goo blog サービス終了のお知らせ 

蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

貴重な旅に、乾杯~

2010-09-04 | 
仏像が、いっぱい。
ここにも、そこにも、あちらにも。
 


 
早朝5時半。厳かに毎朝行われる神聖な行事。托鉢。

ルアンパバーンからの帰り、飛行機の乗り継ぎのため、ハノイに寄ったついでに、
世界遺産ハロン湾に立ち寄る。
ハノイから丸一日かけて、観光。
ベトナムは、一昨年と同様、相変わらずエネルギッシュ。


ハノイのビール。氷を入れて飲むようだ。


帰り、関空からJR関空快速の車内、窓辺。
ベトナムの少数民族のお人形を連れて帰る。車内から、つぶらな瞳で、見守ってくれる。
ご苦労様。無事、帰国です。

帰国の安堵も束の間、あれよあれよと病気になってしまったが、喉元過ぎれば熱さ忘れる。
また、行ってみたい・・・見知らぬ国へと想いを馳せる。
旅は、屈しがたい魅力がある。


人気ブログランキング
ブログ村 自分らしさ





ルアンパバーンの日々

2010-09-03 | 
ルアンパバーンでは、ひろびろ自然に包まれたホテルで、ゆったりした時が流れた。

  

さほど暑くもなく、雨にもほとんど見舞われなかった。



南国ならではの明るい色彩が美しい。
織物の村へ。
昔ながらの手作り織り機での織物づくり、手すきによる紙すき工房にお邪魔した。
そうめん流しみたいに見えるのは、材料となる木を煮込んだものを水で洗っているところ。

 
 

ホテルのチャーター船で、偉大なるメコン川を上ること、約25キロ、
子供たちが水辺で水遊びをしていたり、地元の人が漁をしたり。
ガイド兼サービス係のホテルの方も、コックリコックリ居眠り。
優しく吹く風が心地よい、のどかな時間。

 
  

絶壁に掘られた洞窟に無数の仏像が納められている「パークウー洞窟」へ。

 

そこからさらに階段を15分ほど上がると、真っ暗な横穴がある。
怖がりの私は、写真もそこそこに、そそくさと出てきた。


  
  

人気ブログランキング
ブログ村 自分らしさ
  

世界遺産の古都・ルアンパバーン

2010-09-01 | 
大小70もの寺院が山間の街に並ぶルアンパバーン。
山と川に抱かれた美しい風景と共に、信仰が息づき、
いにしえの姿そのままに、静かにその歴史を物語っている。

ラオスの前身となったラーンサーン王国が1353年に誕生、
その後、首都はビエンチャンに移ったが、
当時の王国やフランス植民地時代の面影が今も色濃く残っている。


 


  ">



人気ブログランキング
ブログ村 自分らしさ

連泊のお宿は、南国ムード

2010-08-30 | 


ルアンパパーン空港に着いた頃は、雨。
なにやら、どこぞから、やにわに大勢のスーツ姿の方々がぞろぞろ集まって、
傘をさして列をなして、誰かをお迎えのようだった。
ちっちゃなプロペラ機に、そんなVIPと同乗してたのか?
そのVIPは一番先に後方から降りて(といっても、出入り口はひとつだけ)、
傘の歓迎を受けて行き過ぎると、一同は蜘蛛の子を散らすように、いなくなった。
行政関係? 企業関係のお偉方か?
お偉方と言っても、傘がいっぱい集まっただけなので、ちょっとスペシャル度が足りないような気もするが。



さて、お宿「レジデンス・プーワオ」へと向かう。
オリエント・エクスプレス・グループ経営のこのホテルは、
5月にカンボジアで利用したホテルと同じ系列。
3ヘクタールわたる広大な土地の中に建つ、自然豊かなリゾート・ホテルだ。

 

 

部屋中、惜しげもなく木をふんだんに使い、美しく磨きこまれ、テラスからの眺めも素晴らしい。
一戸建て感覚になっている。
※写真は、客室テラス。

   
 

