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常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

ハナレイベイ

2020年07月04日 | 読書
今日の山行は雨のため中止。裏庭にツユクサの花が濡れていた。朝の散歩をそこそこに、村上春樹の短編『ハナレイ・ベイ』を読むことにした。小説の舞台はハワイ州のカウワイ島のハナレイ湾。山に囲まれた大きな湾で、夏にはここでヨットやサーフィンを楽しむ人が多い。

海とサーフィン、自分には縁のない場所だ。しかも、ハワイの島とあっては、想像で辿るしかない場所である。この島の砂浜に毎年やってきてビニールチェアに座って海でサーフィンに興じる人たちを眺める中年の日本人女性がいる。名はサキ。ピアノを弾いて東京でクラブを経営する女性だ。

サキには死別した夫との間に生れた息子がいた。勉強が嫌いで、打ち込んだのは海に行ってサーフィンに興ずること。母子には、まともな会話もない。19歳になった息子がサキに言ったのは、ハナレイ・ベイでサーフィンをやりたいから滞在費と旅費を出して欲しいいうことだった。言い合いになって負けたのはサキであった。渋々と金を出してやったのだが、サキのもととに届いたのは、サーフィン中に鮫に片足を食いちぎられて息子が死んだという知らせであった。

2週間、東京での仕事を休んで、2週間、ハナレイ・ベイで滞在して海を眺めるのが、サキの恒例行事になった。そこで、サキはサーフィンに興じている息子の姿を思い浮かべるためだろうか。夏の終りには決まってここへやってきた。サキはこの島で、息子と同年代の二人の学生に会う。彼らもまた息子と同じように、ハナレイ・ベイでサーフィンを楽しみに来たのだ。今はいない息子の面倒を見るような気で、何かと世話をやくサキ。

この短編の肝は、二人の学生が、片足の日本人サーファーを見た、ということだ。10年以上ここへ通ったサキが見たかったもの。波間にふっと現れて消えて行った息子の亡霊。学生たちは、サキに代わってその姿を見たのだ。何故自分には現れないの、と問いかけながらベッドで泣くサキ。

この短編から伝わってくる昭和の匂い。こんなシングルマザーも、その息子のような生き様も時代の産物のように思われる。コロナ後にこんな風景が見られるのか、時はどんどんと進んでいく。
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カンタベリー物語

2020年04月02日 | 読書
新型コロナは、まだ感染を出していなかったここ山形県でも、ここにきて3日続けて感染者が発見された。米沢、上山、新庄の3市だ。このために、趣味の活動が大きく制約を受ける。楽しみにしていた登山、人前で声を出す詩吟は、今月からいずれも活動休止となった。残されたものは、これから始まる野菜作りと読書、それと毎日書いているブログだけである。

時は四月。
夕立がやわらかにやってきて、三月ひでりの根本までしみとおってしまう。そのおしめりの精気で花が生まれて咲いてくる。
そよ風もまた、香ばしい息を吹いて、どこの山林地にも荒野にも、柔かい新芽が枝にふいてきた。

チョーサー『カンタベリー物語』のプロローグである。14世紀のロンドンのとある宿屋。そこにカンタベリーの聖廟への巡礼をする人々が集まってくる。法律家、地主で郷士、そして帽子屋、大工、機織、染物屋に家具商。様々な職業の人々が集まってくる。長旅の無聊を慰めるため、一人一人が面白い話を語る。あのアラビアンライトやデカメロンなどの系譜のイギリス版である。

今日、霞城公園の散策に出て見た。多少風が強いが、チョーサーの序詩に似た季節の中を歩く。ここは、高齢の夫婦が二組ほどで、後は早歩き、単独行。桜が咲きかけている公園だが、毎日のウォーキングコースであるらしい。脇目をふらず、ひたすら歩く姿の人ばかりである。堀の水も満たされて、カモたちも元気で泳いでいる。土手に一人、釣り竿を水に入れる人が二人、ウキの行方を見守っている。

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新田次郎

2020年01月23日 | 読書
Facebookに登録していると、「去年の思い出」というのが送られてくる。一年前にアップした写真が送られてくる。この季節、たいていが雪山の景色であるが、こんなにたくさん雪があったのか、と山行を思い出してうれしくなる。今年の正月は、雪が少ないが、あまり外出はせずもっぱら家のなかで本を読む時間が多くなっている。決めてあるテーマのほかに、趣味の山登りの本につい手がのびる。

新田次郎の山のエッセイに「富士山に賭けた時代」という一文があった。新田が気象台に就職したのは、昭和7年である。この年、富士山頂では富士山観測所が建設中であった。その年の夏、新田はほぼ完成した建物に機器の取り付けを手伝いに始めて富士山に登っている。ほぼ1ヶ月、富士山頂に滞在して、仕事を手伝ったのが、富士山の縁の始まりであると書いている。

観測所には気象台の職員が4名、賄係が1名でほぼひと月交代で山頂勤務を命ぜられた。夏に行ったのが伏線であったのか、新田が最初に山頂勤務をしたのは、就職した年の12月半ばであった。今でも、厳冬期の富士山へ登るのは、訓練を積んだアルピニストしかいない。さほど経験のない新田が仕事上で冬の富士山へ登ったのは運命的なものがあったのかも知れない。

