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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

着いて行くだけは疲れます

2022-05-02 | 
写真、いっぱい撮りすぎて見るのもうんざり。
長女は、帰りの新幹線の車内の中で、ちゃちゃっと何十枚もの写真を家族共有アプリにアップしていた。
アプリ共有メンバーは、我々に加えて、長女ファミリー(長女婿ご両親)、次女ファミリー(次女婿ご両親)、、、誰がいつ閲覧したのか、わかるシステムになっていて、各ご両親はまめにチェックされているが、意外に長い時間見ていないのが、長女のお婿さん。
子育てに忙しく、被写体になっても見る暇なしのようだ。
次女のお婿さんは、カメラワークが芸術的。
彼は食にも追究型。(彼の専門分野である関係もある?)

若い人はアクティブだ。
わたしは早朝、露天風呂に行くだけでも、ああどうしようかな、行かないでおこうかな、と、自分の足を出し惜しみ。
次女のお婿さんは、4時にホテルを出て、どこやらの展望台まで歩いて行ってきたようだ。
うーん、起動力が違う。
長女のお婿さんは、(体重は重く、まんまるでよく食べる)まだまだ手がかかる末っ子に振り回されている。
そして、身体に優しいエレベーターを使おうか、わたしが迷っていたら、なんと、長女はあの重い子供を抱えて(ヒモ無しで、だっこ)、急な階段を昇り降り。
さすが、体力あるなあと感心。
子育ては若いうちにするのが良いと、つくづく思った。
おみそれしました。

ばあちゃんは、御隠居さんのごとく、べろべろ、ばぁ〜と、あやすのみ。
25年ぐらいの年齢を先取っている。
自主的にお手伝いするのは、荷物の見張り番ぐらい。
あとは全く手伝わず、見るのみ。
あまりにも見るだけで、状況把握をせずに、市内路面電車に乗る際は焦ったけれど。
ICカード乗車券が関西で使っているものが使える?使えない?と、乗車前に皆んなで話していたのに、わたしは単なる世間話のノリで聞いていたため、自分のこととして捉えてなかった。
乗る時にICカードをすぐ出せるように用意していなかった。
あわわ、あわわ、あわわ、、、
お任せ丸投げしすぎて、「泣き」一歩手前の愛想笑い。
しかもプリペイド残額が足りているかいないかで、電車代を現金で支払わなければならない。
電車代、いったいいくらなの?
どこで降りるの??
まったく行動スケジュールや詳細がわかっていない。

一事が万事。 
丸投げは疲れます。



ひとっ走り

2022-04-29 | 
GW。
びゅーんと、なぜかいきなりくまモンと出会っている。
熊本に来ている。
阿蘇の山々や、広々した水田は、美しい。
自然に触れると心洗われる。
雨があがって良かった。

これで今回は最後かなと

2020-11-26 | 
コロナ感染者数、じわりじわりと迫るものがある。
今期最初で最後になりそうだが、GoToキャンペーン、行ってきた。
結構、賑わっていたのに、残念な思いである。
しかし、予約時間を過ぎても宿泊ホテルのレストラン、個室の席に着いたまではよかったが、あまりにも食事が提供されるまでが長かった。
先に注文したアルコールも勿論、出てこないので、30分、ぼーっとただ座るだけで時間を持て余した。
せめて水か、飲み物だけでも出てくればよいが、手が足りないのだろう。

まだ座れるだけマシか。
スタッフの数が足りないのだろう。
今回は一段落、最後と思われるが、急に宿泊数が一気に増えて、日頃とのギャップの調整が出来ないのだと推定する。

客室に置かれていたアンケートに、その旨をしっかり書いておいた。
辛口ではあるが、歯が浮くような甘いことばかり書いても改善には役に立ちにくいと思い、苦言を呈した。
が、このウイズコロナではどことも厳しい現状である。

帰りは海にかかる橋を見ては、ハリウッド映画を連想し、向こう岸の、陽光に照らされキラキラする海に映える白い街並みを見ては、ギリシャみたい、と思い、徐々に高層ビル群に近づくと、ニュヨークに降り立つ、わくわくしながら新天地に夢を馳せる、ひと昔の人みたい、、、と、ひとりではしゃいでいた。
淡路島は、京阪神から近く小さく便利。