レストランの前面には、借景を生かしたプールが広がる。
客数は、そう多くなく、日本人は少し。西洋人家族連れがプールで泳いでいる。
ただし、日本語は、通じないので、メードさんとのやりとりが、一度うまくいかず、
午後から夜への切り替えベッドメーキングを一回、抜かすハメになってしまった。
サービス、ホスピタリティは、快適。
庭やホテルじゅうの手入れが行き届いていて、気持ち良い。

裸族M子は、水を得た魚のように、裸族ぶりを発揮していた。


人気ブログランキング
ブログ村 自分らしさ


遷都450年~ビエンチャン

2010-08-29 | 
ハノイから直接、ルアンパバーンに入る手もあったのに、
わざわざビエンチャンで宿泊して、市内観光を入れなくてもよかったのではないかと
思っていたが、
せっかくラオスくんだりまで行ったのだから、首都も訪れてみようというプラン。

裸族M子の提案だ。
彼女は、前々から気付いていたが、
室内では着衣でいると、圧迫されるのか、うっとうしいと感じる「裸族」だった。
裸で平気で部屋を歩き回る。
こちらは、着衣の現代人、裸族とはどうもしっくりいかない。
まあ、生まれた時も裸だったんだし、旅は仲良くやっていかないと。

 

ラオスは、中国・タイ・ミャンマー・ベトナム・カンボジアの5カ国に囲まれた国。
ルアンパバーンから都を移し、今年で遷都450年のビエンチャンは、
古いお寺や建物が立ち並ぶ、整然とした街並み。
国の首都にしては、ただっ広い敷地感覚ではある。
人口70万人というこじんまりとした首都、
中でもラオスご自慢の表玄関周辺ばかりに行ったので、街は美しかった。
農村部との格差もあるようだが、美しい部分だけを駆け足で通り過ぎた。

  

有料のお寺の入場は、靴を脱いで、裸足になる。
お線香の匂いは、あまりしない。
広々としたお寺は、カラフルで日本のお寺とは、随分違うイメージ。



昼食は、秋篠宮殿下も訪れたという有名・戸建レストラン。
その時の写真が飾られていた。
香味野菜が、効いていて美味しかった。
フランスの色濃い建物も、魅力的だ。
ガイドブックにも一番上に紹介されていた。
お値段もお安く感じられ、大満足。

 

興味深かったのは、パリの凱旋門をマネして作ったという「パトゥーサイ」。
これは、「戦没者慰霊塔」として1967年に建てられたもので、
美しい天井装飾が施されていたり、内部にも凝った細部の彫りがなされていたり、
力が入っているが、内部はまだ未完成だとか。
下は、門で、上は、お寺だそうな。
上層階は、お土産ものがぎっりしり売られている。
いちばん、てっぺんまで、ぐるぐる、らせん階段を登っていくと、
道の中心に位置する凱旋門からは、パリのような?ビエンチャンの景色が広がる。

 


当時、飛行機の滑走路を造った時に、コンクリートが余ったので建設されたとか。
皮肉として、またの名を「垂直の滑走路」と呼ばれるそうだが、面白い表現だと感心した。

 

巨大マーケット「タラート・サオ」では、家電コーナーに、二層式の洗濯機が結構並べられていた。
全自動の一層式より、なにかと重宝されるのかも知れない。(水の節約にもなるし)
手作り雑貨の布製品をいっぱい買ったが、
後に行ったルアンパパーンのナイトマーケットでは値段は半額だった。ガクッ。

