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常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

本屋さん

2019年07月12日 | 日記

今朝、野菜を収穫しながらラジオを聞いていたら、ネットで求人サイトを運営されている人が出てきてユニークな本屋さんの話をしていた。その方自身も、仕事に関連して、求職している人向けに特化した小さな本屋を開いているとのこと。小さなスペースに、働き方や求人に関連するものだけに特化した本を売るという。

その社長が見聞したユニークな本屋の存在が面白かった。ひとつは、一種類だけ本を置いている本屋さん。在庫を多く抱えて、万引き被害や売り上げの低下でつぶれていく本屋さんが多い中で、一種類しかない本屋さんは、入店した客は必ず1冊は購入して帰る。ふたつ、入場料を取る本屋さん。入場料は1500円と少しお高いが、方々の椅子があって立ち読み自由、コーヒー飲放題、一日そこで過ごすのも大歓迎。じっくり自分がいい本との出会いができるのが魅力だ。

本のほかにも売り物が多角経営の本屋さん。美味しい食事、飲み会もできる居酒屋、そんな多目的の楽しみを果たせる本屋さんだ。この時代、ネットを検索すれば、あらゆる本が購入可能だし、電子化された書籍は、古典の多くは無料で読め、新刊書もポイントを集めて気軽にいつでも読める時代だ。さらに、街の図書館へ行けば、読みたい本がかなり自由に借りることができる。本屋さんには、まさに受難の時代である。

『本屋さんとの出会い』というエッセイ集が、洋泉社から出ている。藤沢周平が少年時代の思い出を綴っている。私自身の子どものころと共通する体験が語られているので、引用してみる。藤沢は家から歩いて30分以上かかる鶴岡の古本屋を覚えたのは、小学校の5年生ころであった。

「三方の壁と棚と真ん中の本台と棚。それだけの狭い店だった。店はいつもひと気がなくひっそりとしていた。その店に行くと、私は大抵一時間あまりもいつも並んでいる本屋や雑誌をひっくり返し、ようやく一冊の「譚海」か「少年倶楽部」を買うのがつねだった。むろん古雑誌だったが、私の頭には新刊雑誌というものの観念がなかったので、それで十分に満足した。中に小説が載っていればいいのである。」

戦後の日本は藤沢が書いているように貧しい時代であった。私も子ども時代の唯一の楽しみは、正月に貰ったお年玉を握りしめて、街まで30分もかかってでかけ、少年時代や譚海を買う買い初めであった。エッセイ集には、学生運動出身の文化人も寄稿しているが本屋からの万引きの話を臆面もなく語っている。この人は、その後生き方を見失って自死の道を選んでいる。

コメント
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