淡路島
通う千鳥の鳴く声に
幾夜目覚めぬ須磨の関守

と、長女が孫たちに句を教えていた。
わたしは、学生時代は毎日、教室の窓から、行き交う船を眺め、のどかな海原風景を見て、授業中はひねもすのたりのたりかな、と、自らも舟を漕いでいた。

廃校になった元小学校をリノベーションした複合施設「のじまスコーラ」は、明るい軽妙なイタリアンテイストで、こころもポップ。
さすが、パソナ。アイデア勝負かなと。





いつものワンパターン未来日記を書く、小2孫は、帰って来るなり、なかなか良い作文を仕上げていた。
家族中で絶賛した。
途中でぶつ切れで終わっているあたりが、文学的仕上がりになっている、と、彼の父親(娘婿)が褒めていた。
作文は食卓で書いていたため、目の前に出されたお皿に手が伸びるのを我慢しきれないと、ああいった文学作品が生まれる。
完結を放棄して食い気に走っているだけではあるが、いたって健康的である。


2020-06-29 | 
旅の記事を目にすると、何かがわたしに訴えてくる。
わぁ〜っとだったり、じわ〜っとだったり、しっとり、しんみりだったり、、、。

旅情というには畏れ多すぎる、わたしの感想。
わたしの思いは小学生日記のほうがぴったりくる。
理由を推測してみると、知識不足に尽きる。
小学生の時から社会科が不得意だった。
特に地理は無人島に一人で住んでいるかのように悲惨。
今では地理はすでに鉄道マニアの小学2年孫Aに追い越されそうな勢い。

地理や歴史にうとくて旅をすると、
わあキレイ、だの、あらスゴイだの、感嘆詞ばかりが目に映りこころに焼きつく。
客観的に説明が出来ない。
3D映像に自分がドッキングしている体感体験。
現地の自然と一体化しているような気になって、わーわー言っているだけ。

それに加えて、夫。
彼は旅の全てを人まかせにする。
個人旅行にせよ団体旅行にせよ、旅行業者に、行き先の国と日程だけから選んであとは丸投げ。
有名な景勝地や、美術館に絵画を見に行っても、知識と現物の「チェック」をするに過ぎない。
なんて言っているわたしは、どうなんだ?
場所、地名すらもわかっていない。
これは旅と言えるのか?
テレビを見ているかの如く。
与えられ用意されたレールに乗るだけの参加型?

でも、学校の教科書やテレビ、映画などで見る地に自分がいることは、脳を直撃する何かがある。
だが、自分の心身に消化、吸収、昇華され、仮に記事にしたとしてもお粗末なものになる。
ぜひ行ってみたいと思える旅の記事を書く人は素晴らしい。

旅記事には二通りあると思う。
行き方、ノウハウ、役立つ生情報がぎっしり詰まったものと、かたや主観色が強いもの。
読む側としては情報が知りたいのは山々だが、行った気にさせてくれるというのも重要な要素かと思ったりする。

元仕事仲間Fさん。
(直近の蝶ブログ記事に登場する人物ではない)
この人は、バックパッカー。
旅は手作りでないと旅ではない主義。
飛行機や電車を降りた後の移動は徒歩。
なので、歩く距離も半端ない。
宿の部屋に戻った瞬間、疲れ果ててリュックを背負ったまま、ベッドに仰向けに寝てしまった亀の甲羅返し経験を持つ。
靴ももちろん履いたまま。

彼女は去年の秋にイタリア、シチリア島に行き感激していた。
ご主人も同時に旅行したが、現地、ナポリ?で一瞬合流しただけで、あとは、二人バラバラ行動。
それも「せっかく旅行に行ってるんだからご主人とどこかで落ち合ったら?」と知人の言葉を受けてのことらしい。
いかにも彼女流。

息子さんも旅行好きで、アクシデントもいっぱい。
旅先で通過国での地で集団スリに遭いパスポートを盗られ入国困難になった事件はちょっと困ったようだ。
また、その時は日本への帰国時間がずれ込み、帰国後、海外出張同行を予定していた上司が日程が確約出来ずヤキモキしていたとか。
去年末も飛行場での手荷物検査で別国青年がリュックを取り間違えてお互い別人のリュックを持ったまま、それぞれの目的国に降り立った。
手元に戻るのは帰国日に近かったらしく、リュックには衣類全てを詰めていたので旅先では不便だったようだ。
衣類ぐらいはなくてもどうにかなると息子さんは言うものの、下着をはじめ一から買い直さないといけないし、防寒着も必要だろう。
だが、あんまり細かいことには拘らない様子。
若い人は身軽で羨ましい。

ちなみに、、、
観光資源の豊富な観光立国は、環境維持と観光収入のバランスが難しいと思われる。
重要文化財指定地区になると、周りと調和しない勝手な建築は許されないだろうし、補助金は出ると推測するが修復もかなり費用がかかる。
だが、何世紀もの間、保存維持されている街や景観は、自然災害や戦争から難を逃れた幸運と努力の賜物。
古いヨーロッパの街並みには、無意識下で醸成されたわたしの憧れが詰まっていると感じる。
が、待てよ、、、とよくよく考えると、若い頃と今では多少、憧れの質が変化している。
視野を広げ、自分の住む地、周辺を見てみると、快適な暮らしを支えるために税金が投入され整備されている。
こんな風に書くと、市役所の広報部の人間のように思われそうだが、、、。

さらに、夫の実家のある歴史地区においては、身近過ぎて日常過ぎて、憧れは詰まっていないが、風情ある趣のあるものではないか。
外国人の目で見たと仮定すると、なかなか渋い。
アジアの人々は同じ仏教なので珍しくないが、西洋の人にとっては興味深いものであるようだ。
多くの欧米人が訪れている。

日本各地、景勝地や名所はたくさんある。
とりあえず心身健康で足腰が動くうちにと、優先順序として遠くの地から旅しているが、日本国内にも目を移すと、刺激を受け、見識に深みを増し、こころ和ませてくれる所がいっぱいあると感じる。
コロナ禍が終息したら、これから先、訪れたい候補地をポケットにいっぱい詰め込んでおきたい。
たとえ実現しなくても、ポケットが膨らんでいるのを感じるだけでも楽しい。

と言いつつ、やはりまずはバイタリティがあるうちにしか行けない所から先に行きたい。
そう思うだけで、なんだか身体から元気が湧いてくる。
だが、世界中が元気にならないと、自分だけではどうにも出来ない。
その上で、自分の心身の健康と、心配事を抱えていない状態が合致して初めて実現の運びとなる。
いつでも出来ると思っていても、いつでも出来るわけではない。
自分を喜ばせるには受け身ではなく頑張って能動的にならないと、チャンスは知らないうちに逃してしまう。
知らなければ知らないで、それも良いのだが。
(どっちなん!?)

つらつら書いていたら、ちっともまとまらなくなってきた。
小学生日記のほうがずっと潔い。







咲き誇る花々、ここはどこ?

2019-11-25 | 
ばはなの里?  カリブ海?
ばななの里? 南国フルーツ?
なはばの里? なに、それ?
はばなの里?  こんな感じ?
なばなの里?  いや。これか?

なにしろ、そういう里に行った。
空には富士山がUFOみたいにクルクル回る飛行物体。
そんなかたち、システムの展望台もあったが、時間切れで乗れなかった。
(写真があれば、わかりやすいが、あいにく、撮らなかった)
バスガイドさんが、「ここから富士山が見えますね、あれが、展望台です」とバスの中で説明してくれて、頭のなかが、思いっきり???で満たされたが、なるほど、そうだったのか、と、後でわかった。
しかし、なんで富士山なの?
多少、疑問は残るが、印象、記憶にも残る。
メキシコのカンクンにも似たような回転昇降型展望台があった。
面白いです、、、

ばはなの里へ、いや、なばなの里へ行ったのだが、ベゴニヤが圧巻。
お花が大大大好きな私はには、申し分ない楽しい時間だった。
バラも日本庭園風も、色々、人の手がたっぷりかかっていた。
ゴミもチリひとつもない、しかも、少しでも枯れた花は、即座に切り取られ、美しく咲き誇る花々だけが君臨、競演していた。
北海道に2016年、道内を南北縦断して見た、5つの広大なガーデンがオーバーラップした。
色々見ておくものだ。
目の前の花々が、何十倍にもなって大合奏を繰り広げてくれる。
ただし、花に全く興味のない人(特に男性に多い)にとっては、まるでつまらないと思うが。
趣味が同じ、同好の人と回るか、あるいは一人でツアー参加して回るか、、、好きなものを存分に楽しめるのは、最大の喜び時間である。

なんといっても、わたしは、自分の家、敷地内ガーデンだと(なかば本気で)思って、見て回った。
ガーデン職人さんに、ちょっとお給料をあげてあげないといけないなあ、でも不景気だし、、、ごめんね、うちのガーデンに勤めてもらっているせいで、お給料も安くて、、、今日、見た分には良い仕事が感じられましたよ、
と、脳内では勝手にシュミレーションが展開されている。
本格的に認知症になっても、いたってすんなり夢の世界に以降しそうな、シャレにならないジョークである。

桑名市にある、1870年頃、創業の老舗料亭に寄った。イタリアンランチに、スパークリングワインと赤ワインを楽しむ。
この邸宅料亭、これまた大好きな風情、テイスト、雰囲気。
よくぞうまくリペア、リフォームしてくれましたね、とまたまた、女主(あるじ)になった気分。
どこへ行っても、すっかりその気になれる、感情移入が至ってスムーズに簡単に行うことが出来るようだ。
(映画を観てもそう。七変幻に忙しい)




















※画像、うまくいかないみたいなので、次の記事に写真だけ貼り付けます。
(ダブっているかも?)
さわっていて、また記事が消えたらショックなので、とりあえずは、このままで行きます。
気が向いたら修正、補修します。
(いい加減なあなあ主義、、、)



透明人間、秋の小旅行

2019-11-23 | 
今、伊賀に来ている。
恒例、夫の仕事がらみ旅行。
よく飽きもせず、毎年毎年、参加したものだ。
少なくとも10年以上にはなる。
参加していない奥さんも多数いるし、最初のうちは、嫌で嫌で仕方なく、渋々、義理参加だったが、慣れてきた。
夫への家庭内営業。

参加者は、ゴルフ組と観光組に分かれて、大多数がゴルフ組。
夫婦で観光組のペアもだいたい1〜2組いる。(今年は1組)
が、うちは、毎年、別々。別行動。

ちなみに、わたしなんかは、参加の皆さんとは、職業は違う、仕事地には住んでない、そもそも、なんの接点もない。
が、透明人間を続けていると、それなりに、「元気で参加することに意義がある」を実践するに至る。

元々、単独行動が基本スタンスのわたしなので、ひとり離れて観光でも、なんの問題もない。
交流といっても、最低限の挨拶のみ。
なにしろ「参加する」ことで、わたしの役割は全うされているとわたしは捉えている。(愛想が悪かろうが)
○○さんの奥さん(わたし=スロー)大人しくて、居るか居ないか、わからないね、と思われていることだろう。
べつにそれでいい。
わたしは、貸切バス内での飲食サービスを専属のバスガイドさんから受け、いたって少人数を率いる添乗員さんの引率で、秋の風景を楽しみ、美味しいものをいただく。
黙々と。
わりと、嫌ではない。
皆さんの職場話を聞きながら、マイペースで食べたり飲んだりして、おしまい。
職業も職場も違うし、ゴルフもしないから、共通の話題なんかない。
無理やり笑顔を作って話しかけなくても、自然体でわたしは、そこにいる。
自分から何も発信しないから、言葉を理解してるんだか、してないんだかわからない、認知症でも気づかれない。異邦人みたいに思われているかも知れない。
十数年後には本格的な認知症のわたしが、にっこり微笑んでいることだろう。
今と全く同じ様相で。
でも一応、会に所属している参加者の家族だから、まるっきりどこかから紛れ込んできた、アカの他人ではない。