思ったほど暑くなく、やれやれ。
降ったり止んだり、少し小雨のビエンチャンをあとに、プロペラ機で、
旧都ルアンパバーンに向かった。



人気ブログランキング
ブログ村 自分らしさ



のそり、のそり、・・・。

2010-08-28 | 
昨日の点滴2本をもって、治療は一旦、終了した。

「え?
せんせ、まだちょっと頭痛がするし、薬ももう昨日で切れてしまったんですけど。」

「薬も,
もう飲まなくてよろしい。」

完治してないのに、そんなぁ・・・

でも、まあ、随分マシになったので、朝から、溜まりに溜まっている家事に手をつけた。
いたたた・・・やっぱり頭痛が。

旅のこと、資料もあんまりいらない、ラオスの首都ビエンチャンのことを
書こうと思ったが、冒頭の数行で頭痛。

まだちょっと、薬なしの安静が必要のよう。

思うようにいかない。
イライラ、しくしく。

山で遭難した家族の、捜索打ち切りにされたような気持ち・・・。
自分で、立ち向かうしかない。

通常のスケジュールが組まれている相手先に、各々あれこれ連絡して、休む旨を伝える。
「ラオスとは、まあ、シブいですねえ・・・」
と言われるが、シブすぎてダウンしたわけでして。

私には、近所の温泉ぐらいが合っているのか。
でもあんまり、行きたいとは思わないから困りもの。
身の程を知らねば。



いつまでも、ぐちぐち言ってないで、
さて、ここで旅のスタートあたりをちょっとご紹介。
とちあえず、ハノイで乗換え、ラオスの首都ビエンチャンへ。
60人ぐらい乗りの小さいプロペラ機。
かわいらしいプロぺラが、窓の外で、ブルンブルンと一生懸命回っている。
首都に乗り入れるのが、あの大きさ? 
ふうむ。ま、無事に着けばそれでよし。
人口70万人ほどの静かな首都だ。

空港から、まっすぐお宿へ。
アンティークのいい風合いのホテルだ。
備品もアンティークで、ガタンゴトン。







バスルームも洗面台も、これ、いったいいつ作製?と思われる、
初めは洗面台の栓が抜けなかったり、一息つくまで格闘。
どっかんとバスタブの底の表面が壊れて、地の土色が白い陶器の間から顔を出していた。
バスタブのぐるりは左官屋さんの大雑把な塗りで固められ、水漏れを修理してあった。
ホテルのバスって、別にお湯・水さえ出ればOKという基準からすると、スイスイ合格だ。

ヘアドライアーは、何事かと思うほど、大音量、轟音。
ま、ご愛嬌ということで。

次の日のビエンチャン観光を前に、全く窓のない、鍵のゆるい、
しかも、エレベーターまん前の部屋で、誰でも入ってこれそうやなあ・・・と思いつつ
飛行機疲れを癒した。

さっそく、部屋の前の段差につまづき、こけそうになった。
ヒヤリとしたが、1日目から、骨折や捻挫は、どうにか免れた。





人気ブログランキング
ブログ村 自分らしさ



戻ってきました~・・・

2010-08-23 | 
さて、何からご報告すれば、よろしいかしらん。
ブログから遠ざかり、ログインの仕方も忘れそう。

旅行前も、いつもとは全く違うイレギュラーなスケジュールに振り回され、
てんてこ舞いして、舞いあがっていた。

舞いあがったまんま、そのノリで、
この暑い時期、日本よりさらに赤道に近い、しかも雨季にラオスくんだりまで、行ってまいりました。

家族も、ちゃんと帰ってくるのか、心配していたようだが、
とりあえずは、1週間のスケジュールをこなし、無事に帰国した。

ラオスという国、日本では、あまりメジャーではない。
観光パンフットを取り寄せるにも、あまりなくて(2社のみ)、
その2社も、すでに飛行機は満席。
しかたなく、ネットだけで営業している、全く知らない旅行手配会社に頼んで、
全てEチケット手配となった。

送ってきたスケジュール表には、朝食が付いていたようだが、3日目には、「長足」となっていた。
豚足でも出るのだろうか・・・?? 南国情緒たっぷりの現地料理??
なんてことはない。
「朝食」の入力変換ミスだった。

大丈夫か、この会社??
社長と、担当者は、同一人物で、どうやら彼以外は、スタッフはいないようだ。
後に、私はフィリピン人と間違えられたのだが、
ホテル手配は、東京ではなく、フィリピンからの予約だったようだ。
海外でフィリピン人に間違われるのは、これで2回目だから、まあ、いいですけれど。


