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あー。 なんでこんな偉そうな事書いてるんだろうなー。

いじめの起こり モデル化

2018-11-11 14:32:25 | Weblog
自分の歪み、みたいなものを思うに、最初に「小学校低学年のあたりでいじめ被害者の側だった」というのがあると思う。 そこから、加害者の側に与するようになり、(いじめと直接の関係はないが)中学に上がるころイギリス系の学校に進学となり、性徴期みたいのが来たと。 まあ元々自閉症スペクトラムの側だった、ってのもあるのかもしれない。

で、いじめ問題である。
一般の犯罪は犯罪者が社会の中、弱者を探し狙う。 虐待は大人が子供を加害する。 いじめは特定の子供が近くの子供たちの中から被害者を選び出す。 小学校中高年時の経験から、なんかこう、「コミュ力に長けたネグレクト児」みたいなのが居てこれがその「いじめの犠牲者を選ぶ人間」だったような記憶がある。 なんとなく。
「コミュ力のないネグレクト児」は大人からも子供からもあからさまな問題児として見られ、嫌われる。 大人からも子供からも。 ところがこれにコミュ力がある、関西人の言う「いじり」みたいなもの、と大人に対しても子供社会の有力者に対しても朗らかに振る舞いつつ、子供社会に加害対象を選定し提供する人間となる。 こういう人間がクラスに一人二人は居ていじめが起こる。 居ないと起きない。 「子供が集団で一人を突き回す」ような事態にはならない。 クラスの中に嫌われ者が居ても、それがただ居るだけの状態となる。

この、特定の子供、私の見立てでの「コミュ力に長けたネグレクト児」はどのように発生するのか。 私はキモは母親だろうとする。 社会性に優れ怨恨に生き、自分の子供を自己実現の道具とする、そんな人間。 これを「社員を自己実現の道具とする」ならば優秀な企業経営者に通じるものがあるのだろう。 ジャニーズ事務所と薬物乱用メンバーがその例だな。

コミュ力に長けたネグレクト児の母親、みたいなのが社会の癌であり、増殖する。 こういうモデル。
で、話を進める前に「いじめ(いじり)は嫌われ者、社会のはみ出し者を矯正しているのだ」という正当化論への反論をする。 彼ら、いじめを始める人間、は必ずしも嫌われ者を選んでいるわけではない。 彼らが選ぶ際に用いる第一の基準は、「対象として安全かどうか」である。 嫌われ者でも反撃してくる人間を、彼らは選ばない。 矯正や更生とは関係のない娯楽なのだ。 もっと言うと対象が嫌われ者だったとしても更生にはならない。 ただ加害を善とする社会の側に組み込まれるだけである。

さてモデルに戻る。
いじめを起こす、始める子供とその親、だいたいは母親だろう、は社会の癌である。 もちろん、そちらこそが正常な社会でありこれを正そうなどと考える人間が癌なのだ、とする向きもあるだろう。 それはそれ、敵対関係の勢力。
で、考え方がいくつかあると。
1. いじめ被害者である子供を救済する
2. いじめ被害者である子供を懲罰、矯正する
3. いじめを始める子供を救済する
4. いじめを始める子供を懲罰、矯正する
5. いじめ被害者の親を救済する
6. いじめ被害者の親を懲罰、矯正する
7. いじめを始める子の親を救済する
8. いじめを始める子の親を懲罰、矯正する

今日一般の善悪感にもっとも適合するのが1、被害者の救済と思われる。 その際、付随して行われるのが4、加害者の懲罰。 日本の芸能界のような場所でもっぱら主張されがちなのが2、付随して6。 被害者側を懲罰対象とする動き。 こう書くと異常であるかのように映るがこれ、「社会のはみ出し者を罰する」という理屈になっている。 朝鮮儒教、いわゆる独裁国家の秩序(革命防衛など)がこれだし中南米マフィア社会、アラブ地域部族社会もそうなっている。 もっと言うと所謂リベラル派のポリティカル・コレクトネスもこれだし中国、ロシアの居る国連もこれで動いていて、日本辺りが公正さを要求すると「我々が勝者であり好き勝手出来るのが正しい秩序なのだ」と応じてくる。 公正さと無関係なルールを押し付ける行動は今日の人間社会随所に見られるものであり、洗い出すと一見異常行動とも思える「加害者を正とし被害者を罰する」2や6の行動も実はこれに基づいている。

モデル。 「コミュ力のあるネグレクト児がいじめを起こす」。 その人間は被害者選定と正義正当性主張を親もっぱら母親から学び、学校で実践し社会性弱者を被害者に、周囲を加害者にする。 で、どうするか。
いじめ被害者の救済。 これは当然であり最優先だな。 付随する加害者懲罰。 まあ加害直近の状態ではありだろう、ただし、属人的に長く続けるかどうかは考えなければならないところ。
いじめ開始者、開始者親の懲罰。 これは往々にして起きない。 先の相撲協会騒動だと加害指揮者は白鵬氏で、直接の加害者が日馬富士氏だったわけだが日本相撲協会とモンゴル人社会は彼らを庇い、被害者側を悪だとした。 日本でもごく最近なんだな、加害指導者が探し出されて表に出されるのが常識になったのは。

加害始動の特定。 ようやくこうなった。 私はこれを社会の進歩とする。 旧人たち、老害たちは「古き良きが失われている」と感じている事だろう。 相変わらず「ネグレクト児周辺をどうするか」が残っていると。
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