goo blog サービス終了のお知らせ 

蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

旅に出たものの・・・

2010-05-10 | 
旅のレポートを・・・と、張り切っていたものの、
パソコン様サマのご機嫌は、いたって芳しくなく、ご主人さま(パソコン)に振り回されている。

彼(彼女?)の回復や、体調と、にらめっこしながら、チマチマ報告するしかない。
その間に、感動の鮮度がどんどん落ち、私の脳ミソの回路から、記憶が遠のき、
パソコンさまと同じような、軋みを生じる・・かも。。。???
でもまだ、大丈夫。大丈夫です。ばっちり、です。


今回は、散々な目に遭った。
現地が暑すぎて、私は病気になった。

日本では、まだうすら寒い日もあるなか、
いきなり35度から40度のカチンカチン、ギンギンの太陽に、容赦なく照りつけられ
ありえないほど、ぶざまに、ノックダウンした。
苦しむために、海外に出かける愚かモノは、私ぐらいか??
しかも、わざわざ高値のGWに。

ハンパじゃない酷暑・猛暑の季候・・・
あー、苦しかった。
毎日毎日、あと何日で帰国できる・・・と指折り数えていた。

でも、その、ブサイク、哀れな、ぼろぼろの私の惨状と引き換えに、
生きている間には、もう二度と行くことがない場所&文化に接することができ、
一生の宝物となった。

パソコン殿、あなたのご機嫌が良ろしい時に、私の手となり、足?となって、
旅シリーズ、続編のお手伝いをよろしくお願いしますね。


ブログ村 自分らしさ
人気ブログランキング

蟹かにツアー 

2010-03-02 | 
なんばや梅田のバス集合場所には、蟹ツアーバスが10台近く並んでいる。
日曜日の朝、7時半。集合したものの、どのツアーも、みんな蟹ツアーなので、
自分の参加ツアーの添乗員さんは、どの人だかさっぱりわからない。
集合場所の女性用トイレは、長蛇の列。
集合時間に余裕を持って来たのに、トイレの順番待ちで、ギリギリになってしまった。
待ち時間中ずっと、前に並んでいる女性が友人らしき人に、
延々と息子さんの離婚話を微に入り細に入り、話していた。
待っている間に、読み切り小説の一話が、完結したかんじ。
トイレで息子の離婚話・・・女性は、デリケートな人もいるけれど、そうでもない人もいるようだ。
後になって思えば、それは、このバスツアーを象徴していたような気がする。

私が参加したのは、京都府の北西に位置する、間人(たいざ)を訪れ、蟹を食べるコース。
そこの間人蟹は、有名だ。
間人港で水揚げされた松葉ガニのことを間人蟹というが、
他の蟹と識別するために、専用のタグが付いている。


水揚げ量を重視して大型船で何日も停泊する漁とは違い、
鮮度を重んじて日帰りで帰港するため、漁獲量が少なく、それが間人蟹が、幻の蟹と言われる所以らしい。
ちなみに、間人という地名の由来は、聖徳太子の生母である穴穂部間人皇后の
当時のエピソードにちなむもので、六世紀の末にまでさかのぼるそうだ。

料理旅館に、バスで押しかける。
大阪からのバスツアー客の団体さんを迎えるのは、こじんまりした旅館だった。
明治元年の創業だという当時を偲ばせる品々がフィスプレイされていたり、壁に貼ってあったり。



趣ある旅館を想像していたが、新しく建て替えてあり、ちょっと建築資金不足かなと感じる。
このような鄙びた地には、大きな資本は動かないのだろう。

蟹は、生で食べる、焼く、しゃぶしゃぶ、カニチリ・・・、
たっぷり、この季節ならではの間人蟹の味を堪能できる。
甘く、とろけるような美味しさ。
蟹好きには、たまらない。
はるか遠くからバスに乗ってやってきて、目的の蟹を胃袋に納めて、満足して大阪に帰って行く。