山頂の仕事は決まりきたもので、時間が余った。辛うじてラジオが聞けたが、あとは持って行った本を読んで過ごした。若い時代はどうしても身体を持て余してしまう。外へ出て景色を眺めることもしばしばあった。だが、晴れていても頂上には、いつも強い風が吹いている。風速20mぐらいはいつものことだ。同僚と二人で2月の堅氷の上をお鉢周りをした経験が書かれている。

「金明水から剣ヶ峰へ登ろうとしていたとき、私の上方2㍍のところにいた同僚が足を滑らせて、氷の上を滑り落ちてきた。それを止めようとしたが止められず、私は彼のアイゼンで肩を蹴られてすっとんだ。20㍍ほど滑って運よく岩に衝突して止まった。もう20㌢ほどはずれていたら噴火口に落ちて死ぬところだった。」

この文のなかには下山中に時間をくって遭難騒ぎをされたことも書かれている。登山家として富士山に登ったのではなく、仕事で登ったのであったが、富士山に登るにはやはり登山家と同等の体力や技術が必要である。仕事のなかで必要に迫られて習得した技術であった。昭和31年、新田次郎は『強力伝』で直木賞を受賞した。以後山岳小説中心とすうる作家となった。この富士山の経験がその基礎にあることはいうまでもない。
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カラス

2019年12月25日 | 読書
何に此師走の市にゆくからす 芭蕉

カラスが増えているように思う。朝、ねぐらのある霞城の森から、南を目指して飛んでいくのは、その先に餌があるからに違いない。同じカラスの行動でも、季節によって違って見える。冷え込みの厳しい暮の朝、飛んでいるカラスは、どこなくせわしない。そのカラスの行動を見るものの側にも事情がある。カラスの朝行きに励まされるようにして、行動を決断する人もいる。

奥の細道の旅を終えた芭蕉は、ひとまず故郷の伊賀に帰る。そして、京に上り、膳所で越年する。この年、芭蕉は自分の句境を深め、世に問う決意をしていた。「猿蓑」を編集し、天下に知らしめたいと思ったのだ。「何に此」この5文字に自らにの意気込みを込めた。その目で、飛来するカラスは、寒い朝、ある決意をもって飛んでいるように見える。

村上春樹の『海辺のカフカ』で、主人公に語りかける、カラスという少年がいる。空を飛ぶカラスに姿を変え、主人公の自問自答の役割を果たす。カラスはこんな言葉を主人公にかける

君にできることと言えば、その嵐のなかにまっすぐ足を踏みいれ、砂が入らないように目と耳をしっかりとふさぎ、一歩一歩とおりぬけていくことだけだ。そこにはおそらく太陽もなく、月もなく、方向もなく、あるばあいにはまっとうな時間さえない。そこには骨をくだいたような白く細かい砂が空を舞っているだけだ。そういう砂嵐を想像するんだ。

少年カフカもまた、カラスを道先案内に立てて、行方知れない旅に出ている。そして、そこで出会う経験の数々が少年を鍛えていく。
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海辺のカフカ

2019年12月23日 | 読書
村上春樹『海辺のカフカ』を再読する。15歳の少年田村カフカの彷徨物語である。再読は、以前登った山を、再訪する行為に似ている。最初は、高度を上げることに夢中で、気づかなかったポイントが多くある。再訪によってそれらを見つける新しい発見。その喜びには、再読の面白さに通じるものがある。

15歳の少年や少女。最近、日本のスポーツ界や将棋など、多くの少年や少女の活躍が見られる。少年カフカは、こうした時代の先取りであろうか。将棋の藤井壮太の活躍を応援するような目で、この小説を読み、カフカの不思議な旅の行方に心を奪われる。

小説の主人公は一緒に暮らしていた父親の家を出て、四国の高松市に行くカフカ少年。もう一人、小学校の頃不思議な事故にあって、記憶をなくし、公園で猫と話するナカタさん。殺されそうになった猫を助けるために、ジョニーウォーカーと名のる猫殺しを殺害して、旅に出るが、なぜかこの初老の男も、少年のいる四国へ向かう。

小説の舞台は高松市にある私設図書館である甲村記念図書館。この図書館は、この地方の酒造家で本道楽の先代が蒐集した書籍を公開しているユニークな図書館である。当主の息子がここに住み、幼友達とめくるめく青春を過ごした。その恋人であった佐伯さんが、この図書館の管理者である。

歌が得意であった佐伯さんは、恋人と離れた悲しみを詞にして歌を作った。目にとまったレコード会社からレコーデングされ1970代の大ヒット曲になった。「海辺のカフカ」がその歌の題名である。歌詞を記そう。

あなたが世界の縁にいるとき
私は死んだ火口にいて
ドアのかげに立っているのは
文字をなくした言葉。

眠るとかげを月が照らし
空から小さな魚が降り
窓の外には心をかためた
兵士が立っている

海辺の椅子にカフカは座り
世界を動かす振り子を想う。
心の輪が閉じるとき
どこにも行けないスフィンクスの
影がナイフとなって
あなたの夢を貫く。

溺れた少女の指は
入り口の石を探し求める。
蒼い衣の裾をあげて
海辺のカフカを見る。

難解な詞で、一読意味が理解できない。だが、小説を読み進めると、この歌詞には小説の世界を暗示する言葉がちりばめられている。ページを読み進めると、交錯しながら進んで行く、二つの物語がどこで合体するのか、そんな興味も起こさせてくれる。魅力にあふれる村上ワールドへ読むものを引き込んでいく。
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