この会社(かいしゃ)には特別(とくべつ)な社員(しゃいん)がいる。どこの部署(ぶしょ)にも所属(しょぞく)せず、その社員の顔を知っている者は誰(だれ)もいない。だが、その存在(そんざい)は伝説(でんせつ)のように語り継(つ)がれている。
――好恵(よしえ)は思い悩(なや)んでいた。ある取引(とりひき)を任(まか)されたのだが、契約書(けいやくしょ)に不備(ふび)があり、会社に損失(そんしつ)が出るかもしれない。もしそうなったら、自分一人の責任(せきにん)ではすまされない。そんな時だ。伝説の<誰でもない誰か>の話を聞いたのは。その人に頼(たの)めば、どんなことでも解決(かいけつ)してくれるという。好恵は、藁(わら)にもすがる思いでお願(ねが)いすることにした。
他の社員が帰ったあと、好恵は依頼書(いらいしょ)に自分の失敗(しっぱい)を告白(こくはく)し、助けてほしいと書き綴(つづ)った。自分の不甲斐(ふがい)なさに涙(なみだ)がこみ上げてくる。好恵は書き上げた依頼書を自分の机(つくえ)の上に置くと、必死(ひっし)に手を合わせた。伝説では、退社(たいしゃ)する時に依頼書を机の上に置いておけば、次の日にはすべて解決する。ということになっている…らしい。
翌朝(よくあさ)、好恵はいつものように出社(しゅっしゃ)すると、あの依頼書は無(な)くなっていた。何だがホッとして、好恵の疲(つか)れた顔に安堵(あんど)の表情(ひょうじょう)が浮(う)かんだ。その時だ。部長(ぶちょう)の呼ぶ声で現実(げんじつ)に引き戻(もど)された。好恵は、恐(おそ)る恐る部長の前へ…。部長は、
「君(きみ)が担当(たんとう)していた例(れい)の取引なんだが、先方(せんぽう)の事情(じじょう)でダメになった。今まで頑張(がんば)ってくれたのに残念(ざんねん)だが、まあ仕方(しかた)がないさ。君には、別の仕事(しごと)を――」
<つぶやき>こんな人がいてくれれば助かるのに。でも現実はそんなわけにはいきません。
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