常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

毎日一話

2024年07月13日 | 読書
作家、眉村卓氏の妻が、突然の癌を告げられた。しかも余命は、一年と少しということであった。初めの見立ては虫垂炎ということであったが、開腹してから進行性癌が見つかった。1995年6月のことである。手術を終えた妻に、眉村はある約束をした。毎日短い話を書いて妻に読んでもらうことであった。小説家としてきちんと話を作って、妻が満足できるもの書く。400字詰めで3枚以上という条件もつけた。妻は5年以上生きた。眉村が作った話は1778話に及んだ。一日も欠かすことなく書き続けた。「しんどかったら止めたていいわよ」と妻が言ったが、眉村はこのことを辛いと思ったことはなかった。妻の意識は、次第に薄れ、自分の力で読むことができなくなっていく。枕もとで読んで聞かせ、反応を見る日が続いた。

その101話が「作りものの夏」である。初老の主人公が、友人に目が悪くなっていることを話す。友人は、「人間60代になったら、20代の半分も光を感じなくなるそうだよ」と言い、会員制の明るいドームの話をした。若いころの感じになってもらえるように、動く立体映像もとりいれてある。行ってみみて気に行ったら会員になってくれ、と勧める。

ドアの奥のトンネルを抜けたところにドームはあった。「不定形の大きなプールがあり、そこかしこにビーチパラソルやデッキチェアが置かれている。泳いだりお喋りをしている人々の中には、若い男女もいた。プールの向こうは海であった。ここは高台になっているのだ。波がきらめき、真っ白な雲が流れている。そして私を圧倒したのは、光であった。ぎらぎら輝く日光が、空間すべてに満ちているのだ。これは本当の夏だ。いや。それはかって若い頃に私が感じていた夏であった。」

眉村は、この話を同年代の妻は、わかってくれると信じて創った。だが、妻の反応はノーコメントであった。雨の降り方が、様変わりした話「降水時代」。水がどーんと落ちてくる降水、雨ではない。学校の生徒は、この降水に外に飛び出して水浴びをする。学校へは、必ず着替えを持って登校する。降水が終わって水に濡れた服を洗濯するのは妻の仕事。この話を読みながら、妻は含み笑いをしている。
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サシェを作る

2024年07月12日 | 日記
やっと梅雨らしい気候になった。朝の散歩もあまり遠くまでは行けない。家でドライハーブを細かくして、100円ショップで買った小袋に入れて、梅雨時のサシュにしてみた。玄関の壁やクローゼットに吊るし、妻のベッドの枕元にも置いた。ハーブは苗から育てて、花を見たり、香りも一緒に楽しむ。花穂や切り詰めた枝を、吊るしてドライハーブを作りながら香りも楽しむ。クローゼットや玄関など、ほのかな香りが楽しい。高齢者の楽しみには、似合っていると満足している。アロマンのプレイで汗や部屋にさわやかな香りで満たすと、心なしか不快な梅雨時にさわやかな空間が実現できる。

五月雨の晴れ間に出でて眺むれば
  青田涼しく風わたるなり 良寛

久しぶりに山田の稲を見た。田は青々として、稲穂が出るのもも少しのようだ。ベランダのカサブランカの花芽が日に日に大きくなっている。ブルーベリーの実が熟したので、鳥にとられる前に少しだけ収穫した。トマトも少しずつ熟している。野菜や稲も、時の経過とともに、何ごともなかったようにその生を完結していく。人間の生もまた同じように完結に向かって、時が刻まれる。
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ひよこ豆

2024年07月10日 | 日記
玄米を食べるようになってもう30年が経つ。これを教えてくれたのは、作家で料理研究家であった丸元淑生氏の本である。食材と調理法を、国内にとどまらず外国の家庭料理にも学んで、本当のおいしさや栄養学を書き続けておられた。この人の著書が自分の食生活に与えた影響をは大きい。玄米は、水に浸して3日ほど置き、発芽した状態で炊く。米を主食とするなら、その1/5は豆を食べるべきと力説された。白花豆やひよこ豆を知ったのも氏の本によっている。まだ、ズッキーニなどほとんど知られていない頃、デパートの食品売り場で一本200円もする高価なズッキーニを求め、氏のレシピに従ってラタトゥイユを作り、自分の得意料理にしたこともあった。畑を借りて野菜作りをした時代は、ズッキーニの種を撒いて10株ほども育て大量に収穫したもの今ではいい思い出になっている。あれほど食事と病気を説いた丸元氏であったが、10年以上前癌で亡くなられたことは残念なことだ。

豆はなかなか入手がし辛く、枝豆を育てるぐらいであったが、最近業務スーパーで冷凍のひよこ豆の冷凍になったものが安価で入手できる。これを玄米ご飯に入れて炊けば美味しい豆ごはんができる。豆のもやしにはならないが、ひよこ豆の味は堪能できる。ネットでま缶詰の豆も入手できる。最近の温暖化で魚の水揚げもままならないが、たくさん獲れた時期に缶詰にしたものが安価で安定的に入手できる。これからは旬なものは自家栽培か、里山での山菜。漁港まで行って大漁のものを安価で求める。正規の販売ルートに乗っているものだけを求めていては、毎日の食事にことかく事態が迫っている気がする。

