
ススキの花穂が出ると、秋が近づいているのを感じる。近くの散歩コースで、穂が出たばかりのススキを見かけるが、里のススキはさほど大きな群落を成していない。どちらかと言えば、数十本のススキがかたまって生えていることが多い。本当の秋を感じさせるのは、山すその大群落、ススキ原だ。鳥海山の麓にある鶴間池の紅葉を見に行ったとき、大平山荘の傍らで、風に波うつススキの原を見た感激は、いまなを記憶に残っている。
行けど萩行けど薄の原広し 漱石
漱石は明治32年8月31日、同僚と阿蘇神社を参拝、阿蘇山の中腹中岳に登っている。阿蘇山を目指したが、途中雨になり、道はどう行くかすでに分からない。その時の様子が『二百十日』に書かれている。どうやら、ススキ原のなかで、遭難寸前の目にあっている。大阿蘇の面目躍如たるもがある。杵島岳の中腹に、「小説に百十日文学碑」が建てられ、いまでは道に迷うなどという心配はなさそうだ。
「谷の中の二人は二百十日の風に吹き浚われたものか、うんともすんとも返事がない。阿蘇の御山は割れる許りにごうごうと鳴る。碌さんは青くなって、又草に上へ腹這いになった。「おゝゝい、居らんのか」「おゝゝい、こっちだ」(夏目漱石『二百十日』)
今日は「山の日」国民の休日にあたる。山の愛好家には、ありがたい話だが、お盆休みと重なる祝日は、なかなか山登りに使うことができないでいる。年金生活の身では、寧ろ週末や祝日を避けた方が、混雑しない登山ができる。今年はコロナの影響で、いつも賑わう北アルプスなどの山々は、小屋使用が制限されたり、通行止めの登山道もある。無理をしない山登りが、ことし愛好家が心掛けるべき基本である。