帰りに、ちりめん織工場や、お土産屋さんにも寄った。
京都最北端の、すっきりした古い町並みは、清潔感があり、
海に面する地で暮らす人々の真面目な営みの積み重ねが感じられた。





(ちょっと、ここで coffee breakです)


ただ、旅館の規模が小さいから仕方ないのだろうけれど、
そして、蟹シーズンで、人手不足なのだろうけれど、
自分がいつも行き届いたサービスに慣れていることを再認識した。
目に見えない気配り、サービス、快適さを提供してくれることが、一流のサービスというもの。
決して押しつけがましくないことも、重要だ。
あれ?と、不便だったり、疑問に感じたり、気になったり、そういうマイナスのことを感じて、
初めて今まで受けていたサービスが、良いものだったということがわかった。

例えば・・・
トイレには、フックが付いていないので、バッグを掛けられない。
バッグを置く場所もないので、バッグを持ったまま、不便極まりない。
終わった食器を全部下げてくれない。(テーブルには、空のお皿がちょこちょこ残っている)
雑炊もまだ作っていない段階から、もう、デザートが出てくる。
お茶が出てこない。(自分で取りに行って、自分で入れて飲みました)
爪楊枝が用意されていない。

18,000円の日帰りツアーなので、そんなに安すぎるということもないと思う。
蟹の内容を重視、充実することで、その値段がついたのだろうか。
旅館は地域の小さなところ。
こじんまりと、素朴で、地域色が出て良い、と言えば、そう言えるのかも知れない。
ただ、色々あちこち出歩いて、ピンからキリまで知ってしまうと、
快適であることに慣れてしまい、ちょっとしたことに不満を感じてしまう。
快楽や欲求は、追求するものではない、ということだ。
あくなき贅沢心は、弊害をもたらす。
成長し尽くした先進国みたいなもの? 
次なる成長分野を模索、確立しなければ、生き残れない。
(→ハナシ、それてます。一人でどこへ行く?)



人材不足? 優秀な人を引き抜いて、従業員教育すれば、鬼に金棒だろうが、
そんなゆとりは、ありそうもない。
若い後継者が不在だと感じた。
「素朴」と、「サービスの悪さ」は、違うと思う。
サービスを徹底するには、やはり、お金、人材、経営者の方針、
そのためには、ひいては地域振興策、助成金、政治の力が必要だと感じる。

せっかく蟹は美味しかったのに、なんだか惜しいような気がした。
ついでに、文句を加えるなら、バスが狭い。
日程の時間配分が、忙しない。
追われるようにトイレに行った記憶ばかりが強烈に残る。
それが、団体バス旅行というものなのだけれど。
しかし、誰と一緒に行くか、が、大きい。(今回、一緒に行った人が良くなかった・・・)
それが嫌なら、自分独自で企画して行けばいいのだろうけれど。

そんな技量もないくせに、文句ばかりは一人前。
それにしても、朝早くから、夜遅くまで、身動きできないバスとトイレ通いに、疲れました。
「本場の間人蟹を食べる」その一点だけを目標にするのであれば、それは満たされたが。
蟹好きの人なら、一生のうちに一度は味わってみる価値のある間人の蟹。
その貴重な体験をすることができたことは、有難いし、幸せなことだ。

食事もさることながら、快適性を重視する傾向にある私。
ダイナミックで、量も多く、味さえよければそれでいい、というわけにはいかない。
もちろん、味が良くないのは、論外。味は、必須第一条件だが。
いかにも「女性好み」という枠にすっぽり入ってしまう。
楽しみの枠を自分自身で狭めている。
難儀だなぁ・・・。






長文過ぎて、うんざり、お疲れ様でした。
クリックする力は、果たして残っているでしょうか?
というより、ココ(最後)まで読まれた方、おられるかしらん・・・?
そっちのほうが、不安です。(反省も含め)

