goo blog サービス終了のお知らせ 

常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

ゴーヤ

2016年08月03日 | 日記


西日を遮るつもりで、ゴーヤのカーテンはすっかり大きくなり、ベランダいっぱいになり、その上実もつけた。おかげで朝は、緑を通して入ってくる風が心地よい。だが、午後になってたしかに日は遮ってくれるが、それでも暑い。もし、このカーテンがなかったらどうなってしまうのか想像するだけで怖ろしい。ゴーヤは沖縄など暑いとことろでしか栽培されていない植物が、こんな北の地でも普通にできる。それだけ日本は亜熱帯型の気候の地域になってしまったような感じがする。

安禅は必ずしも山水を須いず

心頭を滅却すれば火も亦涼し

この詩は、暑い夏、禅の修行に余念のない悟空上人を詠んだものである。日本に入って来て広く知られ、織田信長に焼き討ちされた恵林寺の快川和尚が、火のなかで他の僧たちと端然と座してこの句を誦しながら死んで行った。8月7日には、立秋を迎え秋の風が吹いてくる。とは言うものの、さらに暑い日が続く。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久米仙人

2016年08月03日 | 日記


暑気を払うのに、怪談、奇談はもってこいだ。子どものころ、法力を身につけた仙人の話を聞くのを好んだ。志貴山に住む僧が、鉢を飛ばしてその鉢に施しを乗せてもらっていた。ある長者の倉に、この鉢が入ってきた。長者は、忌々しい鉢だと、施しも乗せず追い出して、倉の戸を閉め切った。ところが、倉がゆらゆらと動き出すと、信貴山に向かって飛んでいった。長者は驚いて信貴山の僧へ、「どうか倉をお返し下さい」と頼んだ。僧は、迷って我がもとへきたものを返すわけにはいかぬ。だが中身だけは返してやろう。」と言って、鉢に故米一俵を乗せて飛ばすと、残りの俵もその後を追って帰っていった。

久米仙人は吉野の龍門寺で、空を飛ぶ仙術を会得した一人である。ある日久米の仙人が空を飛んでいると、吉野川の上流で若い女が洗濯をしているのが目に入った。仙人がその女の白いふらはぎを見た途端に、仙術が解け、目がくらんで川に落ちてしまった。その時から、久米仙人はただの人になってしまい、この女と結婚した。やがて東大寺の造営が始まり、仙人も人夫としてかり出された。工事の奉行は、彼がもと仙人であったという噂を聞いていたので、「吉野の山の材木をお前の通力で、ここまで運んで見よ」と申し付けた。

仙人は、鉤招の印を結んで、山の材木をたちまちのうちに飛ばして運んだ。これを見ていた天皇は驚き、仙人を尊び敬って、田30町を与えた。仙人はここへ久米寺を立てた。

子どものころにこんな話を聞いて、若い女の足を見て神通力を失って落ちたということが可笑しくもあり、なになドキドキする不思議な感じを覚えもした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする