何千何万回もの修練の過程で見え理解出来る事柄が沢山有って、その何千何万まで続けていないと見えない理解出来ない事柄も多い。「叩き上げ」という言葉があるが人も鍛造されないと本物に近付けません。幸いオイラは、いくつかの事柄を二十年以上続けてそれぞれに対し見えてきた。それらを複合・融合させて更に見えてきたし理解出来る様に成ってきている。つまり、一つの事柄だけではやはり一種類の狭い見え方であろう。アチコチの壁に穴を開ける事で様々が見え理解出来る。好奇心と実行である。オイラは、もっともっと穴を開けたい訳だ。
毎朝の仕込みと掃除で汗が吹き出る。摂取した水分が濾過されて出ている訳で、残りは不廃物かと思えば不廃物は別に出ていくからやはり栄養だ。その栄養も体力維持の為でなく経験や知識などの養いである。共に、頑張れるという精神力と体力の調整の栄養だ。栄養を沢山蓄えなくては…。つまり、修練は栄養の濾過であるから大変に重要だなっ!その事に便利を探求していたら栄養は蓄えられない。やはり不便の追求・探求が必要である。時代遅れの思考かも知れないが、ボタン一つで解決する便利を探求していたら栄養は蓄えられません。どうだ。