彼女は、うさぎの縫(ぬ)いぐるみをかかえて出社(しゅっしゃ)してきた。周(まわ)りの人たちは、彼女の行動(こうどう)に唖然(あぜん)とした。彼女が席(せき)につくなり、隣(となり)の席の同僚(どうりょう)が声をかけた。
「ねぇ、どうしたの? 縫いぐるみなんか…会社(かいしゃ)に持ってきて…」
「だって、ひとりにしておけなかったのよ。淋(さび)しそうにしてたから」
「ああ…。でも、それはまずくない? ほら、課長(かちょう)が、こっち見てるよ」
彼女は〈うさぎ〉を見つめてうっとりしていた。同僚の声など聞こえてないみたい。
そこへ、男性がやって来た。彼女を見つけると駆(か)け寄(よ)ってきて言った。
「なぁ、どういうことだよ。全然(ぜんぜん)、連絡(れんらく)取れないし。俺(おれ)、ずっと待ってたんだぞ」
彼女は、彼のことを見ようともしなかった。〈うさぎ〉を抱(だ)きよせて事務的(じむてき)に答(こた)えた。
「ここで、そういう話はしないでください。あたし、もう、あなたとは…」
「何だよ。何があったんだ? 昨夜(きのう)、大事(だいじ)な話があるって言っただろ。俺、ずっと――」
「だから…。あたし、あなたとは付き合えない。もう行って。仕事中でしょ」
「付き合えないって…」彼は思わず縫いぐるみをつかみ取って、「どういうことだよ!」
「返(かえ)して!」彼女は彼から〈うさぎ〉を取り戻(もど)すと、〈うさぎ〉をぎゅっと抱きしめて、
「やめてよ。あたしの彼に、ひどいことしないで…。あたし、この人とお付き合いしてるの。この人のこと、愛(あい)してる。結婚(けっこん)しようって、約束(やくそく)してるのよ」
<つぶやき>彼女が惚(ほ)れ薬(ぐすり)を…。これは、誰(だれ)の仕業(しわざ)でしょうか? ひどい、ひどすぎます。
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