人々が交差する街~マレーシア ④

2009-11-14 | 
インド人街、ナイトマーケット、屋台などで見かけた風景。
       
  
ローカルフード。
    
ホテルの朝食は、各国料理のビュッフェ。スリアKLCC、「リトル ペナン カフェ」のアイス・カチャン。市場で買ったフルーツ。
    
ホテル シャングリ・ラ 中華料理店 シャン・パレス(香宮)    一番右は、ホテル内
  

人々が交差する街~マレーシア ③

2009-11-13 | 
マレーシア最古の街マラッカは、マレーシアの歴史そのもの。
14世紀末に王国が建国され、明をはじめ、アジア貿易で栄えた街。
その時、中国南部から移住した中国人男性たち(現地語で、「ババ」)と、
マレー人女性たち(現地語で、「ニョニャ」)が結婚し、
中国とマレーの習慣、言語、食が融合した文化「ババ・ニョニャ文化」が生まれた。

その後、16世紀初頭ポルトガルをはじめ、オランダ、イギリスと次々に列強の支配下に置かれたが、
経済的には発展した活気ある街だ。
やがて交易の拠点は、シンガポールへと移り、マラッカの時代は幕を下ろした。
ペナンとともに、昨年、世界遺産にリスト入りを果たしたとのこと。

  
中でも、19世紀後半の大富豪の邸宅「ババ・ニョニャ・ヘリテイジ」(写真左)は、とても感激した。
100年前のヨーロッパや中国から取り寄せた、家具や調度品、美術品は、目を見張るものばかり。
残念ながら、写真撮影は許可されていないので、目に焼き付けるしかなかった。
ここを見学して、この旅行、「これで、決まり!! 来てよかった!!」と思った。
もっともっと時間を割いて見たかったが、
たとえ一人だとしても、館にはガイド付きなので、そうそうゆっくりできないようだ。
一生の思い出になるだろう。

  
中国道教寺院も、ポルトガル教会も、オランダ式教会も、
イスラム教モスクも、ヒンドゥー教寺院も、寺院のデパートの如く、なんでもある。
街並みも当時のままの姿を活かして、ブティックや雑貨屋、アーティストのギャラリーに再利用され、
ノスタルジックな雰囲気を醸し出している。
時間がなかったので、お店には入れなかったが、徒歩で回れる街なので、
ゆっくり一軒一軒、お店を覘いてみたい。
生きているうちに今度また行くことがあれば、マラッカに、もう一度行きたい。
宿題が残った。
死ぬまでの、やりたいことリストに、ひとつまた「マラッカ再訪」が加わった。

   


マラッカに向かう途中、素敵な大家族が住む、伝統的な家屋を訪れた。
お母さんは、14人の子だくさん。
花嫁さんを迎えるお部屋などを見せていただいたが、明るい暖色を用いた
キュートで優しい設えに、心なごんだ。
     

お昼は、ババ・ニョニャ料理。
海外VIPが訪れるという正統派のレストラン。
トイレはばっちり近代的で美しかったので何の問題もなかったのだが、
別の二人連れの人と一緒に円卓を囲んだので、ひとつのお皿から取り分けるため
遠慮して(私、恥ずかしがりなんです)、あまり食べることができなかった。
サービスも行き届き、室内、お料理の見た目も美しく、美味しかったのに、残念だった。
いい年をして、へんにシャイというのも、シャレにならない。

  
   


人々が交差する街~マレーシア ②

2009-11-12 | 
マレーシアという国、私にとっては、どうもピンとこない。
学校で、歴史や地理、産業など、社会科の授業で、みっちり習ったわけではない。
第二次世界戦争のとき、日本が占領していたことも、よく知らなかった。
ガイドブックや、ネット検索で調べても、あまりよくつかみ切れない。

 
  

「アジアの優等生」と呼ばれるマレーシアは、
GNPは、アセアン諸国弟3位の経済国、2020年までに、先進国の仲間入りを目指している。
国花は、ハイビスカス(トップ写真)。
街には、インド人街、中国人街、イスラム教のモスク、中国系寺院などが、混在し、
多民族が暮らす国であると感じさせる。
宗教が違う人同志の結婚は、かなり困難なようで、できるだけ回避しているようだ。
新聞も、ごらんのとおり、多言語がずらり。

