今日、人と山のかかわりは登山が主流で、山林に分け入り山の幸を求めたりや狩猟を生業にすることは少なくなっている。峠を経て山を越えて隣国へと行き来する道を実際に通ってみると、その道は今では想像できないような自然の姿が色こく見える。先週の山行でも、沢沿いの道わきの岩肌に、人が通れるような横穴を見つけた。熊の住まいか、或いは狩猟にたずさわった人が利用することもあったものであろうかと想像をたくましくした。
佐渡島の伝説に狸弾三郎というのがある。坂口安吾が『新日本風土記』で紹介している。人と山のかかわりが、狸との触れ合い通して暗示されていて興味深い。
弾三郎は金持ちであった。そのために、村人たちは度々弾三郎から金を借りた。借用の金額と返済の期限を書いた証文を、穴の口に置いてくる。翌日、あらためてそこへ行くと、穴の口に証文の代わりに金が置いてあった。ところが、村人のなかに約束の期日が来ても返さないものが増えきた。弾三郎は、金を貸さなくなった。だが、その後も物品だけは貸してくれた。婚礼などで、膳や椀などが不足すると、村人は弾三郎のもとへ駆けつけ、入用の品と返済日を証文に書いて穴の前に置いてくると、翌日にはそれらを取り揃えて穴の前に置いてあった。しかし、これも返済しない者が増えていったために、弾三郎は人間を信用しなくなり、交渉は絶えてしまった。
しばらく後になって、山から急病人が出たと医師を迎えに来たものがあった。医師が乞われるままに出向いて病人を診察し、薬を与えて帰ってきた。後日、全快した病人が大金を持参して医師のもとを訪ねてきた。名前を聞くと弾三郎であった。狸から謝礼を受けることはできないと断ると、その日は悄然として帰って行った。日を改めて、再び医師のもとへ弾三郎が来て、短刀一振りをさし出し、「謝礼を受けてもらえないのは苦しい。これは貞宗のうった名刀だから、これで私の感謝の思いを果たさせてほしい」と言い、返事も聞かずに逃げるように帰って行った。
人間が借りたものを返さずに感謝の念を失しているのに対し、狸がその思いを果たしているという民話は、人間もこうあらねばならないという教えの意味もあったであろう。話の終りで、この医師は狸の置いて行った刀を、無銘ではあったが、家宝にしたとなっている。