
ワンノートに日記風のメモを作るようになってひと月になる。日々の食事やウォーキングの記録、注目すべき出来事などで構成している。昨日のノートには、バイデン大統領の就任演説のノーカット版をYouTubeからそのまま保存した。政治家の演説というのが、この国の首相と比べていかに違っているか、これを見れば瞭然である。昔、娘が描いた漫画がアニメ化されたものが、YouTubeで今も見られる。これを一話ずつノートに保存して見るのも、年老いた親の楽しみでもある。
今手元に作詞家の阿久悠の『日記力』という冊子があるが、昭和のヒット曲を次々と生み出した作詞家の秘密の武器が日記であったことが知れる。以前に買っていた文春新書、鴨下信一の『面白すぎる日記たち』もこのほど読み返してみた。日々の生活の記録には、生きることの意味がつまっている。思い返してみれば自分の読書体験のなかで、日記の占める部分が多いことに改めて気づいた。
家の本棚を漁って見ると注目すべき2冊の新書が出てきた。臼田昭『ピープス氏の秘められた日記』と神坂次郎『元禄御畳奉行の日記』である。方や17世紀イギリス紳士の生活記録であり、片や17世紀末元禄時代の尾張藩士の日記をひも解いたものだが、全く異なる文化圏のなこで、人間の生きざまを見ると、その本質がほぼ同じであることが見てとれる。
「今週のはじめ、この一週間は酒を飲まないと自分自身に誓いを立てた(仕事に気を配ることができなくなるからだが)が、今朝意に反してそれを破ったので、たいそう心が悩む―だが神様もお許し下さるだろう」(ピープス)
「予、昨夜、酒過ぎ、且つ食傷の気味なり、心神例ならず、今朝二度吐逆す。従来謹むべし」(元禄13年 朝日文左衛門)
城山三郎の『情報日記』に某月某日にこんな記載がある。
「暖冬続きだったが、今朝はじめてかなりの冷えこみ。「懐かしい寒さですわね」と妻がいう。暖かさが続くのはうれしいが、異変の前ぶれのようにも思えて、不安になる。それよりは、冬らしい寒さがきてくれて安心というニュアンス。先行きの不安は一つでも少ない方がいい。」
昭和51年頃の記述なので、もう50年も前から暖冬などに、不安を抱きながらいたことが知れる。今、異変は、世界中に感染を拡大しているパンデミックが1年を過ぎてなお拡大中という形をとって起きている。寒の雨にあたりながら、異変にも諦観が少しづつ浸透し始めている。