とにかく、パソコンや文章・聞き伝え等でなく実践に因る苦い失敗が間違いも紆余曲折も理解させる。間違い探しに効果的なのがその都度の掃除。これでオオヨソの通った道が判るし進み方も判る。料理人が修行時代に鍋に着いたソースを繰り返し舐めて理解するのと同じ。一日の片付けでその日の様が思い出され、明日以降の糧にする訳だ。店内の清掃でも、何故?毎回にこの食材が溢れているのかを発見出来たら策を講じるでしょ?そこですなっ!発見ー理由ー対策の繰り返しです。だから、何十年も続けている清掃でも方法が始終変わる。進歩だ。
表現と言えば、オイラは様々な表現の方法を持っている。唯、その表現に至るまでが大変なんだなっ!つまり、表現する術を習得しなくては表現も何も有ったモンではない。その習得にヤオラ10年の修練は必要である。で、その間の紆余曲折・破れ被れ・汗・教授・情報に間違いがないか?という不安を引きずる訳だ。結果的には、間違いも経験しないと達成に導かれないし細やかな積み重ねが無いと到達しないのもある峠を越えて初めて判ります。間違いも紆余曲折も決して無駄ではないと気付くのもだいぶ道を登った後である。間違いの発見術も大事。