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常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

日記の力

2021年01月23日 | 読書
ワンノートに日記風のメモを作るようになってひと月になる。日々の食事やウォーキングの記録、注目すべき出来事などで構成している。昨日のノートには、バイデン大統領の就任演説のノーカット版をYouTubeからそのまま保存した。政治家の演説というのが、この国の首相と比べていかに違っているか、これを見れば瞭然である。昔、娘が描いた漫画がアニメ化されたものが、YouTubeで今も見られる。これを一話ずつノートに保存して見るのも、年老いた親の楽しみでもある。

今手元に作詞家の阿久悠の『日記力』という冊子があるが、昭和のヒット曲を次々と生み出した作詞家の秘密の武器が日記であったことが知れる。以前に買っていた文春新書、鴨下信一の『面白すぎる日記たち』もこのほど読み返してみた。日々の生活の記録には、生きることの意味がつまっている。思い返してみれば自分の読書体験のなかで、日記の占める部分が多いことに改めて気づいた。

家の本棚を漁って見ると注目すべき2冊の新書が出てきた。臼田昭『ピープス氏の秘められた日記』と神坂次郎『元禄御畳奉行の日記』である。方や17世紀イギリス紳士の生活記録であり、片や17世紀末元禄時代の尾張藩士の日記をひも解いたものだが、全く異なる文化圏のなこで、人間の生きざまを見ると、その本質がほぼ同じであることが見てとれる。

「今週のはじめ、この一週間は酒を飲まないと自分自身に誓いを立てた(仕事に気を配ることができなくなるからだが)が、今朝意に反してそれを破ったので、たいそう心が悩む―だが神様もお許し下さるだろう」(ピープス)
「予、昨夜、酒過ぎ、且つ食傷の気味なり、心神例ならず、今朝二度吐逆す。従来謹むべし」(元禄13年 朝日文左衛門)

城山三郎の『情報日記』に某月某日にこんな記載がある。
「暖冬続きだったが、今朝はじめてかなりの冷えこみ。「懐かしい寒さですわね」と妻がいう。暖かさが続くのはうれしいが、異変の前ぶれのようにも思えて、不安になる。それよりは、冬らしい寒さがきてくれて安心というニュアンス。先行きの不安は一つでも少ない方がいい。」
昭和51年頃の記述なので、もう50年も前から暖冬などに、不安を抱きながらいたことが知れる。今、異変は、世界中に感染を拡大しているパンデミックが1年を過ぎてなお拡大中という形をとって起きている。寒の雨にあたりながら、異変にも諦観が少しづつ浸透し始めている
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吉弥観音

2020年12月19日 | 読書
秋の空だけでなく、雪空の変化もまた激しい。青空で飛行機が飛ぶのが見えた束の間、雲が広がり雪が舞い始める。すると、雪を降らせる雲の向うが明るくなり、陽ざしのなかで雪の粒がきらめいている。コロナのために家に籠りがちな身には、こんな空の変わり様を観察するの、一時の楽しみである。本棚から、雪にまつわる小説を探して見た。深田久弥の掌編に『嶽へ吹雪く』というのが見つかった。小説の舞台は、北海道胆振地方の港町となっている。深田は知人に誘われて、この地方へ大好きなスキーを楽しみに行く。実際の場所を書いていないので、この話が実話か、話手の虚構か判然としない。地図を見ると、苫小牧、白老、登別などの海岸に沿った町が出て来る。ネットで検索してみると登別には、サンライバスキー場がある。深田の学生時代この辺りが隠れた山スキーを楽しむ場所だったのかも知れない。

厳冬の夜、吹雪くなかを、深田は宿の人が止めるのを無視して、温泉街の郊外へ一人で歩いた。やがて山道にさしかかるころ、深田が見たのは観音像であった。その様は、俯きがちな、まだ成人しきらない腕が細いが、丸やかなな姿は生きた乙女のようであった。宿の人の話では、それは吉弥観音だということであった。

山へ吹雪くは 吉弥の袖よ
乙女十七 花すがた

あだな浮なみ すらりと抜けて
法の山みち 雨のみち

雪は解脱の 散華のかほり
吉弥観音  肌で受く

吉弥は漁師の娘であった。港では、12月に恵比寿講が行われる。この日には大漁を祈って新網を海に下す。その主綱の初手をとるは、街の芸者衆のなかでも半玉の処女で、踊りの上手が選ばれる。白羽の矢が立ったのは吉弥であった。芸者衆は法被に鉢巻の漁師姿で、主綱をとり、やがて大漁踊りが舞われ、宴となる。水干のなりのままで、酒席に侍る。そして、初手の吉弥には、後日網元の若主人の人身御供という大役があった。

恵比寿講で大役を務め終えた吉弥は、人身御供の日まで、少しも変わりない日々を過ごした。そのことを、嫌ったのか、望んでいたのか、誰の目にも知ることはできなかった。吹雪が来て、玄関の戸も開けられぬような朝、吉弥は不意に姿を消した。吉弥の姿が見つかったのは、雪が止んだ晴れた日、山の雪のなかであった。吉弥を哀れんだ里人が、祀ったのが吉弥観音であった。

『日本百名山』で語り継がれる深田久弥には、『鎌倉夫人』、『親友』、『わが小隊』など長編のほか、短編集『津軽の野づら』など小説がある。1903年石川県生まれ、東大哲学科を中退している。ヒマラヤ研究家としても知られる。
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枯枝に鳥のいる風景

2020年11月15日 | 読書
芸工大のキャンパスを散歩していると、葉を落とし始めた木の枝に烏が止まっていた。餌の時間が終わって、枝に止まってで一休みしているのであろうか。ふと、16世紀のオランダの画家ブリューゲルを思い出した。かの「バベルの塔」を描いた画家である。私の本棚は、いつでも取り出せる文庫本を中心にした質素なものだが、一冊だけ高価な本がある。中央公論社刊森洋子編著『ブリューゲル全作品』だ。一サラリーマンの身で、53000円もの高価な本を何故買う気になったのか、いま考えてもよくわからない。ただ、近代化が始まる前の西洋の中世に興味があった。ずっしりと重い本には、ブリューゲルの絵がカラー写真で収められている。

この画家の生年も生地も、判然とはしていない。絵は残されているが、その生涯についてひとつの伝記があるのみで詳しい資料はほとんどない。1530年頃のフランドルのブリューゲル村の生まれとされている。フランドルは、フランダースという英語読みだと知っている人も多いだろうか。スペイン、オランダ、フランスに跨る地域である。ブリューゲルの絵に「鳥罠のある冬景色」というフランドル地方の冬景色を描いた絵がある。

川には氷が張り、スケートやホッケー遊びを楽しむ人々が描かれ、遠景には河口の風景が見事に描かれている。家々の屋根には雪がともり、木々の枝にも雪がついて枯れ枝には鳥が止まっている。しかし、この絵を単なる風景画として見てはいけない、と編者森洋子は解説している。左手前には氷の穴がぽっかりと開き、木立の中には鳥を取る罠が仕掛けられている。おそらくまき餌をしたのであろう、罠の近く鳥が集まり、穴の近くで遊ぶ子どもたちがいる。

罠に落ちるのはフランドルの諺で騙されるを意味する。この絵が人気の高い絵であったのは、冬の風景を楽しませてくれると同時に、穴に落ちたり騙されたりするなという人生の教訓を知ることができるからだ。このブリューゲルの画集を見て、ヨーロッパ中世の豊穣の世界を読み取るができる。

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モームの掌篇

2020年11月09日 | 読書
アメリカ大統領選挙で現職のトランプ氏が敗れた。バイデン氏が新しい大統領に就く見通しとなったが、この人のエネルギー政策に期待したい。石油から再生エネルギーへの転換は、地球環境の危機にとって希望の光といえる。昨日、立冬を迎えたが、九州や沖縄で真夏日の気温が出ている。。今年、日本に近づいた台風の勢力は、初めて経験するような大きさで、その恐ろしさを実感させられた。海水温の異常な上昇が、台風に大きなエネルギーを供給する。地球の温暖化の根源は、石油の排気ガスによる環境汚染である。世界中がこの問題では、一致して環境の改善に取り組まなければ、地球の未来はない。

イギリスの作家サマセット・モームの掌篇小説を読んでいる。モームと言えば、1919年に『月と六ペンス』で人気作家となったが、劇作家としても知られる。今でも語り継がれる名言に「イギリスでよい食事をしようと思うなら朝食を三度とればよい」という皮肉をこめたのがある。今読んでいる掌篇は「コスモポリタンズ」と名付けられているが、1924年頃から雑誌「コスモポリタン」にする。連載された見開き2ページの読み切り短編である。文庫本で6ページほどの短編なので、寝入る前の読み物として丁度いい分量だ。どの篇にも、作者の面白いと感じた人物の行動や話が語られている。

「ランチ」は、まだ売り出し前の貧乏なパリに住む作家の前に現れる婦人の話だ。ある日、作家のもとに発表した作品の読んだ婦人から一通の手紙が来た。その手紙には作品のすばらしさを褒め感動した旨が認めてあった。作家はその手紙にお礼の返事を書いた。ほどなくしてその婦人から2度目の手紙が来る。近々、近くの美術館に行くので、昼の軽いランチでもご一緒できないか、という誘いの手紙であった。断るにも、こんな機会はめったにないので、誘われるまま会いに行った。作家はその時80フランを持っていた。この金額は、作家のひと月の生活費になるほどの額であった。入ったレストランは高級店であった。メニューをみても、驚くほど高い料理が並んでいる。婦人は、「私ランチは何もいただきませんの」お話をするだけでよろしいですわと控えめである。

そう言わずに何か、と作家がすすめると、「私は一品だけ少しだけ」と言いながら要望したのは鮭の料理であった。ボーイは今朝上がったばかりの立派な鮭だと言う。料理が出来上がりまで時間がかかるので、何か食べませんか。婦人はまた私は一品のほかは食べませんと言いながら、「キャビアを少しなら反対しませんわ」と言う。注文しないわけにはいかないが、それが高価なものであることを知っているので、支払いがいくらになるか、生活費はいくら残るかと、作家を苦しめる。さらに、この店の一番の売りであるアスパラの名物料理も注文する羽目になった。そしてデザートのアイスクリーム。とうとうボーイに少なめのチップを払って、作家の財布には3フランが残ったのみであった。

作家がその婦人に再開したのは、そのランチから20年も経った時である。劇場で芝居を見ていると、前の方の席で手を振る婦人がいる。その席へ近づくと「あなた覚えていらっしゃる?あなたランチにお誘いくださいましたわ」
作家は婦人のあまりに変わった様子に、驚きもし、あの時のランチの怨みを晴らすことになった。婦人は300ポンド(130㌔)もの体重になっていたのである。
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雲見

2020年08月17日 | 読書

宮沢賢治に『蛙のゴム靴』という童話がある。出てくる蛙は、カン蛙とブン蛙にベン蛙。蛙たちの家は、松やナラの林の中を流れる堰の近く。カン蛙は堰の岸に茨やつゆ草やたでなどの雑草がいっぱいに繁り、つゆ草が10本ほど集まったところ。林のナラの木の下にブン蛙の家、その向うのススキのかげにあるのはベン蛙の家。3疋の蛙は、年恰好も同じわんぱく仲間であった。いつもカン蛙の家の前にあるツメクサ広場に集まって、3疋は雲見というものやっていた。夏の夕方、夏の雲の峰見物である。人間なら花見とか月見というしゃれたものだ。

蛙が雲見を好きなわけは、雲の形が美しいとのはもちろんだが、その形が蛙たちの頭の部分が似ているし、入道雲はブドウの形のようでもあり、生まれてきた蛙の卵のかたちを思わせるからであった。雲見のときに話題になったのは、人間が履いているゴム靴である。あれがあれば、栗の毬もなんでも怖くない、ぜひ欲しいという話になった。カン蛙は、知り合いの鼠に頼んで、ゴム靴をこしらえてもらった。それを履いて、2匹に見せるとうらやましがった。そこへ出てきたのが、婿探しにきた美しい蛙の娘ルラであった。ゴム靴を履いたカン蛙を一目見て、この人に決めた、と話は進む。

カン蛙のあまりの幸運にやきもちを焼いた、ブンとベン。カン蛙にいたずらをして、自分たちの気を晴らしたい。その話の顛末は、童話を読んでいただくとして、賢治の童話の世界が、懐かしい昭和の自然であることに注目したい。雲見というのは、蛙の世界にあるのではなく、畑の作業をしながら空を仰いだ賢治の体験であろう。山を歩きながら空を仰ぐ機会は多いが、雲は様々な姿を見せる。気温の異常な上昇は、空にも時代を映す多くの変化を見せることだろう。
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