ちゃんと、行けるのか、ちゃんと帰ってこれるのか、とても心配だった。
が、まあ、とにかく、行って、帰ってきた。

結論は(いきなりですが)
良かった。

それと、自分の能力の低さを痛感した。
英語ガイドが手配されていた。
歴史や建物、宗教の教え、etc・・・日本語で説明を受けても、よくわからないのに。
「英語は、簡単な常識程度のものだから、わかりやすいね」とM子。
さらに、フロントとガイドさん以外の人は、あまり英語も通じない様子。


若い人と一緒に行くと、キツイ。
しかも、的確、瞬時に判断、行動できる優秀な人物M子。
ありとあらゆる面で、キツイ。
ありがたいことは、ありがたいのだが、完璧に私は無能とみなされた。
涙がジーンと、こみあげてきそうになったことも、2回。
ドジでマヌケな人間の涙なんか、全く理解できるわけもないだろうけれど。

ほとんどは、楽しいことだったので、愚痴を言っていたらバチが当たる。


ラオス・ビエンチャンからは、定員60人ぐらいのプロペラ機。
スリル満点。
あるイタリア系?カップルは、最初から最後まで、女性が、男性に抱きついて、
震えたまま、頭を上げなかった。
いつものことなのか、彼は、彼女を抱えたまんま、上手に本を読んでいたが、
食事はさすがに、無理のようだった。
彼女の頭を抱えたままでは、頭の上に、パラパラとサンドイッチの粉やら具やらが落ちては、
ちょっと気が引けるだろうし。

私は・・・・ガタガタ音と共に揺れる機内、抱きつく彼氏もおらず、
出発直前に済ませた(おつとめした)、お盆行事で、覚えたての御経を唱えていた。
お経もこういう時には、役に立つ。(→またもや、バチ当たり)


それはそれとして、
日本の皆にラオスを、もっともっと広く知っていただきたい。
(本日は、余裕なく、かなりの唐突な結びになっている・・・)





人気ブログランキング
ブログ村 自分らしさ









この顔は、誰の顔? ~カンボジアで、大変身

2010-05-14 | 
灼熱の地、カンボジア。
暑くて暑くて、さっそく観光一日目から、暑さが、辛くなってきた。
炎暑の中、遺跡をずっと歩いて、やっと戻ってきて、待機する車に乗りこむ。
次の場所に移動する、その車の中もまた、暑い、暑い、暑い。
炎天下の外だけではく、ねとっと汗が、車内でも、べったり張り付く。


予兆が現れた。
頬の上が少し赤くなり、腫れていた。
日焼けしたのかな、と、単純に思っていたが・・・。

上の娘、私の顔をじっと見て行った。
「なんでお母さんが、あちこち海外旅行していても、
日本でお母さんの周りの人に嫌がられないのか、わかったわ」

私、まんざらでもない気分になりながら、答えた。
「そう? 旅行に行っても、周りの人には全然言ってないからと違う?」
毒舌、辛口娘のことだ。辛辣なパンチが飛んでくるだろうとは、予測していたが。

上の娘
「お母さんの、その、しみったらしい見かけ。その外見だってことに、気付いたわ」

想像以上にキツイ、お言葉。
ま、なんとでも言っておくれ。
母は気にしていません。それどころではないので。

笑うにも、感動するにも、
顔が、呼吸できない。
日焼け止めクリームと、ファンデーションの厚塗りのせい?
鼻の下、顎、額、尋常ではないカサカサ、皮膚はバサバサ。
メークをするにも、クリームを塗り込むことはできず、そっと上から乗せるようにした。
が、むらむらになり、赤みが下から浮かび上がり、ひどい惨状。



