝手に持ち出す、太々しい孫連合。ちっとも威力を行使できない)
孫たちへの飴レベルなので、たいした期待もしていないが。

遺品整理業は、意外に儲かるかも知れないと思った。
ちょっとしたところに、金品が挟み込んであったりする。
マネー、紙幣、お金である。
今日の日当になった、と、喜んだ日もあったが、最初の一日だけで、あとは、とんと金目のものにはお目にかかれない。
結局は、交通費と労力の全日程分を考えると足が出る。
まあよい。サプライズの付録だ。

遺品というとなんだか生々しいが、わたしも一緒に暮らしていた時期もあり、自分の遺品?も紛れ込んでいる。
子供が小さい頃におじいちゃん、おばあちゃんに書いたミニレターなんかもあり、娘に見せるために持ち帰る。

20年前に亡くなった舅の遺品もいっぱい。
使える切手は良いが、消印の押してあるものや、テレホンカードも未使用はさておき、穴あき使用済みのものもある。
同じ趣味でなければ、コレクションの意味はなさない。
使えそうもない傷んだバッグなどは、悩むことなく簡単に捨てられるが、新古品や綺麗に大切に保管してあるものが、処分するには中途半端で困る。

食器もまあたくさん、あるあるある。
もう、うんざり。
疲れ果てる。
何日にも分けて処理することにした。
こんなにたくさん遺した姑が恨めしくさえ思った。(お金なら嬉しいが)
実はまだ蔵には手付かずの何重にも包装したままの贈答品の品々がたくさんあり、見て見ぬフリをしている。
これらは、まだ新しい昭和のモノ。
昭和時代は冠婚葬祭は現金に加え、モノでやり取りしていた。
お祝いもモノ、お返しもモノ。
どこの家にもモノが溢れ返っていた時代だろう。
やがてお返しはカタログになり、食品やイベントを選ぶことも出来るようになった。
モノからコトへ推移した。

いつまでも推移しないと、どうなるか。
時代に押し流され、押しつぶされ、やがてモノは無くなるとは思うが。
時代をシンボリックに代表するモノを厳選して標本のようにサンプルとして保存するのも悪くないと思う。
ただし、スペースがあり、保存状態が良ければ。
今の生活を脅かすような、全然、共存共栄しないモノとの暮らしは避けるべきだ。

あるお宅。
素晴らしい伝統的日本家屋。
知人が親戚から管理をまかされたものだ。
家主は一生不在で、調度品は一切無し。
処分したか、移動させたのだろう。
西洋人の娘婿が同居していた時期もあったようで、離れに西洋スタイルの水回り、バス、トイレを増築したと見られる。
調度品が全くないから、気楽である。
傷付く心配も、盗られる恐れもない。
あっけらか〜ん。
家屋と庭のみ。

お茶の先生の邸宅だったというそのお宅、生活されていた時は、選び抜かれた調度品が家と調和し、重みを増していたことだろう。
わたしは、そのお宅の玄関や和室などで、今は無き調度品を想像して、目の前の空間に、脳内に調度品を置き、佇まいを楽しんでいた。

そういうモノが無いと、管理する側は、気苦労はない。
生花や掛け軸、お道具類は、壁や床、建具、空間に彩りを添え、趣きを深める。
ただし、空間を生かすも殺すも、たった一つの壺一つにも重大な責任がある。
全く調度品が無いのは、それはそれで、全てから解放されて良い。
禅の世界観に通じるものがある。

ただし、何も無いのが良いからと、庭はコンクリート一辺倒というのはどうかと、、、。
石庭なんていうのもあるが。


時代や様式をごちゃごちゃして、自分の趣味だけで集めて寄せるのも、デパートみたいで良いかも。
が、とてつもなくセンスが悪くなる可能性もある。
ヘアスタイルは、丸刈りかヘッドスキンかで、ティストが変わるように、何にも無いにしても、程度、レベルによって色合いが変わる。

ちなみに、近年は、棺に入れる三途の川の渡り料金まで、紙製の六文銭だから、何だっていいのだ。






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