坂上(さかがみ)は課長(かちょう)になってひと月。ようやく中間管理職(ちゅうかんかんりしょく)にも慣(な)れ、部下(ぶか)からもそれなりの信頼(しんらい)を得(え)ていると自負(じふ)していた。でも、ただひとつ気がかりなことがあった。それは、倉田圭子(くらたけいこ)のことだ。部下の一人なのだが、どうやら坂上に気があるらしい。
坂上がそのことに気づいたのはつい最近(さいきん)だ。坂上のことをそっと見つめていたり、お茶を出す時など意味深(いみしん)な笑(え)みを浮(う)かべる。そういうことに鈍感(どんかん)な坂上でも、これは誘(さそ)っているなと分かるほどだ。
坂上は妻(つま)も子もある身(み)。だが彼も男である。気にしないでいようと思っても、どうしても目が彼女の方へ向いてしまう。このままでは仕事(しごと)に支障(ししょう)をきたしそうだ。彼は、はっきり断(ことわ)ろうと彼女を呼(よ)び出した。
坂上に下心(したごころ)など無かった。だが、自分で気づかないほど小さな、心の隅(すみ)の隅の隅の方に、ムックリと良からぬ芽(め)が伸(の)びでいないとどうして言えよう。もし彼女の方から求(もと)められたら、坂上にそれを突(つ)き放(はな)すことができるのか。彼女はそれほどに美しかった。
しばらくすると会議室(かいぎしつ)の扉(とびら)が開いた。入って来たのは彼女ではなく、岩田(いわた)部長。思いがけないことに、坂上は動揺(どうよう)を隠(かく)せなかった。部長(ぶちょう)は静かな声で言った。
「君(きみ)のところの倉田君から相談(そうだん)されてね。君が彼女のことを特別(とくべつ)な目で見ていると――」
<つぶやき>勘違(かんちが)いやすれ違いってありますよね。コミュニケーションは怠(おこた)らないように。
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