氏の本を開くと、ひよこ豆のカレーのレシピが出てくる。材料はひよこ豆1カップ、トマト1個。玉ねぎ1個、ニンニク1片。オリーブオイルで薄切りにした玉ねぎを炒めしんなりしたらトマトを加えてつぶしなが煮込む。さらに芽出ししたひよこ豆を加え、豆が煮えるまで弱火で加熱。塩と唐辛子粉、カレー粉、ターメリック、生姜をスリおろして味を調える。丸元氏は、このレシピは芽出ししたひよこ豆のおいしさが決めてと書いている。そのうち、ネットでひよこ豆1頃、1000円前後で調達して、このカレーに挑戦してみる。

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トマトの収穫

2024年07月08日 | 日記
ベランダで育てたミニトマトが色づき、今日初めて収穫した。大小あわせて九つ、赤い色が輝いている。「仏壇にあげて。」と妻が言う。燈明を点じ、線香を焚いて器のトマトを供える。生きていた時代は、みんなトマトが好きだった。自分はトマトを見ると、子どもの頃の記憶が浮かぶ。友達の家に遊びに行って木で熟したトマトを捥ぐ場面だ。トマトの特融の香りが、もぎたてのトマトから立っていた。ドキドキしながら捥いだことを。この年になってもあざやかに思いだす。トマトには貴重なもの、もったいないものという思いがいつまでも残っている。

イタリア料理の本を開くと、イタリア人は実にトマトを食べる。ミニトマトは「ポモノドール」と呼ばれて、料理によく使われる。日本では生食用が主だが、イタリアでは生食用と料理用があり、使い分けている。因みにトマト缶も料理用に重宝されている。この缶詰を常備しておけば、いつでもトマト料理が
食べられるわけだ。トマトと相性のいいものにバジルとニンニクがある。スパゲッティのトマトソースにはどちらも欠かすことはできない。我が家ではトマトを入れた野菜サラダに、ベランダで育てているバジルの葉を加え、ニンニクは冷凍にして常備している。

イタリアンの本にトマトソースのレシピがあるので紹介しておく。材料「トマト水煮缶1と1/2、オリーブオイル大匙2、塩小匙1、ニンニク1/2片、バジル少々」①トマト缶をボールにあけ、固い種やヘタは取り出す②ニンニクは薄切りにする③鍋にオりーブオイルとニンニクを入れて火にかける。ニンニクが色づき始めたら取り出す④トマトを加え、ヘラでザクザクつぶし、塩を入れ20分煮込む⑤火を止める5分前にバジルを手でちぎってくわえる

これで本場イタリアのトマトソースの完成。茹で上げたパスタにからめるとスパゲッティが完成する。ゲランだで生ったトマトも加えれば、自家製のものを食べる楽しみが増える。
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真夏日

2024年07月05日 | 日記
30℃を超えると真夏日、35℃を超えると猛暑日。気象庁が決めた言葉らしい。昨日、静岡で39.2℃という記録的な高温が出た。テレビは危険な暑さ、という言葉をつけ加えている。因みに熱帯夜は夜間の最低気温が25℃以上の夜をさすらしい。こんな夜は、エアコンをつけて涼しくしないと熱中症になる、と何度も警告のような放送が行われる。これから、真夏日になる日が続く、気温を見ながら命の心配をしなければならない日続く。それでも、散歩道の野菜畑には、野菜の花が元気に咲いている。真夏日を詠んだ茂吉の和歌がある。

真夏日のひかり澄み果てし浅茅原に
 そよぎの音のきこえけるかも 斎藤茂吉

この歌には真夏日に吹く風の音がきこえている。おのが命の心配する景色などみじんも見ることはできない。茂吉の時代には、感染症が一番怖い病であった。真夏の光を楽しむ気持ちも出ている。静寂な世界に、人々は包まれていた。

富士山の山開きが行われ、外人の初め、観光客が訪れれる山になった。入山料が設けられ、登山者の人数制限も行われるようだ。テレビでは短パンにスニーカー姿の外人が混じっている。明治時代は登る人が少なく、富士に登ることを奨励するために、新橋から御殿場駅までの汽車賃割引が行われた。明治35年三等往復1円76銭、岩室の宿泊料40銭、強力40銭、草鞋5足15銭。東京でアイスクリーム8銭の時代だ。それでも、富士山に行くのは訪日外人が多く、多くの一般人はあまり登らなかった。7月でも富士山に降雪の記録がある。その年の最高気温が出た前の雪を終り雪、後の雪を初雪という。終わり雪の平均日は7月9日になっている。梅雨明け前は、寒気が南下することも多く、高所では雪になることも珍しくない。
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