ただ、建国52年の若い国だけあって、
クアラ・ルンプール市内のどの建物も、概ね1世紀ほどしか経っておらず、
歴史的重みは、あまりない。

 
いつもは、ガイドさんから聞く現地事情が、かなり興味深いのだが、
今回のガイドさんは、日本語がお上手とは言えず、私たちの質問にはあまり答えてくれない。
彼の説明を聞くには、忍耐強さが必要となる。
一度、自分の頭のなかで、ちゃんとした日本語に翻訳し直して理解しなければいけないので、疲れる。
歩きながら、必死で聞き取ろうと頑張るが、
注意をそちらに向けすぎると、足元がおろそかになりそうでコワい。
   
上の、メンテナンス中の建物を覆っている素材は、ヤシの葉。↑
環境にやさしいエコですね。

骨折りヒアリング成果のひとつが、車。
日本車は、関税がかかり2倍の値段に跳ね上がる。(トヨタ レクサスが人気)
日本から車体の中身を輸入して、外側を国内で作った国産車が、多い。
星のマークの国産車をよく見かける。
車検はないので、どんなオンボロでも、OK。うわあ、いいなあ・・・と思いきや
時々、故障車と取り組んでいる、深刻顔のドライバーに出会う。ごくろうさま。
バイク故障と戦う若い男の子も。彼女が隣で、困り顔。頑張って!!
夕方になると、ラッシュとなり、街の中心地には、車が溢れかえっている。
お巡りさんが、その時間帯だけ臨時の手信号で、渋滞を整理するのだが、
あちこちから、クラクションが鳴り止まない。

自転車は見かけないが、バイクは見かけるものの、ベトナムのように多くない。
土とホコリで活気づいているベトナムに比べると、
チリ一つない代わり、どこか、お澄まししているような印象を受ける。
ここにも優等生の顔があらわれているのだろうか。
イスラム教徒が多数を占めるため、お酒、豚肉はNG、
街で遅くまで遊んでいるのは、外国人が多く、地元の人々のための店は、早々に閉まる。
仕事中の礼拝も法律で認められているとか。
そういった面から、外国人から見れば、優等生のように映るのだろうか。
ちなみに、近年、日本人観光客は、減少しているそうだ。


蒸し暑いなか、歩いていると、足は、だんだん痛くなってくる。
現地トイレ事情はガイドブックで知っているので、できるだけトイレには行きたくない。
ローカルフードは、ごちゃごちゃしていて、手もベチャベチャするし、
トイレのことを考えると、食べたい物をがあっても、どんどん食べる気がしない。
食事とトイレ、これは、かなり重要ポイントだ。
味、以前に、清潔感や、快適性に慣れている日本人にとっては(私だけかも?)、
オシボリや、手洗いが身近にないことなど、快適を提供してくれるサービスがないと、不安になる。
(オシボリは持参していたが、乾いてしまっていて、意味なしだった)

ささっと市内観光を電車とモノレール、徒歩で周り、2時にはホテルに戻った。
戻った後は、爆睡、爆睡、爆睡。
夜に出かける屋台と、ナイトマーケットまでの時間を、気持ち良いホテルで過ごした。
(つづく)


今回の旅レポートは、遅筆です。
いつもなら、どんどんあふれるように文字が湧き出て、
分割したり、切ったりするのに四苦八苦なのですが・・・。
なかなか進まなくて、自分でもうんざり。
軽快なテンポがありません。
ノリの悪さが伝わっているかも知れませんが、
マレーシアという国が、自分流に、つかめていないもどかしさと、
ひょっとして、足のこともあり、あまり快調ではなかったのでしょうか・・・??
体って、大事だと、痛感しています。