もうすぐ、夕食タイム。宴会。
二次会はパスして大浴場に行きたいなあ、、、しかし、わたしの希望は叶えられるかな?
場の雰囲気によっては、二次会にも参加し、さらに寡黙ぶりに拍車がかかることだろう。
よくこんなので居心地が悪くないね?と自問。
昔から、夫の職場の仲間たち(先輩、同年、後輩)はこんなかんじ。
奥さんなんかは、参加しているだけでよいのだ。
妻は、刺身のツマ。
わたしも頑張って合わそうとか、無理しない。
ツマはツマの役割で良いと考える。
刺身がメイン。

明日は散策とランチ。
ゴルフ組は、朝早い出発、ごくろうさま。
わたしはゆっくり、おひとりさま朝食のあと、観光組の知り合いの皆さんと、付かず離れずの距離感で、のんびり秋を満喫する予定だ。

明日撮るスマホ写真が、アップできるかも知れない。

消えた、続・続・老婆の、わたし

2019-11-10 | 
昨日、消滅したブログ記事。
「永遠の門  ゴッホの見た未来」を観たことなどを書いた。
続・続・老婆の、わたし、として、あれこれ書いた。

雨戸を開けたり閉めたりして過ごす小さな部屋をイメージしていると、ゴッホの晩年を過ごした部屋に結びつき、一昨日、封切り初日に観た、ゴッホの映画が頭に浮かんだ。
2013年、何度目かのフランス。ゴッホの、その二階にある部屋に足を踏み入れた時の印象は、、、
日本人って、フランスが好きなんだなあ、、、と。
なぜなら、その家の一階に設置された大型モニターに映し出される映像に添えられていた説明文は、フランス語、英語、日本語だった。

自分のパリブログを後で見てみよう。
おそらくそのことは、書いていないと思う。

ゴッホが描いた絵の被写体風景や建物を前に、ゴッホが見た角度で作品のレプリカが、現地に設置してあった。
これは、面白い教科書、テーマパークのようで、少し観光局の手が入った商業的匂いはするものの、よい勉強にはなる。

ゴッホのお墓にも行き、地元食堂でランチ。
一生、忘れることはない、楽しい思い出だ。

それより前の別の年には、アルルの精神病院跡にも行った。
アルルの、制作スタジオを兼ねた小さな店で、美しいテキスタイル作品を見つけ、買い求めた。
商談にあたり、こちらの要望には全く屈しない制作者であるマダムは、とても誇りを持っていた。

思い出は、宝物だ。
やはり、身体が動く間に、目が見え、耳が聞こえるあいだに、自分のメモリーをストックしておくのは貴重だと感じる。



眠気には負ける

2019-05-07 | 
11年前と10年前に、先週行った所と同じ場所に行っていた。
娘が子供の頃使っていたサンリオのミニ手帳(お下がりでわたしが二次使用)に、書き記していた。
日時、行動、買い物、食事、支払い金額、その日の装い(ド下手イラスト)、チップ。
それだけしっかり(しかし、自分でも判読不可能な崩れた文字が多いが)書いているのに、あんまり覚えていない。

動きようのない事実としては、
うちの冷蔵庫にマグネットで付けている小さな布製のマスコット人形(これを毎日、冷蔵庫を開ける度に目にしているわけだが)11年前に、お土産屋さんで手に入れたもの。
そのマスコット人形と同じものに、一昨日、何店かのお店で再会した。
ああ、やっぱり、わたし、過去に来てたのね。
忘れたわけでは決してないが、鮮明にすべてを覚えているかというと、自信はない。
だが、当時、バッグやアオザイ、袋物はたくさん買ったし、今も愛用していたり、使わないでストックするだけだったり。
まあ、いろんな出来事が手帳を通して蘇ったわけだが、じつは、その手帳、今回も持って行っていた。
パラパラと何ページか、さかのぼれば、前に行った時のことが詳しく書かれているのに、すっかり忘れ、見もしていない。
いかに今回の旅行に、わたしが気合をいれていなかったか、ということだ。

と、だらだら長々、書くことでもないのだが、、、。

気合を入れていない、脱力しすぎの旅記事のアクセス数が予想をはるかに超え、不思議な気分になっている。
2日も続くが、何かの間違いじゃないかと、不信感も、いつものごとく。
明日になれば、またいつも通りだろう。

