マァ、それでも喜が処所に存在する訳だから安心出来る。その「喜」、様々な喜に味わえるのとそうでないのとでは生き様は全く異なる。細やかな喜を味わうのには達成感が必要だが、それには物造りが一番である。物造りには、段階的に数多くの達成感が味わえ最後に完成という到達感も味わえる。要するに、細やかな達成感の積み重ねの修行の連続だ。でも、積み重ねだから最後には細やかでない大きな何かに成る筈。そう思えると大変勇気付けられるし意欲も途切れずに沸いてくるなっ!それは、人との縁の広まりからの会話から再確認した訳だ。
昨夜に話したお客さん、50才代の看護師。三人の子供を育て挙げ義母の介護をし送り今は看護師を続けながら家族仲良く暮らしている。昨日に書いたそのものの実践論であった。細やかな積み重ねが日常に通過する様々な出来事に喜びを感じられる心を育む。と、言っていた。人生の教師だ。幾日か前から寝しなに読んでいる「徳川家康」、様々な名言も残し大権現にも成った。話しは、楽しむの積み重ねた労苦の末のホンの一時である。喜怒哀楽という字だって最後に楽の字がくる。つまり、楽までには喜怒哀が折り重なり有るという事だなっ!学んだ。
以前、飲めもしないで連れられて行ったバーでの周囲の会話。「アレは良い、此は何が悪い」だのと賛否会議であり建設的・創造的・発展的議論ではなく、所有物の使用感論であった。それらの物の創造論であれば素晴らしい論議なのにと思った。でも百人に一人位居たっ!物造り論をする方だ。憧れた。オイラは、その創造性豊かな物造り論に入りたいっ!それには物造りだ。様々を試し相性の良い物造り趣味が、今現在五種類継続出来ている。解決は、物探しでなく物造りである。多くの時間と手間を要するが、その過程で自らも磨かれて行く訳だ。
それと共に、その長年の中に経済情勢つまり景気とか家庭内消費(子育て費の増大)の変化で親の使える金銭は少なく成ってゆく。そこが大きなポイントである。経済情勢の変化で趣味を縮小、廃止にするか?創造性豊かな事柄にするか?思案した。オイラは幸い製造業でもあるから、原材料からの創造を生業にしているから創造性を楽しむ趣味の方向にした。製品そのものを買い求め趣味にするには金銭は何倍も掛るが、原価から手間を掛けて創造するにはそうは金銭は掛らない。処か、自らの創造力や人との縁を広める事を巧みにする事に気付いた。