人々の交差する街~マレーシア ①

2009-11-10 | 
マレーシアに行ってきた。

行き先を選ぶコンセプトは、最近では、「行ったことのない、未知の国」。
同行人たちは、本当は、隣国のブルネイと、奥深いジャングルに行きたかったらしいが、
私の足事情もあって、マレーシアで勘弁してもらった。
手続きしようとすると、危険国として、注意を促された。
東マレーシアで、イスラム過激派が、外国人を狙い、誘拐する事件が発生している、
とのことだった。
マラッカの海賊事件も多発と聞き、ちょっと、シャレにならないなぁ、コワいやん、、、、と思った。
以前にバリに行った時も、大型地震&津波が発生し、
多数の犠牲者が出た直後だったので、旅行を決行すべきか、迷った。
今回も、全治1か月半の骨折指足を引きずりながら、かなりブルーな出発だった。



旅は、飛行機の揺れ具合で、印象が決まる、と私は思っている。
ビジネスクラスは、ガラガラで、3分の2ほど、席は空いていた。
キャビン・アテンダントたちは、とても美しい笑顔を惜しげもなくふりまいてくれた。
あの笑顔は、ホンモノの笑顔に違いない、心の底から湧き出る笑顔なのだ、
取ってつけたニセモノの笑顔のわけがない、と勝手に決めつけ、感激した。
極上のホスピタリティで、旅の第一印象をぐっと上げてくれた。



行きは、揺れは、全くと言っていい程、無く、快適な空の旅となった。
帰りは、多少揺れたが、疲れと、夜間飛行ということもあって、爆睡していた。
爆睡と食事の合間に、せわしなく、シートのサイドに内蔵されているパーソナル・モニターを立ち上げ、
松田龍平主演の映画「蟹工船」(近年、再燃、プロレタリア文学の代表作/原作・小林多喜二)を観ていたが、
後半は着陸のため時間切れとなり、最後まで観れず、その後の展開が気になった。
気圧の変化のせいか、骨折部分が、少し痛み、不安に襲われた。


マレーシアの面積は、日本の9割弱。面積の4分の3が、森林と湿地帯。
約人口2657万人、いろんな人種が、混在、共存している国。
マレー系66%と、中国系26%、インド系8%による人口構成だ。
現地では、西洋人は見かけたが、日本人の姿はあまりなかったように思う。
と言っても、中国系現地人と、日本人の見分け方は、ガイドのリンさん曰く、
ポイントは、メガネと、バッグだそうだ。
私は、身につけているものと、ファッションセンスで判断する。
若い人なら、流行はほぼ同時だが、服装のコーディネートの仕方で、わかるようだ。

ガイドさんは、中国系の人で、マレー人を優遇する政策には、不満を持っているようだった。
政治の話は、タブーだと、ガイドブックに書いてあったが、
旅行中に、あれこれ見聞きしているうちに、その事情がわかるような気がした。



ホテルは、シャングリ・ラ クアラ・ルンプールを選んだ。
豪華なホテルで快適だったが、2階のテナントが空いていて、ちょっとショックだった。
豪華ホテルよりも、ショッピングセンターのほうが、盛況で、客足も多く、
今後、期待できる有望株だから撤退したのだろうか?
クアラ・ルンプールの中心地、KLCCのショッピングセンター、スリアKLCCに、
電車で行ってみたが、活況を呈していた。
日本でも、こういった活気はあるのかなあ・・・などと思ってしまった。
伊勢丹や紀伊國屋が入り、お馴染みの伊勢丹のショッピングバッグを目にすると、
関西に住んでいると、日本より、東南アジアに行った時の方が
伊勢丹や、そごうは、身近だと感じる。



入国時に、990MR(マレーシア・リンギット)以上持ち込むには、
申請書を出さなくてはいけない、とのことで、面倒なので、990MRしか換金しなかった。
現地払いとなっていたオプショナルツアーの経費を差し引くと、
手元に残った現金(MR)は、なんと200MR(約6000円)のみ。
電車代は、すこぶる安かったからいいものの、お土産を買うにも、
計算しつくして買わなければならなかった。
その結果、今回のお土産は、実に僅かとなり、
昨年のベトナムのように、輸入バイヤー旅行というわけにはいかなかった。
MRに換金しなかった残りの円も、そのまま持っていったが、
ホテルの部屋のセキュリティ・ボックスに眠ったままとなり、
お金でモノを買う代わりに、
目と脳に、印象に残る映像をしっかり焼き付ける旅となった。
(つづく)




無念の旅 郡上八幡 ③

2009-10-28 | 
岐阜城は、金華山ロープウエイを上り、さらに、足で登って行く。
参加者にはご年配の方もおられ、進むスピードの違いから、2グループに分かれた。
私は、はぐれてはいけない、と、あまり熱心には城内の展示物や景色等に見惚れず、
あっさりチェック、さささと、付いて行った。
急こう配で足場も悪い山道、参加者のお一人は、ハイヒール・パンプスにストッキング、
もうお一人は、ハイヒールの細身ロングブーツ。
お二人とも、奥行きの狭い、急な階段状の石段を、器用にカニ歩きをされていた。
私は、クッションのいいスニーカーで、スイスイ。
その時ばかりは、この靴にして、ヨカッタと大満足だったのだが・・・。

 

朝の出発時の失敗があったものだから、もう、2度と再び迷惑をかけてはいけないと
決死の覚悟で、郡上八幡の旧街散策あとの集合に、足を早めた。
ところが、パーキングには待機しているはずのバスがない。
あれれ?あれ?あれ? どこ?どこ?どこ?
ぐるぐるぐる・・・パーキングの周りを右回り、左回り、右往左往。
さっき、同行のTさんをちらりと見かけたはずなのに、どこにも姿がない。
ぐるぐるぐる・・・何度も回っても同じ。
もう集合時間までに2分ほどしかない・・・!! うそぉ・・そんな・・・

必死で探していたら、突然、足元がぐにゃっとした。
そこに負荷がかかり、すごく嫌な感触が伝わる。
同時に足首が意に反して予期しない方向に曲り、体がガクっと傾いた。
トートバッグが、肩からずり落ち、体ごと地面によろりと崩れ落ちた。
次の瞬間、左足に激痛が走る。
いったい、何が起こったの???
この感覚・・・2年前にもこんなことがあったけれど、
ま、さ、か、・・・まさか、また同じことじゃないよね??
デジャブ?
蘇る体験が、脳裏をかすめた。

なにがどうなったか、わからないけれど、立ち上がり、
足下の歩道と車道の境目にある、斜めになった段差をちらと見た。
ひょっとして、これ?
悪い予感はとりあえず、しまっておいて、全力でバス集合場所に向かった。
バスは、もうひとつ向こうのバス・パーキングに停まっていた。
やれやれ・・・よかった・・・
その時は、安堵と喜びで、足のことは、吹っ飛んでいた。

が、帰路、サービスエリアに降りて歩いたら、痛くて、ひょこんひょこんと、片足重心歩行に。
痛い方の足をアンバランスに引きずる歩き方になった。
時間が経つにつれ、足の症状を冷静に見るにつけ、それに伴って徐々に頭が反応してきた。
悪いのは、中途半端な段差? それとも靴?(あの山道悪路も持ちこたえたのに)
あるいは、私の足? 焦るあまりの不注意?
追い込まれると、機能停止、危機管理能力ゼロの弱さが露呈された。
理由はともかく、現実問題として、
左足小指が、ちょっとでも動かしたり触れたりすると、尋常ではない激痛に襲われる。
どうやら骨折したようだ。

即、頭をよぎったのは、ダンス。
この足が治るまで、ダンスはできないということ。
フィットネスやスイミングもできないけれど、それは、まあ、いいとしよう。
ダンスTeacherアポロンにさっそく、個人レッスン、キャンセルの電話を入れる。

「怪我は長引きますから、十分、療養してください。
  僕のことはいいですから。」
その声を虚しい気持ちで聞いた。
不可抗力などと言い訳はしたくない。
大好きなダンスを続けたいなら、自己管理を、自己責任で行うべきだ。