旅以外に、アクセスされた過去記事を見て、どきりする。
わたし、キツイなあ、、、
グサリというよりは、キリで突くように思いをぶちまけている記事。
なんとまあ。
自分ながら、恐ろしい。
いったい、何に対してこんなに憤っているのか、意味不明な過去のわたしだ。

日本はわたしの生まれ育った国。
日本語も通じるし、貨幣は円だし、生活しやすい。
外国に行くと、全てが通じにくい。
文化、風習、慣習、感覚、行動、、、。
初対面の人々と時間を共にするのが、刺激的だと喜びを感じていた頃が懐かしい気さえする。
違いや変化を刺激と捉えるか、疲労、ストレスと捉えるか。
変化のないことを退屈と捉えるか、安らぎと捉えるか。
歳のせいもあるだろう。
いよいよ実質的お年寄りの仲間入りか。
自分の落ち着き先、落ち着きどころが手探りで見え始めたように思える。
自分の居場所。

ただし、面白い揮発剤にはなったようだ。
なぜなら、帰宅して突然、身体が勝手に動き出した。
家の中をゴソゴソ、片付けてみたり。
家事とはまた別の何か、断捨離とも違う何か、その何かのやる気が起きたような。
いろんな国のことにも興味を持った。
そりゃあ、当たり前だ。
自国を飛び出して、海外に旅行しているのだから。
目にしたもの&ことは、自分の耳や目からの映像だけでなく、そこを基点に触発され、想像が頭を駆け巡る。
説明してくれる人がいないから、自分で調べるか、考えるかしかない。
世の中を見て、みなさん、そうしているのだろうか。
ニュースや解説を聞いたり、本を読んだりインターネットで調べたり、誰かのツイッターやブログを読んだり。
自分の身近な身の周りで起こったことだけが自分の世界なら、、、それはそれで幸せ。
わたしは、毎日の生活、日常である、当たり前として映る、小さな限られた空間だけのこと以外にも興味がある。
これからの、わたしの行き先(収まり先)にも興味がある。
旅は、たんなる非日常の創造だけでなく、自分の未来への架け橋でもある。
その未来がなにも輝かしい右肩上がりのものでなくてもいい。

またまた眠くなっきた。
今日の記事、まとめもせずに、おやすみなさいへの誘惑。
眠気が突然襲ってくる、抗えない。
寝る子は 育つ、、、しかし、ツルツルの脳味噌、少しぐらいザラッとするんだろうか?





10年ひと昔、おさらい、復習。

2019-05-06 | 
帰ってまいりました。
やれやれ。
ただいま、成田から地方空港へ乗り換え待ち時間中。
空港は、Wi-Fiが、繋がるからいいなあ、と。

2011年、2013年にパリに行った時は、重いiPodをどこに行くにも、えっちら、ほっちら。
今はスマホ。雲泥の差。
軽量化したら、ブログの中身も著しく軽量化。どんまい。

日本に帰ると、ほっとする。
ひょっとして、ほっとしたくて、わざわざ遠路遥々、行った?
今回の旅、ひと通り、どのコースも10年ぐらい前に行ったことがあるので、ビフォー アフター的なかんじか。
街もさることながら、わたしも。
10年経つと、わたしも劣化する。
ベトナム戦争後、着々と復興を遂げ、活性化、経済発展を目の当たりに感じ取れる街もある。
逆に、さびれる街もある。

帰路、またまた飛行機内、ななめ前のお方、あちらのお国では、どうもそこそこお偉い重鎮らしい。
CAが至れり尽くせり甲斐甲斐しく世話を焼くので、最初は、弱って何も出来ないご老人かと思いきや、、、
降りる時のお姿は、服装もぴしっとしていて凛々しかった。
お世話には二通りあるようだ。
介護と、VIP。
わたしには紙一重に見える。

さて、
このたびは、行く前も、行っている間も、帰ってからも、まるでなにも考えなかったので、脳みそのツルツルぶりを体感する旅となった。
これ、頭を空っぽにするのは、禅の精神に通じるそうだ。
ただし、元に戻っても同じ空っぽ頭は、ただのパープリンかも知れない。