翌日の朝は、目が腫れていた。
目の下には、見慣れないシワ。
さらに、その次の朝は、目が開けられないぐらい、蜂に刺されたように、マブタが膨らんでいた。
メガネをかけて、目をぎゅっとつぶると、マブタがレンズに当たる。
なに?これ?? 化け物? お岩さん?
目だけでなく、目を中心に、頬骨あたりも腫れている。
目の下のシワは、腫れた重みに耐えきれず、折りたたまれたようになっている。
腕には、少し、蕁麻疹のような斑点。

ホテルのレストランに朝食を取りに現れたその姿は、
前夜、夫婦喧嘩して、DV騒ぎのあと、夫に思いっきり暴力をふるわれた、気の毒な妻のよう。
さすがに、この日は、室内でも、ひと時たりともサングラスを外さなかった。
「お母さん、ほんま、謎の中国人やなぁ。全く、国籍不明やで」
と、下の娘に言われるも、全く気にせず、というより、そんな余裕なし。

皮膚に乗っかっている全てのものを取り去り、自由になりたい!!
日中は暑いので、観光途中で、昼過ぎには、一旦ホテルに戻って休憩を取るが、
ホテルでの黄金時間が、とても短く感じた。
一番、私にとって至福の時は、冷房の効いているホテルでの休憩時間だったが、
時間が短く(感じられ)、休養はたっぷり取れたとは言えなかった。



夫は、
「もう一日済んでしまった。ああ、また半日、また半日。あっという間や。
楽しく過ぎる時間は、早く感じるなあ」
その横で、一日、一日、あと、何日・・・と、私は指折り帰国を待った。



帰国して、病状はあっという間に改善した。
自分の顔でありながら、コントロールの効かない、あの、鉄仮面のような顔は何だったのか?
近年、ハワイ、ロシアでも体調を崩しかけたが、
こんなに観光の間じゅう、ずっと、辛いと感じることはなかった。



海外での体調悪化、病気発症という経験を身にしみて経験したことは、
今後の海外旅行への心構えや準備に、大きな影響を与えた。

いつまでも若くないってことだ。




ブログ村 自分らしさ
人気ブログランキング



力強い、原点に触れる ~カンボジアで見たもの

2010-05-13 | 
カンボジアは、第二次世界大戦後、フランスから独立したものの、
1978年からポル・ポト政権崩壊までの間に、
国民の3分の1が虐殺されたという悲劇の歴史を持つ。
近年に、3人に1人が殺されたということだ。
特に知識階級や都市住民が、そのターゲットにされた。
その後も内戦が激化、国内は混乱した。
国連が紛争解決に乗り出し、1993年に、新生カンボジア王国が誕生。
1992年に、アンコールワットも世界遺産となり、国内が安定したこともあり、
世界中から訪れる観光客が、激増した。



そういう背景があるので、お若い日本語ガイドさんや、ドライバーさんに
無神経に、政治や内戦のことを聞くのをためらわれた。
ひょっとして、親戚や肉親、友人たちも犠牲になっているのでは・・・と。
観光地で群がってくる子供たちの姿と、案内してくれるガイドさんの顔が重なってしまう。
彼らの子供の頃の顔が、はっきりと想像できる。

ホテルがあるシェムリアップの中心街は、とても新しい街という印象だった。
世界遺産登録後に建てられたものが多いように思う。
その中心地を少し離れ、
遺跡に向かう車道の両側には、現地の人々の家々が建つ。
台風がないというこの地ならではの、屋根は植物の葉で覆われ、手作業で作ったように見える家。
毎年、台風の脅威と闘う日本では、吹けば飛びそうな簡易ハウスだ。



ハンモックを吊り、暑さをしのぎながら、お昼寝する姿をよく見かけた。
子供たちがたくさん、遊んでいる。
食事中だったり、お昼寝中だったり、暮らしの様子が、外からよく見える。
人々の暮らしが垣間見える。