それもさることながら、立て続き、国内外旅行が1週間後に控えている。
こんな足で、大丈夫なのか???
この旅行、最初の滑り出しから悪い予兆があり、暗雲が立ち込めていたようだが、
今、私は、こころの中は、まっ黒な闇になっている。





無念の旅 郡上八幡 ②

2009-10-27 | 
長良川温泉、宿泊は清流・長良川に面する、創業150年の老舗旅館。
露天風呂は、ほの暗い明かりに、お湯も濁り湯なので、足元も見えず、
恐る恐る、ぬるぬる滑るなか、足で探りながら入る。
大きな段差も、あちこちにある。
足元がおぼつかないお年寄りなら、かなり危険だ。
ここで滑ったりしたら、目もあてられない。
これは、まあ、クリア。露天風呂を堪能する。
ほっ。まったり。ほっこり。
夕食をあんなに食べたのに、二次会もたっぷり、食べる、飲む。
すごい食欲だ。
私は本当に緊張しているのか???
酔っ払うほど飲んでいなかったが、
皆さん、翌朝ゴルフを控えているため、早めにお開きとなった。



翌朝は、男湯と女湯が入れ替わっているので、昨夜とは違うお風呂で、朝湯を楽しんだ。
夫たちのゴルフ組は、早朝出発だが、
観光組は、旅館出発までには、時間はまだまだある。
一人でゆっくり朝食を食べ、、のんびり部屋でくつろいでいた。
そろそろ準備にとりかかろうかと、歯磨きをしはじめたばかりのところに・・・
トントントン・・・
「皆さん、もう、9時に玄関前で待っておられます。降りてきてください」
と、添乗員さん。
え??
時計を見ると、9時を過ぎている。
スケジュール表には、9時40分となってたけれど・・・???
荷物という荷物、すべて、部屋のあちこちに、ひっ散らかしたまんま、
セフティ・ボックスにも貴重品は入れたままである。
これ、どうやって、開けるんやった??? 

コ、コンタクトレンズが取れない!!
コンタクトレンズ・ケースは、どこ?
着ていく服はどこ? コートはどこ? クローゼットには何が入っている?
そんなことで迷っている暇はなく、大急ぎで、バババババ!!!!と仕度。
大切に使っているミニバッグも、形を整える余裕もなく、グチャーっと押しつぶす。
服もコートも靴も、ぐちゃぐちゃに押し込める。
そういうときに限って、バッグのファスナーが締まりにくかったり、イライラ。
ギューギュー詰めて、慌てて閉めると、ファスナーに指を噛まれた。

ふーふーいいながら、バッグを左右に振りながらフロントに降りて行くと、誰もいない。
皆さんは、すでに外に出て、全員集合。
人待ち顔の、顔、顔、顔。
「すみませぇ~ん」
私の弱々しいマヌケ声に、皆さんの、し~~ん、とした反応が痛い。

あとで、同行の知り合い、Yさんに、
「9時集合なんて言ってました? スケジュール表は、9時40分でしたけど」
と小声で訊ねてみると
「あら、おっしゃってましたよ。はっきり2回、説明されてましたけど」
と、きっぱり、クールなお返事に、私は、しゅーーん。
そんな説明、いつあった?
全く記憶にない・・・なぜなんだろう???
(つづく)

無念の旅 郡上八幡 ①

2009-10-26 | 
夫の仕事がらみの団体旅行に参加した。
日頃、お付き合いしてない皆様との、不義理を解消する意味もあり、
仕事の延長といった、緊張感を併せ持つ旅だ。

先発の夫とは別行動、後発の私だったが、
まず最初に、バスでつまずいた。
これがことの始まり。元凶だったかも知れない。
土曜日は休日運行時間。
そのバス時間を間違え、バスは、とっとと行った後。
頼みのタクシーも、いつもは常駐なのに不在。
この辺りでは、駅方面へは滅多にタクシーは流しでは拾えない。
駅に向かって歩きつつ、不安がいっぱい。
背後から来る車1台1台に、もしかしてタクシーでは?といちいち見たが、違った。
こういう時に、連絡一本で飛んできてくれる車が、あればなあ・・・
土壇場バタバタ、冷や汗ダラダラ。

