
あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ 芭蕉
『おくのほそ道』に芭蕉の句である。元禄2年6月14日、酒田で俳諧の一巻を残した。歌仙の連衆は芭蕉、曽良、露丸、重行である。この日、新暦で言えば7月、熱さ甚だしと日記に見える。芭蕉の句は、温海山や吹浦の地名にかかて、夕涼みに興を添えたものだ。
我々の山行も、季節を先取りしたような夏日。ブナの森遊歩道のブナ林の木陰や、沢を吹き渡る冷風、目も鮮やかな緑と白いしぶきを立てる滝の光景に涼を入れることができたの幸運であった。温海岳は標高723m、遊歩道から旧拝殿へのコースを周遊すればトータル8㌔の、コロナ自粛で山歩きから2週間ほど遠ざかっている身には結構な体力を要する道であった。

三の滝の白い飛沫に癒された後は、先ずは初夏の新緑にたっぷりと浸ってほしい。木陰と日のさす部分のグラデーションが心地いい。時折り吹いてくる沢を渡る風、小鳥の鳴き声も一入元気に聞こえてくる。
万緑の奥の冷たき水の音
温海岳の登山口は温海温泉にある。元禄2年6月24日に酒田を立った芭蕉は、その日大山に泊まり、翌日は温海の鈴木所左衛門家に、出羽の国最後の宿を借りている。たっぷりと緑の洗礼を受け、頂上で弁当を広げて疲れた足を休めていると、大型のバイクで神社に来た一人の青年がいた。地元の温海の青年で、この風景を見に始終来ているとのことであった。ここは芭蕉も足跡を残した土地ですと、誇らしげに温海の自慢をした。

頂上に近づいてくると、山はブナの緑に覆われる。この山の西には日本海の海岸が迫っている。冬、海を渡ってくるか水蒸気を含んだ空気は、雪雲を発達させる。700mほどの温海岳だが、山に雪を降らせる。雪に強いブナ林が優勢になる理由である。ユズリハ、アオキなどの低木が林床となって日本海側の特有の植生を示している。まだ若いブナ林だが、いかにも生き生きとして、その生存をしゅちょうしている。こちらがわで見るブナの美林は一見の価値がある。

頂上の眺望は、気温が上がってせいもあってぼんやりと霞んで見えた。やがて残雪の鳥海山がくっきりと姿を見せる。その南には月山、目を転じると朝日連峰、そして海の先には淡島や佐渡の島影がかすかに見えている。本日の参加者12名、内男性3名。頂上からはもっと日本海が見えるものと思っていたが、木々のあいだから島影が小さく望遠できるのみ。期待していた青い海原は無理であった。ワクチン接種の前後、ウォーキングも少なかったせいか、あるいはワクチン接種の影響があるのか、山歩きの疲労がピークに達した。

下山は旧拝殿址を経て、温海温泉へ向かう。疲れた足へのご褒美は、たくさんの花をつけたエビネランだ。笹谷の蛤山でもこの花の葉を見かけて、一度見たいと思っていたが、いつも花が終わった時期になっていた。丁度、春の花の終りに大きな花をつけたエビネが3本、十分に花を堪能させてくれた。ミズが食べごろで欲しいだけ入手できた。紅い根の部分をさっと湯がいてミズトロロに。足の筋肉疲労を癒すには十分の山の味であった。