日本なら、外で遊ぶ子は減り、誰も、子供の姿さえ、住宅街から消えている。

バイクには、3人ぐらい乗る。
1~2歳ぐらいの幼児も乗せている。
幼児用の固定椅子も設置していないように見えるが、落ちないのかな? 
見ていると、かなり危なっかしい。
とても小さい幼児を抱え、大きなバケツ2つを腕にかけ、バイクの後ろ席に乗っている若い女性。
農作業に向かうのだろうか。
お母さんたちは、パワフルだ。
大勢の生命力あふれる子供たち。かたや日本の幼児虐待や、育児ノイローゼ。
どっちが豊かな国なのだろうか・・・。

5人家族で、幼い子供3人を両親の間にサンドイッチして、バイクに乗っている一家を見かけた。
すごい。

これまた、バイク。
一瞬、何を抱えているのか、わからなかった。
裸の人? 死体? マネキン?
よく見ると、牛・・・。焼き牛だそうだ。
市場で、売られるものを、バイクで、後ろに乗っている人が担いでいた。

牛追いの子供が、牛を追っていた。
牛は、あばら骨がクッキリ浮き出て、ガリガリ。
そんな激痩せでは、あまり美味しくないだろう、と思っていたが、
食用ではなく、重要な働き者として、農作業の現場で活躍する。



タクシーは、乗合トラック。
屋根のないトラックの荷台に、大勢の現地の人たちが乗り込む。
落っこちそうになるぐらい、たくさんの人、人、人。
(写真は、あまり大勢乗っていない車しか、うまく撮れなかった)
運転手は、乗り込む人に行き先を聞き、人数が集まれば、出発し、
それぞれの場所まで行き、下ろす。
出発時間や到着時間は、その時まかせ。
値段は交渉のようだ。

 

バイクタクシー(トゥクトゥク)に乗っている、西洋人観光客を時々見かける。
自転車に、遠くまで出向いている西洋人も見かける。
ご年配の方々も、えっちらおっちら、酷暑の中をエネルギッシュだ。
日本人で、そういう元気モノには、お目にかからなかった。パワーが違うのか??
お手軽・簡便・快適を求める日本人。

私は、その中でも、現地の暑さに、身も心もへろへろ、気候適応障害、
最も軟弱、貧弱な、落ちこぼれ日本人なのだが。


ブログ村 自分らしさ
人気ブログランキング

遥か彼方の、南方へ ~灼熱のカンボジア 

2010-05-12 | 
昨日のブログ、トップ写真は、シェムリアップ空港。
私にとっては灼熱の国、カンボジア。
でも、人々はごくごく普通に生活していたが。

旅行中、私のブログは、視聴率?(訪問数&ランキング)は落ちるだけ落ちるし、
もうなんだかツキモノが落ちたようなかんじで、かえってスッキリした。
贅肉を削ぎ落として、一から出直しだ。

パソコンが気まぐれなのが、厄介。
私も気まぐれなので、
両方がいい時などとなると、なかなかうまく合わない。

ホーチミンで乗り継ぎ、シェムリアップ空港に到着。
時差は、2時間。時計を逆戻し。
飛行機のタラップを降り、真ん前で待機するバスまでの数十秒、外気に触れたが、
むっとする熱気もさほど感じられず、ぽつりぽつりと降る雨だけが、やや心配だった。



国際空港らしからぬ、南国情緒たっぷりの外観、
ホテルもバリを彷彿させる、楽園、南国癒し系。
「ラ・レジデンス・アンコール」は、こじんまり、隠れ家的なリゾート・ホテルだ。
床の木目と、木々のグリーンが、とても優しい効果。
わぁステキ、と室内の写真をパチリパチリ。

日本語が通じないので、スパ・マッサージ予約の件では、
フロントから電話がかかってきたが、ラチがあかず、担当者が部屋を訪れてきて、
あれこれジェスチャーや筆談を交え、はやくもいい汗、冷や汗たらり。
未知の国は、ウエルカム・ドリンクとともに、ほんわかムードで私を受け入れてくれた・・・
はずだったのだが。






この調子で行くと、進展が遅すぎますね。
まあ、パソコン様の顔色を伺いながら、
適当に、ぼちぼちやっていきます。


ブログ村 自分らしさ
人気ブログランキング