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常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

吉弥観音

2020年12月19日 | 読書
秋の空だけでなく、雪空の変化もまた激しい。青空で飛行機が飛ぶのが見えた束の間、雲が広がり雪が舞い始める。すると、雪を降らせる雲の向うが明るくなり、陽ざしのなかで雪の粒がきらめいている。コロナのために家に籠りがちな身には、こんな空の変わり様を観察するの、一時の楽しみである。本棚から、雪にまつわる小説を探して見た。深田久弥の掌編に『嶽へ吹雪く』というのが見つかった。小説の舞台は、北海道胆振地方の港町となっている。深田は知人に誘われて、この地方へ大好きなスキーを楽しみに行く。実際の場所を書いていないので、この話が実話か、話手の虚構か判然としない。地図を見ると、苫小牧、白老、登別などの海岸に沿った町が出て来る。ネットで検索してみると登別には、サンライバスキー場がある。深田の学生時代この辺りが隠れた山スキーを楽しむ場所だったのかも知れない。

厳冬の夜、吹雪くなかを、深田は宿の人が止めるのを無視して、温泉街の郊外へ一人で歩いた。やがて山道にさしかかるころ、深田が見たのは観音像であった。その様は、俯きがちな、まだ成人しきらない腕が細いが、丸やかなな姿は生きた乙女のようであった。宿の人の話では、それは吉弥観音だということであった。

山へ吹雪くは 吉弥の袖よ
乙女十七 花すがた

あだな浮なみ すらりと抜けて
法の山みち 雨のみち

雪は解脱の 散華のかほり
吉弥観音  肌で受く

吉弥は漁師の娘であった。港では、12月に恵比寿講が行われる。この日には大漁を祈って新網を海に下す。その主綱の初手をとるは、街の芸者衆のなかでも半玉の処女で、踊りの上手が選ばれる。白羽の矢が立ったのは吉弥であった。芸者衆は法被に鉢巻の漁師姿で、主綱をとり、やがて大漁踊りが舞われ、宴となる。水干のなりのままで、酒席に侍る。そして、初手の吉弥には、後日網元の若主人の人身御供という大役があった。

恵比寿講で大役を務め終えた吉弥は、人身御供の日まで、少しも変わりない日々を過ごした。そのことを、嫌ったのか、望んでいたのか、誰の目にも知ることはできなかった。吹雪が来て、玄関の戸も開けられぬような朝、吉弥は不意に姿を消した。吉弥の姿が見つかったのは、雪が止んだ晴れた日、山の雪のなかであった。吉弥を哀れんだ里人が、祀ったのが吉弥観音であった。

『日本百名山』で語り継がれる深田久弥には、『鎌倉夫人』、『親友』、『わが小隊』など長編のほか、短編集『津軽の野づら』など小説がある。1903年石川県生まれ、東大哲学科を中退している。ヒマラヤ研究家としても知られる。
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