どうにか駅に向かう途中で、運よくタクシーに拾っていただき大感謝。
運転手さまさまに、後光が射して見えた。いや、ほんとうに。
しかし、これから、まだまだへマをやらかす危険はいっぱい。
次からは、行動開始をさらに半時間前倒しにしないと、命が縮まる、
と、安堵の後にも、自分に引き締めを。
タクシーに乗れず、電車に1本遅れたら、集合時間に大幅に遅れることになっていた。
いやはや、夫に恥をかかせ、関係者一同の皆さんにご迷惑をかけなくて本当に良かった。

と思ったのは、実は序ノ口、プロローグだった。
危機を乗り切った快い疲労感に身を委ねつつも、
あれが、なにかのシグナルだったとは、予想もしなかった。
(つづき)

テーマパークに優る、ホンモノの重み

2009-07-31 | 
去る連休、飛騨にマイカーで行って来た。
予想通り、渋滞に巻き込まれた。



うんと前に私が英語を習っていた頃、
在日アメリカ人教師たちに、とても評判がよかったのが、飛騨高山。
それで、興味を抱き、一度行ってみたかった地のひとつだった。
世界遺産の白川郷も、ぜひ訪れてみたかった。

白川郷は、時空をひとっ飛びした重厚なテーマパーク(みたい)だ。
こういう感じ方、実は、よくない。
美しい花を見て、「まるで造花みたいにキレイ」と感激するごとく
体験より先に情報(シュミレーション)が入ってしまった現代人の受ける、情報弊害か。
情報と実物の、答え合せのようだ。本末転倒もいいところだ。
しかしホンモノに触れ、感激ひとしお。
200年近く前に建てられた、どっしりした合掌造りの家々。
人々の知恵と歴史が刻まれていた。



 

飛騨高山にも足を伸ばした。
古い町並みが続き、美しく整えられている。
これは、ガイジンさんには、受けるだろうと思った。
だって、日本人で、幼い頃から古民家に慣れ親しみ、結構年を重ねた私でさえ、
「わぁ~、古き日本!!」と感激したのだから。

お土産屋さんが並ぶ中にある、飛騨民族考古館に入った。
そこには、お宝がギッシリ。
展示方法や保存方法が、結構ずさんなので、せっかくのお宝が痛々しかった。

江戸時代の御役所「高山陣屋」も見学。
全国で唯一現存する代官所だ。
飛騨の政治、経済、治安など、人々の暮らしに直結するお役所で、
300年にもおよぶ、歴史のお勉強をみっちりした。
(しかし、なぜか忘れるのも早い・・・)


お土産屋さんには、「さるぼぼ」が、所狭しと並ぶ。
これは、かわいい赤い布で作られたお猿さんのぬいぐるみで、
私は初めて知ったが、昔からの郷土玩具らしい。
雪深い季節に、外で遊べない子供のおもちゃにと、各家庭の母親たちが作ってあげたそうだ。
災いが去る(猿)、家内円(猿)満になるなど、縁起の良い物として、お守りとしても使われているとか。
今はキャラクターグッズとして、いろんな色や形、グッズになって展開されている。



高山市の宮川沿いに、明治時代の町家の古い蔵を改造した、女性専用のお風呂があった。
そこに、夜、朝、と、2回入った。
ノスタルジックで、心地よい空間・・・、まったり、お気に入り。
川のせせらぎをBGMに、ひんやりした風にあたりながら、時間を忘れた。
食事よし、お宿よし、眺めよし、
都会の喧騒から離れ、江戸時代にタイムスリップしつつ、
それでいて、活気のある飛騨高山、
美しい自然と街並みに、元気をもらった。